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相模原氷川神社のお参りの記録(3回目)
神奈川県南橋本駅

投稿日:2021年09月08日(水)
参拝:2021年7月吉日
当地は天保14年(1843)代官 江川太郎左衛門の許可により、小山村の原清兵衛光保によって新たに開発された開墾地です。同年6月17日武蔵国南多摩郡上櫟田村(現在の八王子市)の村社氷川神社より御分霊をいただき、入植者の心のより所とされていました。当初は『いづなさま』とも呼ばれ2坪程の小さな祠に祀られていたそうです。
新田開発後の安政3年(1856)7月から8月にかけて検地役人 江川太郎左衛門は手代 津田橘六、恒川左内の2名を派遣し検地鎮守社敷地許可を行いました。これにより当地は『清兵衛新田と称うべし』と言い渡されました。この時両名は石灯籠を奉納され、拝殿向かって右に恒川左内、左に津田橘六のものが据えられました。同じ年この開墾事業を成し遂げた発起人の清兵衛(隠居後改名したため実際には 嘉兵衛)は手水舎の石水盤を寄付しました。この石水盤は拝殿手前左側にあって現在も使用されています。
十数年間に亘る開墾事業に賛同し入植したのは近隣農家の次男三男で、新地を求めて入植した人達でした。明治45年、新田開発当時の入植者の苦労を忘れないために建てられた開墾記念碑の裏面には、その経緯と顕彰の言葉が綴られています。この記念碑の題字は第15代将軍 徳川慶喜公、碑文は幕府に仕えた国学者 前田香雪(夏繁)によるもので、相模原市の有形文化財に登録されています。
御本殿は、相原にあった『外の御前』と呼ばれる建物を毎夜白蛇がその一部を咥えて運ぶのを相原の氏子が見て、これは神意であろうと言うので、清兵衛新田に譲ったものであると伝承されています。
相模原氷川神社の鳥居
相模原氷川神社の建物その他
相模原氷川神社の建物その他
相模原氷川神社の鳥居
相模原氷川神社の狛犬
相模原氷川神社の歴史
相模原氷川神社の建物その他
相模原氷川神社の鳥居
相模原氷川神社の建物その他
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