いがみじんじゃ
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楽しみ方居神神社のお参りの記録一覧

25.12.19。小田急箱根登山線「箱根板橋駅」より徒歩5分。小田原市城山4丁目の国道1号線沿い(上り線)の小高い地に鎮座。
御祭神
⚫︎三浦義意(みうらよしおき)
幼名は荒次郎で桓武平氏の流れをくむ名族で鎌倉幕府の中核を担った三浦一族の子孫、三浦道寸義同公の嫡子です。
⚫︎木花咲耶姫命
明治43年、大窪村の『浅間神社』より合祀。
⚫︎火之加具土神
明治43年、大窪村の『秋葉神社』より合祀。
創建年 永正17年(1520年)
社格等 旧村社
例大祭 5月4日・5日
【由緒】神奈川県神社庁HPより
三浦義意公は、当年21歳の若武者で筋骨逞しく85人力といわれ、群らがる北条軍500余人を薙ぎ倒し、獅子奮迅の活躍もむなしく永正15年(1518年)早これまでと自刃したが、その首級が飛んで当山の古松の枝にかかった。そして3年の間眼を開いたまま落ちなかったと言う。
道行く人々これを見て気絶をなし、死に至れる者さえ出たと言われ、この事を聞いた小田原久野の総世寺の忠室和尚が、「うつつとも夢とも知らぬ一眠り、浮世の隙を曙の空」と詠んで手向けたところ、首は松の枝から落ち、その時中空に声あり「今より禍いを福に転じ、永く当所の守護神となるべし」と聞こえたと言う。その松の下に祠を建て荒次郎の霊を祀ったのが当神社であると伝えられている。
由緒を見ると、おどろおどろしい限りですが、こういう御祭神様は珍しいですね😱創建年が判明したのは、平成28年と境内掲示板に出ており、令和2年(2020)には創建500周年となった神社様で見所も多くありました。


境内社 水神社

社頭
先の大久寺入り口前より

一の鳥居と社号標

境内掲示板

参道

参道〜ニの鳥居

↓

子安地蔵堂



水神社

↓

勝って甲碑
北条氏綱公の「北条氏綱置文」より

手水舎

手水鉢

参道
急階段につき左側の坂で拝殿に向かいました(年寄りにはきついっす😓)

女坂?


途中に不動明王像

拝殿

狛犬(阿形)

(吽形)

拝殿正面

本殿

聖徳太子堂

神輿庫
三浦一族の家紋が描かれています。

↓




神楽殿

大クスノキ

金刀比羅神社

八幡神社

社務所
年配のご婦人(たぶん宮司様の奥さん!)より素晴らしい直書き御朱印を拝受しました。

大久寺様から国道1号を挟んで向かいにある居神神社様に参拝しました。当社の主祭神は相模三浦氏最後の当主である『三浦義意公』で、創建年代は小田原北条2代 氏綱公の頃です。
御朱印を拝受しに社務所へ向かうと、今回は奥様が対応してくださり、水神社と併せてそれぞれの御朱印の意味を教えてくださいました。また、その流れで少しお話もさせていただきました。
御朱印に菊の御紋が入っていますが、これは三浦家が桓武天皇の子孫だからだそうです。自国の領地に敵将を祀るというのはとても珍しいことで、義意公への哀悼心と、今度は自分たちがやられないように⋯との思いで祀られたのだと思われます。そして、水神社は我が国初の上水道『早川上水』の守護神ともされます。
氏綱公は、父である早雲、嫡子の氏康に比べると知名度は低めですが、敵将を祀ったり水道を作ったりと、人がやらないことを成し遂げ、小田原北条氏の基礎を築き上げたすごい方です。
今回、イベントも含め、歴史って現在につながっているんだなぁと改めて実感したのですが(武将の末裔の方々だけじゃなくて)「私たち一人ひとりも歴史の一部で日本の礎なのよ」とのお言葉をいただきました。深く感じ入るお話を聞かせていただきました🙇


子安地蔵尊



手水舎



拝殿






神楽殿

金刀比羅神社

お稲荷様

八幡神社

聖徳太子堂

神輿堂

古碑群



水神社


『勝って甲の緒を締めよ』
「北条氏綱置文」(嫡子氏康への遺言書)の最後の最後にこの言葉が書かれています。

風が気持ちよかったです😊

小田原三大明神の一社、居神神社(いがみじんじゃ)にお参りしました。小田原城主・北条氏綱公が城内、城下の整備にあたった永正17年(1520)の創建と伝わり、敵将である『三浦荒次郎義意公』をご祭神としています。
境内にある『水神社』は國之水分神を祀り、氏綱公整備と考えられる早川上水の守護神ともされ、我が国水道普及の原点といわれます。社殿横の『古碑群』は重要文化財となっていて、『子安地蔵尊』は居神神社創建当初から祀られています。
石碑『勝って甲の緒を締めよ』は、創建にかかわる氏綱公を顕彰すべく建てられたもので、我が国初出の格言といわれます。
たくさんの見所がある神社になります。
社務所で「北条氏綱と居神明神社」「水神石祠と北條五代」という書籍を購入したのですが、その著者である郷土士様がホトカミに投稿をされていますので、居神神社の詳しい歴史はそちらを拝見することをおすすめします。
居神神社がこの日の最後の参拝になりました。自転車返却に戻ったら、大久寺様と同じく「また小田原に来てね」と声がけいただきました🙂↕️時間の都合状お勧めいただいたけど行けなかった所、気になったけど通過した寺社もたくさんありましたので、また小田原巡りしたいと思います😊
(参考∶「北條氏綱と居神神社」「水神石祠と北條五代」境内説明板)






『ご祭神・三浦義意公』
桓武平氏の流れをくむ名族で、鎌倉幕府の中核を担った三浦一族の子孫、三浦道寸義同公の嫡子です。関東制覇をめざす伊勢宗瑞に攻められ三崎新井城で自刃、御年ニ十一歳でした。十五歳で弾正少弼と称されており、筋骨たくましく文武両道に優れ、武将としての器量は飛び抜けていたと伝えられています。
当社創建同年、氏綱公は義意公墓所の土地を父・三浦道寸ゆかりのお寺に寄進しています。城主が自領に敵将を祀ることは極めて珍しいことだそうで、真相はわかりませんが義意公への哀悼心から創建されたのではと考えられます。

お参りしようとしたら……鈴がない!?🤣

明治43年に木花咲耶姫命、火之加具土神が合祀されています。

『聖徳太子堂』

『神輿堂』

『古碑群』





『八幡神社』

『金刀比羅神社』

『稲荷社』

『神楽殿』


『水神社』
國之水分神をお祀りしていて、小田原早川上水と小田原の水道の守護神でもあります。創建年は判明していませんが、居神神社と同じく氏綱公が祀った可能性が考えられています。
氏綱公整備の小田原早川上水は「日本最古の水道」といわれます。北条氏の優れた事績が、小田原合戦後の大久保氏、稲葉氏に引き継がれ、全国の大名にも知れ渡り、我が国水道普及の原点となったといわれます。


『勝って甲の緒を締めよ』碑
北條氏家訓ともいわれる「北條氏綱置文」の結びの文章で、わが国初出の格言とされます。


『子安地蔵堂』
御本尊 子安地蔵大菩薩 恵心僧都 作
居神神社が創建されてから本地佛として、また別当寺の御本尊として祀られてきました。


社務所にて購入しました。北條氏や居神神社の歴史について勉強させていただきました🙏



お盆休み時期に行こうと思ってたら台風が来てリスケとなった小田原周辺の御朱印散歩。シルバーウィークにリベンジです。
居神神社は三浦義公氏をお祀りした神社との事。
自刃した際にその首が三浦半島の油壺の辺りの城から小田原まで飛んだとか😳 ̖́-︎
御朱印は二面を使ってとても丁寧に美しいものでした。水色の竹や水も手書きです。
お参りしているとびゅわーん!と新幹線がすぐそばを走っていくのが見えました。
小田原の駅から少し離れた場所にあるせいかとても静かに参拝できます。
あ!蚊に刺されやすい方は虫除けスプレーがあると良いかもです。

御朱印(直書き)

鳥居

「勝って兜の緒を締めよ」碑

〖御朱印〗(直書き)『境内社水神社』の御朱印を、いただきました。

境内社水神社の御朱印

居神神社境内の古碑群の説明

居神神社境内の古碑群

境内社八幡神社

境内社金刀比羅神社

御本殿と狛犬

狛犬

狛犬

境内社水神社

子安地蔵尊

鳥居と社号標
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