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ごうしょうじ|真言宗 時宗仏光山(ぶっこうざん)

郷照寺
香川県 宇多津駅

郷照寺について

四国八十八カ所第七十八番霊場


霊場唯一の二つの宗派に繋がるお寺

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年10月23日(水)
2027投稿

四国八十八所巡り吉願目指して日帰り旅。吉願までもうすぐそこ。
山門奥の駐車場は広くて良いのですが その手前の道が狭くて少し難儀でした。
許されている鐘楼を突くと とても良い音がしました。高くなく低くなく。ちょうどいい。
看板には この音は本州まで聞こえたとありました。ん~。
石段を上がると納経所と本坊 右手には庚申堂と本堂がありました。
本堂の御本尊 阿弥陀如来様は 肉眼では見えましたが 写真では・・・。
本堂横の石段を上がると大師堂です。
厄除大師の提灯が目に飛び込んできます。こちらも写真では内陣が・・・。
本堂横の階段を下りると 万体観音堂があります。
万体かどうか分かりませんが とにかくすごい数でした。
帰りに気づいたのですが 「讃岐の三大ぽっくりさま」がおられ お願いするにはまだ早いかなと思って素通りしました。
本坊の庭園を見ていると しばらくぼお~っとしてしまいました。
暑くない日なら お茶を飲みながらしばらく座って過ごしたいところです。
納経所では 通常御朱印の他に 切り絵御朱印を拝受しました。

山号は仏光山 院号は広徳院 宗旨は時宗と真言宗 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)神亀2年(725年) 開基は(伝)行基です。
2つの宗派が共存する四国八十八箇所では珍しいお寺です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:踊りはね念仏申す道場寺(どうじょうじ) 拍子(ひょうし)をそろえ鉦(かね)を打つなり
でした。

由緒については
寺伝によれば 行基が神亀2年(725年)に一尺八寸(55 cmという説も)の阿弥陀如来を本尊として道場寺の名で開基した。
大同2年(807年)に空海が伽藍を整備した。
その時に厄除の誓願を修し大師像を納め それが「厄除うたづ大師」として信仰されていると云われている。
仁寿年間(851年 – 854年)には理源大師が阿弥陀三昧の行を修した。
寛和年間(985年 – 987年)には恵信僧都が釈迦如来の絵図を納め釈迦堂を建立した。
正応元年(1288年)には一遍上人が遊行の折に3か月逗留し踊り念仏の道場を開いた。
その後も栄えたが天正の兵火(1576年 – 1585年)で堂宇を焼失するも寛文4年(1664年)高松藩主松平頼重により再興 その時の住持と徳川家の関係により 時宗に属し郷照寺と改称した。
とありました。

郷照寺(香川県)

境内案内図と由緒書

郷照寺(香川県)

観世音菩薩

郷照寺(香川県)

釣鐘と龍神さま

郷照寺(香川県)

鐘楼

郷照寺(香川県)

手水舎

郷照寺(香川県)

日本遺産認定記念 五重塔

郷照寺(香川県)

本坊

郷照寺(香川県)

法王殿 阿弥陀堂(本堂)

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

由緒

郷照寺(香川県)

奥に続きます

郷照寺(香川県)

大師堂

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

万体観音堂入口

郷照寺(香川県)

万体観音堂

郷照寺(香川県)

内陣

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

善光寺如来と西国三十三所観音像

郷照寺(香川県)

修行大師像

郷照寺(香川県)

稚児大師像

郷照寺(香川県)

本堂の鬼瓦

郷照寺(香川県)

本坊庭園

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

庚申堂

郷照寺(香川県)

讃岐三大ぽっくり地蔵

郷照寺(香川県)

本坊

郷照寺(香川県)

納経所

郷照寺(香川県)

不動明王堂

郷照寺(香川県)

内陣

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きどっち
きどっち
2024年06月17日(月)
1268投稿

時宗 仏光山 広徳院 郷照寺

四国八十八箇所霊場 第78番札所

瀬戸大橋から一番近くにある札所になります。
こちらに到着したのが午前10時ということもあり、すでに多くのお遍路さんがいらっしゃいました。
車は山門をくぐって進んだ先に駐車スペースがありました。

まず最初に鐘を撞かせていただきましたが、こちらの釣り鐘はとてもきれいな音で鳴り、余韻も心地よくよい一日のスタートが切れました。

本堂や厄除大師堂にはひっきりなしにお遍路さんがお参りされ、私のような初心者は邪魔にならないよう端の方でお参りさせていただきました。
そしてお遍路さんが途切れるタイミングを見計らって写真も撮らせていただきました。
本堂も大師堂も天井には立体的な天井画がたくさんあり、時が経つのも忘れて天井を見上げてしましまいた。

御本尊 阿弥陀如来
創建  神亀2年(725年)
開基  行基菩薩
真言  おん あみりた ていせい からうん

<縁起>~郷照寺HPより~
奈良時代(8世紀初め・神亀2年(725))、行基菩薩が開創し仏光山・道場寺と称していた。本尊の阿弥陀如来は行基の作といわれる。
後に、弘仁6年(815)弘法大使42歳のころ、この地を訪れ、自作のご尊像を刻み厄除のご誓願をなされたことから「厄除うたづ大師」として信仰を集めている。その後、正応元年(1288)時宗の開祖・一遍上人によって浄土易行の法門の伝統が加わり、真言・念仏の2教の法門が伝わった。元亀、天正の兵火で伽藍を焼失した。
江戸時代に入り、高松藩主・松平頼重により再興された。その際、宗旨を真言宗とともに一遍上人を偲んで時宗も奉持することにし、寺名も78番「郷照寺」と改めた。真言宗と時宗の両宗にわたる寺としては四国札所唯一の寺である。

御詠歌
 おどりはね念仏申す道場寺 拍子をそろえ鉦をうつなり

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

山門

郷照寺(香川県)

鐘楼堂

郷照寺(香川県)
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郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

さて本堂を目指します

郷照寺(香川県)

本堂

郷照寺(香川県)
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本堂 天井画

郷照寺(香川県)
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庚申堂

郷照寺(香川県)

青面金剛

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

では本堂向かって左側の道を進みます

郷照寺(香川県)

階段を上がった先は厄除大師堂

郷照寺(香川県)

厄除大師堂の天井画

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

厄除大師堂

郷照寺(香川県)

厄除大師堂の左手には万体観音堂
中には小さな金色の観音像がぎっしりと安置されていました。

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

福徳常盤大明神
狸の神様です

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)
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淡島明神堂

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

客殿
この裏側には庭園があるのですが、写真を撮ってなかった・・・

郷照寺(香川県)
郷照寺(香川県)

山門手前にある大吉地蔵

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歴史

境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の表玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。
京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(851〜54)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(985〜87)とされている。さらに、仁治4年(1243)には『南海流浪記』の著者及び中院流の祖である高野山の道範阿闇梨が配流となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(1239〜89)は、正応元年(1288)に逗留して易行・浄土教の教えを広めたことから、真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となり、今日も真言三密の教え・浄土易行の教えが脈々と伝わっている。

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郷照寺の基本情報

住所香川県綾歌郡宇多津町1435
行き方

宇多津駅より徒歩約17分
77【道隆寺】より
(自家用車)約15分 約8km
(徒歩)約1時間50分 約7.1km
79【天皇寺】より
(自家用車)約15分 約8km
(徒歩)約1時間30分 約6.3km

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名称郷照寺
読み方ごうしょうじ
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0877-49-0710
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://yakuyoke.org/
SNS

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号仏光山(ぶっこうざん)
院号広徳院(こうとくいん)
宗旨・宗派真言宗 時宗
創建時代神亀2年(725)
開山・開基行基菩薩
文化財

木造阿弥陀如来坐像(本尊)、絹本著色釈迦三尊二声聞図(県指定有形文化財)

ご由緒

境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の表玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。その後、大同2年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。
京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(851〜54)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(985〜87)とされている。さらに、仁治4年(1243)には『南海流浪記』の著者及び中院流の祖である高野山の道範阿闇梨が配流となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(1239〜89)は、正応元年(1288)に逗留して易行・浄土教の教えを広めたことから、真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となり、今日も真言三密の教え・浄土易行の教えが脈々と伝わっている。

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