らくほうじ|真言宗豊山派|雨引山
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楽しみ方楽法寺(雨引観音)のお参りの記録一覧(3ページ目)

つくばりんりんロードサイクリングの帰りに雨引観音に寄って参拝してきました。🚴♂️🚴♂️🤗
日本二大鬼祭のマダラ鬼神祭をやっていました。👹

雨引観音

雨引観音ヒルクライム⛰🚴♂️💦

雨引観音

雨引観音

日本二大鬼祭、マダラ鬼神祭👹

つくばりんりんロード

お守りを買ってきました。

茨城県の雨引山楽法寺(雨引観音)へ行ってきました。
坂東二十四番
水中華の紫陽花がきれいでした!
16時過ぎに行きましたが、だいぶ混んでました。


145段の厄除けの石段


仁王門の紫陽花


手水舎も紫陽花でいっぱい

ハート紫陽花と回る紫陽花

圧巻の水中華


花みくじ

お地蔵さん








紫陽花が咲く頃。。🌈
心。。
少しでも。。
穏やかになります様にと思い。。
お伺いしました🍀🤗🍀

紫陽花で有名な雨引山楽法寺✨✨✨
山門です。。
一礼して🙏
さぁ~向かいます😊

仁王門と紫陽花✨✨✨
このアングル🤳。。
私。。お気に入りです🍀🤗🍀

鐘楼堂✨

花手水💠
涼しげで素敵ですね♪😊

本堂✨
ご本尊・延命観音菩薩
お経が聞こえてきました。。🙏🌿✨🌿

アヒルさん。。
カモさん。。こんにちは😊
のんびりしていました🍃🍃
ほっこり🍀🤗🍀

紫陽花✨

深呼吸して。。
心落ち着かせて。。
素敵な景色を眺めて。。🌿🌿🌿
リフレッシュしている自分に。。
「来て良かったね♪😊」と。。


心が落ち着く。。🌿
とても素敵なお寺さんでした。。
心穏やかになりました🍀✨✨
仏様に感謝🍀🤗🍀

御朱印帳✨

御朱印✨

坂東観音霊場第二十四番札所
真言宗豊山派の寺院
駐車場に車を置きどちらから入るのか悩みました
結局なだらかな坂道を歩いて桜の花を見ながら歩き入り
ましたが後ろに仁王門が見えたので逆から入ってしまった
みたい😅


薬井門
黒門といいます。元は楽法寺の表門である



仁王門



孔雀がいました

本堂(観音堂)


観音堂の彫刻

多宝塔
梅?とのコラボが綺麗でした😉






子供たちがお腹にいるときに、
こちらの雨引観音で義父と義母が安産祈願をしてくれました。
もう、16年前と14年前になってしまいますが…
やっと、無事に成長した子供たちを連れて、
お礼詣りに行くことができました。
義実家からも車で2時間近くかかる距離。
義父と義母はどんな気持ちでここで祈願してくれたのだろうかと思いを馳せると、
改めて心があたたかくなりました。
雨引き、の名の通り、向かう途中から雨が降りだしましたが、
たくさんの親子連れ、お宮参りや七五三のお子さま、
妊婦さんが訪れていました。
御朱印やお守りを販売している建屋にあった
「華おみくじ」がとってもかわいくておすすめです。
そして私、放し飼いの孔雀を間近で見たの初めてです…
堂々とお散歩されていました。
人の方がちょっと戸惑い気味でした(笑)

大きなコイ!

筑波山と稲穂の黄金色の景色

華みくじの裏側。
ほんとに、その名のとおりに雨でした。

放し飼いの孔雀さまが境内を堂々とお散歩なう

関東88カ所霊場 特別霊場 楽法寺(雨引観音)
用明天皇2年(587年)、中国梁の法輪独守居士によって開かれた名刹である。推古天皇の病気平癒を祈願したところ、効験があったことから祈願寺となり、後に光明皇后は自身の安産祈願のため、法華経一巻を書写して奉納した。
以来、安産子育の祈願所となって「安産の観音さま」で知られるようになった。雨引という名は、弘仁12年(821)、干ばつにより飢饉にあった時、嵯峨天皇の勅命によって雨乞いの祈願を行ったことから付けられたと伝えられている。坂東観音霊場第24番札所でもある。参道の石段を登ると真壁城主によってこの場所に移したという室町末期建立の豪壮な薬医門がある。
さらに登って行くと、建長年間(1249~55)建立の仁王門があり、運慶作と伝えられている仁王像が安置されている。参道には、竜杉・鐘楼堂などもある。石段を登りつめると、入母屋造り瓦葺、長押上の各部が朱塗りの八間四面の荘厳な本堂がある。古くは足利氏や真壁氏の支持があり、近世では国学者の恵岳や性相学者の恵隆らの名僧が出て多くの信仰をあつめ、百五十石の御朱印地を有し盛んであった。

























楽法寺(らくほうじ)は、茨城県桜川市にある真言宗豊山派の寺院。山号は雨引山。本尊は延命観世音菩薩(国指定の重要文化財)。別名は「雨引観音」。坂東三十三観音霊場24番札所、関東八十八箇所特別霊場、東国花の寺百ヶ寺・茨城6番。
創建は古墳時代の用明天皇2年(587年)、中国・梁から渡来した法輪独守居士による開山。厄除、延命、安産、子育の霊験のある延命観世音菩薩を本尊とし、推古天皇、聖武天皇、光明天皇の帰依を受けた。平安時代の821年、大旱魃の折、嵯峨天皇が祈願したところ大雨に潤ったため、山号が「雨引山」となった。鎌倉時代の1254年に宗尊親王により再興され、建武年間(1334年~1338年)には足利尊氏により再興された。
当寺は、JR水戸線・大和駅の東南東5kmほどの雨引山の中にある。山頂付近にある伽藍の場所までは山寺らしい石段を登り、味わいのある伽藍の周りには綺麗な草花が咲き、面白いことに鶏などの動物も飼育されていたりする。山頂付近から見る眺望も素晴らしい。観光名所にもなっているようで、麓には大きな駐車場もある。
今回は、坂東三十三観音霊場の札所として参拝することに。参拝時は週末の午前中で、自分たち以外にも、家族連れなど多くの人が参拝に訪れていた。

境内南端にある入口<薬井門(黒門)>と<寺号標>。関ヶ原の戦い(1600年)以前は、真壁城の城門だったとのこと。

黒門をくぐると、仁王門までまっすぐ伸びる145段の階段<磴道(とうどう)>が現れる。厄除けの石段と言われ、「南無観世音菩薩」と唱えて登ると厄が落ちるとのこと。

磴道の途中右手にある<鐘楼堂>。もとは鎌倉時代の1254年に宗尊親王が建立。江戸時代の1682年に当山14世堯長が再建、その後大破し、24世元盛が再度建立。

磴道を登り切ると<仁王門>。もとは1254年に宗尊親王が建立。仁王像も鎌倉時代の仏師康慶の作。現在の建物は、江戸時代の1682年、14世堯長による再建。

仁王門の近くにある<地蔵堂>。1254年宗尊親王による建立。安置されている地蔵菩薩像は、江戸時代1715年、仏師・無関堂円哲の作。「子安地蔵」と呼ばれている。

仁王門をくぐって参道を進むと、右手にある<水屋>。

さらに階段を登ると、<本堂(観音堂)>に辿り着く。本堂の創建は不詳。鎌倉時代に宗尊親王が北条時頼に再建させた。現在の建物は、江戸時代1682年に17世文昭が十万人講を勧進して建立。

<本堂>正面。内陣に本尊の延命観世音菩薩を安置する。本堂の彫刻は、江戸時代中期の仏師・無関堂円哲の作。

本堂に向かって右手にある<東照山王社殿>。東照大権現と山王大権現を合祀している。

本堂の左隣にある<多宝塔>。奈良時代の730年、光明皇后による造立。現在の建物は江戸時代末期の1853年、24世元盛が再建。

本堂、多宝塔の対面(谷側)にある<絵馬堂>。1934年建立。現在も絵馬10枚が掛かっているが、お休み処、おみやげ処になっている。

絵馬堂の右隣にある<六角堂>。この建物の本尊・薬師如来は、1723年徳川8代将軍吉宗が養女竹姫の眼病平癒祈願のために円哲に彫らせたもの。

<六角堂>内部。写真左側の不動明王像は、室町時代の1438年に、将軍足利義教が関東鎮護の本尊として謹刻させ奉納したもの。

六角堂前から山側を望む。写真左側の建物は<鬼子母神堂>。1335年に足利尊氏が京都進攻にあたり当山で開運祈願をしたが、鬼子母神堂はその足利尊氏を祀った堂宇。

鬼子母神堂の右側には池があり、そのほとりではアヒルやニワトリが生活している...笑

多宝塔の左側から、階段を登って山頂に向かう。途中参道左手にある<聖見堂>。<大辨才天女尊>を祀る。

山頂までの階段脇には、無数の小さな石仏が並んでいる。

山頂には<白衣聖観世音菩薩像>や仏塔が祀られているが、その横に大きな鳥小屋があり、その中には孔雀が2羽飼育されている。時期や時間によって放し飼いにされるようで、ネット上には孔雀が境内にいる写真がたくさん掲載されている。

山頂から多宝塔まで戻って、六角堂の奥に進むと、山側にあるのが<奥の院(客殿)>。1792年再建。手前に千手観世音菩薩像が立つ。

谷側にあるのが<本坊>。
本坊の脇からの眺め。たぶん筑波山の東側の平地。

黒門まで戻る。境内は見どころ満載で、時間が経つのを忘れてしまう。
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