さがみはらひかわじんじゃ
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楽しみ方相模原氷川神社のお参りの記録一覧

相模原氷川神社参拝⛩️
神奈川県ラストは相模原氷川神社へ🚗💨
埼玉、東京に多い氷川神社、神奈川県の氷川神社には以前より上がりたかったのでやっとこれてうれしい☺️
この日は寒川神社からスタートして時間的に難しいかなぁと思っていましたが、社務所が閉まる30分前に到着。
御祭神の素戔嗚大神にご挨拶して、直ぐに御朱印をいただきに💦
武蔵一宮氷川神社の御朱印帳に書いていただき感無量です。
おさがりで飴ちゃんもいただきました🙏
御朱印いただいてからゆっくりと境内を散策させていただきました。
ありがとうございました🙏
社号標 鳥居
駐車場から境内の風景
拝殿
素戔嗚尊にご挨拶🙏
本殿
地蔵尊
稲荷神社
風車✨
月替わりの御朱印が沢山
通常御朱印 書き入れしていただきました🙏
夏越大祓御朱印 書き置き

初参拝。
《相模原市中央区清新》
〖御朱印①〗通常版(直書き)
〖御朱印②③④〗弥生の月参り、末社福徳稲荷大神御鎮座180年記念、さくらまいり(御衣黄)(書き置き)
〖授与品〗おみくじ、はさみ紙、おさがり
御朱印 通常版
御朱印 弥生の月参り
御朱印 末社福徳稲荷大神御鎮座180年記念
御朱印 さくらまいり(御衣黄(ぎょいこう))
はさみ紙
はさみ紙
はさみ紙
はさみ紙
おみくじ
おさがり

2月23日に相模原氷川神社を参拝して月参り以外の御朱印をいただきました。
初めて参拝しましたが、人がそれほど多くもなくゆっくり参拝できました。
天長祭御朱印(直書き)
紀元節御朱印(書置き)
祈年祭御朱印(書置き)
初午祭御朱印(書置き)
神社遠景
開墾記念碑
徳川慶喜公揮毫
お下がり品

たまに仕事で通る場所にあり、日頃気になっていつか行ってみたいと思ってました。参拝後には風が吹き抜け参拝にあがれて良かったと思いました。
氷川神社
福徳稲荷神社
鳥居
手水舎
福徳稲荷神社
地蔵尊

~~相模原氷川神社~~
地元の方がひっきりなしに参拝されていました。
隅々まで掃除が行き届いており、とても明るい神社でした。
高尾山の氷川神社から分霊され、この地に鎮守の神として創建された神社。
こちらの本殿には、「白蛇伝説」があります。
相原に「外の御前社」と呼ばれていたお社がありました。
このお社の柱を白蛇がくわえてこの土地に運んでいたのを見て、こちらに移築したものが氷川神社の本殿だそうです。
それが「白蛇伝説」。
【御祭神】素盞嗚尊(スサノヲノミコト)
末社:福徳稲荷神社
【御祭神】宇迦之御魂大神(うかのみたまおおかみ)
安産子育て地蔵尊もあります。
開墾記念碑は、15代将軍・徳川慶喜の書だそうです。
意外と癖のある字を書かれるんですね。
将軍の書なんてめったにお目にかかれないので、まじまじと見入ってしまいました。
福徳稲荷神社
福徳稲荷神社
安産子育て地蔵尊
開墾記念碑
徳川慶喜の書
徳川慶喜の書

相模原氷川神社を参拝させていただきました。
御祭神は【スサノヲノミコト】です。
七五三のお参りのご家族がいらっしゃり、ほっこりとした気持ちでお参りして来ました。
七五三のお子さん達、とても可愛かったです。
鳥居
手水舎
花手水
狛犬
狛犬
鳥居の鮮やかな朱色と、風車が素敵でした
拝殿
末社 福徳稲荷大神
安産子育地蔵尊
いくつか御朱印の種類がありました
こちらで御朱印を書いていただきました
開墾記念碑
通常の御朱印をお書き入れしていただきました。
十三夜の御朱印は書置きです。
可愛い🐇と🐉の飴をいただきました🍬

氷川神社の御祭神『素盞嗚尊(スサノヲノミコト)』は我が国土をはじめ数々の神様をお生みになった伊邪那岐・伊邪那美命の御子神であり、伊勢の神宮(内宮)の御祭神『天照大御神』の弟神であられます。
大神は気性の激しい直情径行の御性格で、云わば恐ろしい神様として崇められている様に、随分乱暴なところもございましたが、艱難辛苦をなされて遂に清浄な心境に到達された神様であることから、罪穢を祓い清める神様、すがすがしさそのものを表す神様として信仰されています。
多くの篤行を積み重ね、自ら犯された罪穢を身を以って贖罪されましたが、中でも水の精霊である八岐大蛇を退治された話は有名で、それによって水を司る神、即ち治水の神様として崇められ、また奇稲田姫との御成婚によって稲の豊穣の神様、農業の守り神としても祀られています。
この他、御子神の五十猛神と共に新羅国牛頭山に在り、植樹につとめられたことから山林の神として崇敬されている一方、御みずからの赤心をかけて御姉神 天照大御神と御誓約されたという古い言い伝えより、誓いの神様として商家から篤い信仰を集めています。
更に日本で初めて『八雲立つ出雲八重垣つまごみに八重垣作るその八重垣を』の和歌を作られた神として、和歌の親神とも仰がれています。
この様に、商売の神、お祓いの神、殖産の神として知られているところから、近年では年間を通じて初宮詣・交通安全・厄除け・家内安全等の御祈願をお受けになられる方が多く、氏子の方々をはじめ多くの崇敬者より崇められています。
御由緒
当地は天保14年(1843)代官 江川太郎左衛門の許可により、小山村の原清兵衛光保によって新たに開発された開墾地です。同年6月17日武蔵国南多摩郡上櫟田村(現在の八王子市)の村社氷川神社より御分霊をいただき、入植者の心のより所とされていました。当初は『いづなさま』とも呼ばれ2坪程の小さな祠に祀られていたそうです。
新田開発後の安政3年(1856)7月から8月にかけて検地役人 江川太郎左衛門は手代 津田橘六、恒川左内の2名を派遣し検地鎮守社敷地許可を行いました。これにより当地は『清兵衛新田と称うべし』と言い渡されました。この時両名は石灯籠を奉納され、拝殿向かって右に恒川左内、左に津田橘六のものが据えられました。同じ年この開墾事業を成し遂げた発起人の清兵衛(隠居後改名したため実際には 嘉兵衛)は手水舎の石水盤を寄付しました。この石水盤は拝殿手前左側にあって現在も使用されています。
十数年間に亘る開墾事業に賛同し入植したのは近隣農家の次男三男で、新地を求めて入植した人達でした。明治45年、新田開発当時の入植者の苦労を忘れないために建てられた開墾記念碑の裏面には、その経緯と顕彰の言葉が綴られています。この記念碑の題字は第15代将軍 徳川慶喜公、碑文は幕府に仕えた国学者 前田香雪(夏繁)によるもので、相模原市の有形文化財に登録されています。
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