かみさきじ かいうんみとふどうそん|真言宗豊山派|笠原山
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神崎寺(開運水戸不動尊)の御朱印・御朱印帳
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水戸駅から偕楽園までの一帯。事前の検索での簡単な感想を言うと、
「神社が多く、目だった寺院はないな」であった。
そんな中、ここ神崎寺が水戸駅周辺では一番大きいかもしれない。
(私が気づいていないだけであるなら申し訳ない)
県都・水戸市は茨城県の中部に位置し、この県の政治・経済・文化の中心地として発展を続けている。
那珂川流域の低地と周辺の台地から成り、中世以来江戸氏、佐竹氏の城下町だった。
慶長十四年(1609)徳川頼房公が封ぜられて御三家のひとつ、水戸藩三十五万石の大城下町となり、今日の礎を築く。
北関東不動尊霊場第二十七番札所笠原山東光院神崎寺は、その水戸市偕楽園近くの天王町に伽藍を構える巨刹である。
境内は重厚堅牢な大本堂を中心に観音堂、不動堂、太子堂、鐘楼と堂宇が建ち並び、壮重ながらも清々しい美しさが感じられる。
神崎寺の寺歴が明らかになるのは元亀三年(1572)の頃からで、宥怒和尚が中興した事が伝えられているが、それ以前の仏縁を示すものも残っている。貞享四年(1687)に寺の境内から発見された、銅鋳製円筒形の妙法経筒がそれで、損傷著しくも「長承二年二月」の銘が読み取れる。 長承二年とは西暦1133年にあたり、神崎寺の住昔が偲ばれる。
発見された妙法経筒は、水戸光圀公に献上されたが、光圀は時の神崎寺住職・宥賀僧正に命じて妙法を書写させ、一緒に保管されたという。 この経筒は、現在も神崎寺に所蔵される県指定文化財である。
この他にも徳川家・水戸藩との縁を語るものとして、いくつかの墓所があげられる。
水戸光圀が大日本史編纂のために設けた彰考館の史臣・森巌塾と石井三朶花。総裁を務めた神代鶴洞と徳田錦江。 桜田烈士の稲田重蔵、弘道館教授の飛田逸民などがそれにあたる。これら、郷土史を彩る人々の墓にお参りし、偉業をしのぶのもよいだろう。
神崎寺のお不動様は鎌倉時代作と伝えられ、現在は不動堂(奥之院)に安置されている。一般に開運水戸不動と呼ばれ、信仰を集めている。
又、この寺院は安産祈願のために参詣する人々が多く、特に戌(いぬ)の日には、近在・遠来を問わず、女性の姿でにぎわうという。
この他にも、観音堂に聖・十二面観世音菩薩が安置され、東国三十三観音の第一番札所として知られていたり、境内で弘法大師・四国霊場巡りができたりと、祈願の対象は多い。
先に述べたように神崎寺は偕楽園の近くにある。観梅の季節に一緒に訪れるのも良いのではないか。
徳川御三家のひとつ、水戸藩の華麗な歴史に触れられるのは必定だろう。
十一面観世音菩薩 / 釈迦如来像 (伝・徳川光圀作) / 銅製妙法経筒 (県指定文化財)
(北関東三十六不動尊事務局)
ここでは、見る事が出来なかったが、この寺にある釈迦如来像は水戸黄門・徳川光圀公作なのか!!
すぐ近くには、水戸藩の徳川光圀公、徳川斉昭(江戸時代最後の将軍・徳川慶喜の父)を祀った常盤神社がある。
かつて、神崎寺が別当だったかどうかはわからないが、水戸徳川藩と縁が深い事は窺えた。
ここは、水戸藩と縁の深い古刹さから見所は沢山あるが、歩きながらも目を惹くのは、大きな水戸大観音だろう。
私が良く知る観音像は、大船や高崎のように立っているものが多い。
こちらの観音像は座している。この表情が穏やかで魅入ってしまう。
庭には色とりどりのツツジが咲き誇っていた。来る人を歓迎しているかのようであった。
庭ツツジ 座する観音 人招き
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