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てんのういん|曹洞宗龍淵山

天応院
神奈川県 原当麻駅

御朱印について御朱印
あり
限定
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駐車場
あり

あり。
東側駐車場に30台程。
薬師堂の裏に数台。

その他の巡礼の情報

関東九十一薬師霊場第19番

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ひなぎく
ひなぎく
2025年03月16日(日) 23時11分42秒
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相模原市南区下溝にある曹洞宗の寺院で、虚空蔵菩薩を本尊としています。境内の薬師堂は関東九十一薬師霊場の札所になり、墓地には八王子城主 北条氏照の一人娘・貞心尼と、3代将軍徳川家光の養育係だった青山忠俊のお墓があります。

『日本洞上連灯録』という曹洞宗の僧伝には、下野国佐野郡主の開基とあり、佐野市にあった天応院が戦乱で焼失したため、天叟順孝という僧が師の季雲永岳に請うて明応4年(1495)に当地に再建したと伝わっています。

【中興開基・貞心尼】
「貞心(ていしん)さま」は、北条氏照の一人娘で鶴香姫(つるこひめ)といい、北条家臣で下野国佐野城代の山中大炊輔に嫁いで、下溝堀之内に屋敷を構えたといわれる女性です。
夫は若くして亡くなり、二人の間にできた姫も早世し、夫とわが子の冥福を祈り、当院5世岱樹和尚によって剃髪して「貞心」という尼僧名を授けられ、寺社領を寄進し中興となって仏道に精進したといいます。

【再中興開基・青山忠俊公】
2代将軍徳川秀忠に仕え、3代将軍家光の傅役(もりやく)を勤めました。忠俊公が46歳の時、家光公のお気にふれられ謹慎の身となり、領地であった下溝の天応院門前に総長屋を建てて多くの家来と住んだといいます。当院の大庫裡を建立されたと寺伝にあるそうです。寛永20年(1643)に66歳で亡くなると、遺骨は天応院と京都の大徳寺芳春院に葬られたといいます。

【薬師堂】
関東九十一薬師霊場 第19番。
下溝の松原集落にあったものを明治時代末に天応院に移されました。現在の堂宇は昭和50年に天応院450回忌記念事業として建てられたものです。

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ご住職は法事中で、御朱印は奥様が対応してくださいました。またお参りに来たいと思えるような素敵な方でした。ご住職とタイミングがあえば縁起などお話して下さるとのことでした。

先月佐野市を巡ったばかりだったので、境内掲示板にあった縁起に「佐野」の文字を見た時は鳥肌でした💦遠く離れた相模原で佐野ゆかりの寺院と出会うなんて。
もともとは佐野のどこにあったのか?とか、山中氏が佐野城代とあったので気になり調べてみたけど全然わからず😫

さらに貞心尼様の母の家である大石氏のルーツを調べたら、藤原秀郷公、さらに木曾義仲の後裔の名が…(⁠☉⁠☉⁠)⁠こんなにもつながるものかと驚きを通り越してちょっと怖くもなりました💦

天応院(神奈川県)

天応院入口。『虚空蔵菩薩』

天応院(神奈川県)

『おっぱい地蔵』
貞心尼の乳母をかたどったとされているとのこと。

天応院(神奈川県)

『山門』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

『六地蔵』

天応院(神奈川県)

『平和観音』

天応院(神奈川県)

『白寿観音』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

到着したらちょうど鐘がなり始めました。しかし鐘楼には誰もいない!?誰もいないのに鐘がなっている?😱💦

天応院(神奈川県)

⬆️こういうことでした。初めて知りました💦

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

『本堂』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

彫刻がステキ✨

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

おそらく白山社だと思います。

天応院(神奈川県)

『手水舎』

天応院(神奈川県)

『薬師堂』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

『子育地蔵尊』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

『貞心尼さまのお墓』

天応院(神奈川県)

貞心尼のお母上「比佐」は大石定久の娘です。
この大石氏は藤原秀郷の後裔といい、信濃国佐久郡大石郷に住んだことから大石氏を名乗ったとされます。
室町時代初期、初代関東管領上杉氏に仕えた大石為重には男子がいなかったので、縁戚の木曾義仲の後裔、木曾家教の三男・信重を婿養子として迎え、大石氏の中興の祖となりました。
のちに上杉氏を見限って後北条氏に臣従すると、大石定久は北条氏照を比佐の婿養子として迎え、自身は隠居したといいます。

天応院(神奈川県)

『青山忠俊公のお墓』

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

青山氏のルーツは近江国、藤原北家花山院流の師重という方で、現在の群馬県吾妻郡中之条町青山に移り住み、青山の姓を名乗ったことにはじまります。
東京の青山の地名は、青山忠俊の屋敷があったことに由来しています。

天応院(神奈川県)

『お化け石塔(手前2つ)』
ある時代にこの寺に寄宿していたひとりの侍がいました。ある夕方、ふらりふらりと異形の者が墓地へ行くのを見つけ、追いかけて抜き打ちに後ろから袈裟がけに刀を切り下ろした。手応えがあり、異形の者の姿がたちまち消えると、そこには真っ二つになった石塔がありました。
「虎と見て石に立つ矢のためしあり」との言葉があるように、一心を込めれば石をも切れるということだ。
この石塔にはこのようなお話が伝わっています。

天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)

右側が庫裡、左側が客殿になります。

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天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
右側が庫裡、左側が客殿になります。
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
『お化け石塔(手前2つ)』 ある時代にこの寺に寄宿していたひとりの侍がいました。ある夕方、ふらりふらりと異形の者が墓地へ行くのを見つけ、追いかけて抜き打ちに後ろから袈裟がけに刀を切り下ろした。手応えがあり、異形の者の姿がたちまち消えると、そこには真っ二つになった石塔がありました。 「虎と見て石に立つ矢のためしあり」との言葉があるように、一心を込めれば石をも切れるということだ。 この石塔にはこのようなお話が伝わっています。
天応院(神奈川県)
青山氏のルーツは近江国、藤原北家花山院流の師重という方で、現在の群馬県吾妻郡中之条町青山に移り住み、青山の姓を名乗ったことにはじまります。 東京の青山の地名は、青山忠俊の屋敷があったことに由来しています。
天応院(神奈川県)
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『青山忠俊公のお墓』
天応院(神奈川県)
貞心尼のお母上「比佐」は大石定久の娘です。 この大石氏は藤原秀郷の後裔といい、信濃国佐久郡大石郷に住んだことから大石氏を名乗ったとされます。 室町時代初期、初代関東管領上杉氏に仕えた大石為重には男子がいなかったので、縁戚の木曾義仲の後裔、木曾家教の三男・信重を婿養子として迎え、大石氏の中興の祖となりました。 のちに上杉氏を見限って後北条氏に臣従すると、大石定久は北条氏照を比佐の婿養子として迎え、自身は隠居したといいます。
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『貞心尼さまのお墓』
天応院(神奈川県)
天応院(神奈川県)
『子育地蔵尊』
天応院(神奈川県)
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天応院の基本情報

住所

神奈川県相模原市南区下溝780−1

行き方

JR相模線「原当麻駅」より徒歩8分

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名称

天応院

読み方

てんのういん

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号042-778-0412
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊虚空蔵菩薩
山号

龍淵山

院号

天応院

宗旨・宗派曹洞宗
創建時代

天応年間(781)創立、明応4年(1495)再建

開山・開基

季雲永岳禅師(開山)/佐野郡主(開基)、貞心尼(中興開基)、青山忠俊(再中興開基)

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