けいうんじ|浄土宗|吉祥山
慶運寺神奈川県 東神奈川駅
【拝観時間】9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
ひなぎくさんと神社⛩️お寺めぐり✨
③慶運寺(浦島寺)
以前東急花御朱印で一度来たお寺さんへひなぎくさんをご案内✨✨✨☺️
浦島太郎の両親のお墓があるそうです。
本堂
亀さん🐢発見
うらしま寺と書いてあります
ここにも亀🐢さん手水舎
浦島太郎の両親の碑。
浦島太郎はフィクションだと思ってたんですが、ノンフィクションなんでしょうか。
22.10.20。先の成佛寺さんと京急線を挟んで向かいにある浄土宗の寺院。
通称《浦島寺》
山号 吉祥山
院号 茅草院(ぼうそういん)
創建 文安4年(1447年)
開山 定蓮社音誉聖観
(増上寺第三世)
本尊 阿弥陀如来
札所 旧小机領三十三所観音霊場
第九番
横浜の開港当時、慶運寺はフランス領事館に充てられてました。浦島丘にあった観福寿寺が慶応年間の大火で焼失したため、浦島伝説にかかわる記念物がこの寺にもたらされました。それ以来、慶運寺は「浦島寺」とも呼ばれています。浦島太郎が竜宮城に行った時、乙姫様からいただいたという菩薩像などが伝わっているといわれています。
〜横浜市神奈川区HPより〜
旧小机領33観音巡りの4ヶ所目として参詣。小さなお寺さんですが、札所の縁起によると元々の開創は平安時代に遡るようです。アットホームな雰囲気のあるお寺さんでした。
札所御朱印
東急花御朱印
寺院入り口
寺号標
↓
参道
手水鉢
亀型ですが上手く撮れてませんでした。
本堂
昭和33年建立。
観音堂
↓
名号碑
五輪塔
六地蔵
寺務所・庫裏
こちらで書き置きの御朱印を拝受。
TOQ48 花御朱印シリーズ 13
宗興寺から「滝ノ川」を渡ってすぐの場所にあります。
幕末期にはフランス領事館がありました。
「浦島寺」と呼ばれ、浦島太郎の伝説が残っており、竜宮城で乙姫様から玉手箱と共に守本尊を賜ったと云われ、竜宮城から戻って来て打ち上がった場所が太郎の両親のお墓があった場所と言われています。
この地域は、「浦島町」、「浦島が丘」、「亀住町」と浦島太郎にまつわる地名が残っており、また太郎にまつわる伝説も近くに残っています。
本堂です。
浦島太郎観音堂です。
ご本尊と共に、乙姫様と浦島太郎が祀られています。
当慶運寺は、室町時代。文安四(一四四七)年に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創されました。本尊は、「阿弥陀如来」で、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体を安置しています。
昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲で被災全焼の本堂は、三十九世法誉心華代の昭和三十三年に再興され、庫裡の方は遅れて昭和四十七年の再興です。平成十四年には、本堂屋根の瓦葺が鋼板葺きへと改築されました。境内地の広さは一七一〇平方メートル(五一八坪)です。
さて、慶応三年(推定)春の神奈川宿大火で観福寿寺が類焼しました。観福寿寺は現在の神奈川区浦島が丘にあって浦島寺と呼ばれていましたが、このとき慶運寺に合併されました。焼失を免れた龍宮伝来の浦島観世音像と浦島寺の碑四基は、明治六年に観福寿寺から慶運寺に移されました。観音像安置のため明治七年建立の観音堂は大正十二年の大震災で倒壊しました。三十五世信響戒浄代の昭和十年に再建、同年、太郎像と乙姫像も新調しました。昭和四十七年の庫裡改築に伴い、本堂東側にあった観音堂は現在の本堂正面に移転となりました。
この観音堂は、旧小机領三十三カ所子歳観音霊場の第九番札所とされており、その御詠歌は「ただたのめ願いもついに神奈川の 浦島かけて深きめぐみを」です。浦島伝説関係資料のうち、前記の「観世音像」、観音堂脇の「淳和天皇勅願所古跡」碑、門前の「浦島寺」碑は、平成七年、横浜市の重要文化財に指定されました。この観世音像いわゆる観音様は、太郎が龍宮より帰る際に乙姫様から玉手箱と一緒に守り本尊として授かったものと伝えられます。柔和な面立ちの観音様です。亀の背上に立っているお姿を間近に見ることができるのは、十二年ごとの子歳開帳の期間だけです。
横浜開港当時、慶運寺はフランス領事館として使われ、初代領事のベルクールが滞在しました。慶運寺は通称「浦島寺」として一般に知られます。
(公式HPより)
住所 | 神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町18-2 |
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行き方 | ・JR「東神奈川駅」下車 東口改札より徒歩7分
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名称 | 慶運寺 |
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読み方 | けいうんじ |
参拝時間 | 【拝観時間】9:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 045-441-8310 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.keiunji.jp/ |
旧小机領三十三所観音霊場 第9番 | 御本尊:浦島聖観世音菩薩 |
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ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 吉祥山 |
院号 | 茅草院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 文安4年(1447) |
開山・開基 | 定蓮社音誉聖観(開山) 開基不詳 |
ご由緒 | 当慶運寺は、室町時代。文安四(一四四七)年に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創されました。本尊は、「阿弥陀如来」で、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体を安置しています。 昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲で被災全焼の本堂は、三十九世法誉心華代の昭和三十三年に再興され、庫裡の方は遅れて昭和四十七年の再興です。平成十四年には、本堂屋根の瓦葺が鋼板葺きへと改築されました。境内地の広さは一七一〇平方メートル(五一八坪)です。 さて、慶応三年(推定)春の神奈川宿大火で観福寿寺が類焼しました。観福寿寺は現在の神奈川区浦島が丘にあって浦島寺と呼ばれていましたが、このとき慶運寺に合併されました。焼失を免れた龍宮伝来の浦島観世音像と浦島寺の碑四基は、明治六年に観福寿寺から慶運寺に移されました。観音像安置のため明治七年建立の観音堂は大正十二年の大震災で倒壊しました。三十五世信響戒浄代の昭和十年に再建、同年、太郎像と乙姫像も新調しました。昭和四十七年の庫裡改築に伴い、本堂東側にあった観音堂は現在の本堂正面に移転となりました。 この観音堂は、旧小机領三十三カ所子歳観音霊場の第九番札所とされており、その御詠歌は「ただたのめ願いもついに神奈川の 浦島かけて深きめぐみを」です。浦島伝説関係資料のうち、前記の「観世音像」、観音堂脇の「淳和天皇勅願所古跡」碑、門前の「浦島寺」碑は、平成七年、横浜市の重要文化財に指定されました。この観世音像いわゆる観音様は、太郎が龍宮より帰る際に乙姫様から玉手箱と一緒に守り本尊として授かったものと伝えられます。柔和な面立ちの観音様です。亀の背上に立っているお姿を間近に見ることができるのは、十二年ごとの子歳開帳の期間だけです。 横浜開港当時、慶運寺はフランス領事館として使われ、初代領事のベルクールが滞在しました。慶運寺は通称「浦島寺」として一般に知られます。
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