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楽しみ方金刀比羅宮のお参りの記録一覧
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前回は令和2年に金刀比羅宮に参拝にきました。当時はコロナ禍だったという事で参道の土産物屋さんなどは殆どが閉店していて、寂しい感じが漂ってました。
4年後の令和6年8月25日に再び参拝に行って来ました。
参拝者も沢山いてひっきりなしに参拝者とすれ違ったりして、コロナ禍の時とは全く感じが変わっていて賑わっていました。
私としては本当に嬉しいかぎりです。
しかし、今年も暑かったです。汗が全身から噴き出る様にTシャツとジーンズはベタベタでした。
久々に参道入り口の最初の鳥居を潜り階段を上がり始めました。
途中、途中にある神社をお詣りしながら、約900段の階段を上がりきり御本宮に到着しました。時間は1時間半位であがりました。御別宮にも行きお詣りをいたしました。
休憩所も開設されてました。奥宮に行く前に少し身体を休めていきました。
その後、奥宮の厳魂神社へ向かいました。
残り868段の階段に挑んできました。
景色の眺めは最高でした。



前日に引き続き参拝。
琴電琴平駅に隣接する金刀比羅宮北神苑に建つ高燈籠は1860年建設。
高さ27mは燈籠として日本一である。光は丸亀沖の船に届くように設計されたという。
鞘橋が架かる金倉川は昨日夜の雨で濁っている。橋桁を用いない建築が特徴的である。
大門は金刀比羅宮の総門であり、ここから先が境内である。
元は1654年高松藩主・松平頼重が寄進した仁王門であった。
門の先では古来より金刀比羅宮の神事の手伝いをしていた事で境内での営業を許された五軒の五人百姓が加美代飴の商いをしている。
宝物館は1905年の建築。神仏習合時代の松尾寺観音堂の本尊であった平安時代製作の十一面観音(重文)が展示されている。
1650年建築の木馬舎は高松藩主・松平頼重の寄進である。
1584年長宗我部元親寄進の賢木門は建築の際、柱が一本逆さまに取り付けられており逆木門と称された。1879年の改築の際「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになった。


久しぶりにこんぴらさんにお参りしてきました。
おそらく30年ぶりくらいじゃないかと思います。
参道には新しいお店もたくさんありましたが、昔からここで商売をされているんだろうなと思えるお店もちらほらとあり、懐かしさもあって店先をちょこちょこと覗きながら参道の石段を進んでいると・・・
あるお店のおばあちゃんが、「そんなペースで歩いてたら上(奥社)まで行かれへんで!」と笑われてしまいました😅
まあ確かにゆっくり歩いていたので、「これはもっとペースを上げねば」と気を引き締めて、なんとか奥社まで行くことができました。
おばあちゃん、ありがとう!!
しかし30年前はスイスイ登ってお参りし、スイスイ降りてきたイメージが残っていたんですが、さすがに昔のようにはいかず、登りは足がパンバンになり息を切らしながらなんとか登り切りました。
そして下りは膝が笑い出したかと思ったら、途中から痛みが・・・
普段の運動不足がたたりました。
それにしてもこんぴらさんはやはり参拝者が多いですね。
カップルから家族連れ、年配の方まで幅広くいらっしゃいました。
さきほども書いたように奥社までお参りはしましたが、まずは御本宮までの投稿をさせていただきます。
御本宮より先の白峰社と厳魂神社(奥社)はまた別途投稿させてもらいます。
少しでも参拝の雰囲気を感じてもらえるよう、敢えて御本宮に着くまでの順番どおりの写真の並びにしてみました。



事前にググって、参拝は18時までと見ていたのに、直前で社務所は17時までだと知り、大急ぎでこんぴらさんへ。
階段を見上げて心を決めて上り始めます。
地図で見た時は平面だったんです…
ひーひー汗だくで上り切った境内からの眺めは、とても気持ちの良いものでした。
帰り道、階段をおりていくと参道の商店街から、閉店の支度しながら楽しそうなお喋りが聞こえてきました。お国言葉を聞いていると、いつもの私とはとても遠い場所で暮らしている人達なんだなぁ…としみじみ。
そしてショック…奥社?の写真がない!ガーン。撮ったつもりだったのに。
余談?だけど、社務所で御朱印を「印刷したものですけど」と巫女さんから言われ、はい。と、脳内では汗ジャージャー&息切れを落ち着かせようと必死になりつつ、頂けることにただ安堵し拝受しましたが、
あとから、「紙でのお渡し」とか「先に捺したもの」とかの表現はよく聞くけど「印刷したもの」と先に言うのは潔いなぁ。と思いました(笑)

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