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おおみやはちまんぐう

大宮八幡宮

公式兵庫県 三木(神戸電鉄)駅

授与所受付時間 午前9時より午後5時まで

投稿する
0794-82-0401

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

最新のお知らせ

【10月限定御朱印】

本年度の例大祭における神にぎわい行事を、3年ぶりに例年どおり斎行できるよう準備を進めております。

そのため10月の御朱印では、各町の法被を着た寅たちが、お祭りでにぎわう様子をお書き入れいたしました!

※例大祭(秋祭り)のお知らせに関しましては、当神社ホームーページのお知らせ欄にて更新されます。そちらからご確認下さいませ。

○御初穂料、1000円からのお納め
○期間、10月1日〜
○紙朱印(書き置き)でのご対応
○ご用意した数がなくなり次第終了。
○すべて手書きになりますので、多少差異がございます。ご了承下さい。

※お参りの後にお受け下さい。

大宮八幡宮の御朱印

10月限定御朱印

秋祭りに向けて

9月24日(土)

総代さま区長さま及び氏子のみなさまにお手伝いいただき、拝殿前に各町の大幟が立ちました。

大宮八幡宮(兵庫県)
お知らせをもっと見る(2件)
御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり

●お書き入れ
通常の御朱印

●書き置き
通常の御朱印
限定御朱印

郵送対応
-
ありません
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

平常時は境内に駐車いただけます。
駐車場:階段下参道5~6台程度
    境内30~50台程度

おすすめの投稿

きどっち
2021年04月01日(木)
774投稿

とても大きな八幡宮で、本殿には九柱がお祀りされています。
そのほかにも5つの境内摂社、3つの境内末社、2つの境外社があります。

これほど大きな神社でしたが、このとき私を含め参拝者は3人でした。
おかげさまでゆっくり参拝することができ、御朱印もいただくことができました。

大宮八幡宮の鳥居

一の鳥居

大宮八幡宮の建物その他大宮八幡宮の建物その他

参道にあるご神木

大宮八幡宮の末社

ご神木の向かい側にある金毘羅宮
参道途中にある境外社です。

大宮八幡宮の建物その他

参道の最後は階段。
この階段の左側に駐車スペースがありますが、その左手から車で進むと境内まで上がることもできます。

大宮八幡宮の鳥居

二の鳥居

大宮八幡宮の本殿

拝殿

大宮八幡宮の本殿

拝殿内

大宮八幡宮の芸術

拝殿内の額縁

大宮八幡宮の歴史大宮八幡宮の本殿

本殿

大宮八幡宮の本殿

本殿左から
諏訪大神、賀茂大神、春日大神、
伊勢大神、八幡大神、蔵王大神、
祇園大神、熊野大神、住吉大神

大宮八幡宮の手水

手水舎

大宮八幡宮の本殿

割拝殿

大宮八幡宮の末社

境内摂社 大宮天満宮

大宮八幡宮の末社

干支別に鈴がありました。
真ん中は「祈願成就 感謝の鈴」となっています。

大宮八幡宮の建物その他

大宮天満宮内

大宮八幡宮の末社

境内摂社 祝田社

大宮八幡宮の自然

拝殿前のご神木

大宮八幡宮の末社

境内末社 播東稲荷社

大宮八幡宮の建物その他

拝殿裏にある石燈籠

大宮八幡宮の末社

境内摂社 尾引稲荷社

大宮八幡宮の建物その他

火箸納所

大宮八幡宮の末社

境内摂社 弁財天社

大宮八幡宮の末社

境内摂社 弁財天社

大宮八幡宮の山門

祝門

大宮八幡宮の像
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歴史

当宮は応神天皇を御主座に両側に八柱の神を配祀奉る、近隣稀に見る大社である。創建は定かではないが、古代より山上(現八量敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代に既に山上に社祠が建立されており、美嚢郡(ミナギノコオリ)高野里(タカヌノサト)の祝田社(ハフリタノヤシロ)と称し祀られていた。〔『播磨国風土記美嚢郡の段』見出〕その後、天永二年(1111年)鳥羽天皇の御代、別所氏の祖頼清によって創建され、代々の城主が守護神と崇め祀った。
 室町時代となり織田信長の天下布武により、中国の豪族毛利氏平定の総大将羽柴秀吉と戦った別所氏は、三木城に籠城して周辺の山野に布陣したが、天正八年(1580年)、別所氏が亡んだときに、兵火によって社殿ならびに諸記録はことごとく消失した。その後三木を領した中川右衛門太夫秀政が天正十一年九月十三日(現例大祭日の起源)に社殿を再建造営した。
 慶長八年(1603年)には、姫路城主池田左衛門輝政は家老伊木長門守を使わし、川原の田畑および境内の山林竹木を黒印をもって寄進し、社殿を現在の地に移した。元和五年(1619年)、小笠原右近太夫忠政は本殿と諸建築物を修理し、黒印社領を寄附し、当時拡張された境内の広さは七万余坪もあり、東播磨随一の大社として近郷に知られるようになった。徳川三代将軍家光は、朱印領を寄進し、歴代将軍も山林竹木諸役を免除し社殿を安堵された。現在の兵庫県地域において、江戸時代、御朱印社領七十石以上安堵の神社は当宮以外にわずか二社のみであった。推して当時当宮の社格社勢を知ることができる。
 明治初期には郷社に列せられ、平成六年には本殿を後方に引き、その前に両翼殿を備える拝殿を建造する大造営を行い、四方の崇敬厚く現在に至っている。

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大宮八幡宮の基本情報

住所兵庫県三木市本町2-19-1
行き方

【電車】
●神戸方面 神戸電鉄三木駅より駅下車500m 徒歩約6分
●加古川方面 厄神駅より三木鉄道「三木」駅下車600m 徒歩約7分

【バス】
神姫バス「本町」「中町」下車200m 徒歩約3分

【車】
●国道175号線を通って明石から約35分西神中央から約25分
●山陽道を通って「小野三木」インターもしくは「三木東」インターを降りる
●姫路から約30分
●吹田から約50分

アクセスを詳しく見る
名称大宮八幡宮
読み方おおみやはちまんぐう
通称大宮さん
参拝時間

授与所受付時間 午前9時より午後5時まで

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ参道より85段の石段を上がって右側奥にトイレございます。
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

●お書き入れ
通常の御朱印

●書き置き
通常の御朱印
限定御朱印

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳なし
電話番号0794-82-0401
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスoomiya80000@gmail.com
ホームページhttp://www.miki-oomiya.net
SNS

詳細情報

ご祭神【本殿】
応神天皇,(おうじんてんのう)
国水分神,(くにのみくまりのみこと)
天照皇大神,(あまてらすすめおおかみ)
素盞嗚尊,(すさのおのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
熊野久須毘命,(くまのくすびのみこと)
賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)
中筒之男命(なかつつのおのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)

【摂末社】
大宮天満宮  菅原道真公
祝田社    玉帯志比古大稲男命(たまたらしひこおおいなおのみこと)
       玉帯志比売豊稲女命(たまたらしひめとよいなめのみこと)
尾引稲荷社  倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
       稚産霊神(わくむすびのかみ)
       保食神(うけもちのかみ)
弁財天社   市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
伏見稲荷社  伏見稲荷大神

【境内末社】
豊玉姫社  豊玉姫
祓殿    瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)
      速開津比売神(はやあきつひめのかみ)
      気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
      速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)
播東稲荷社 不詳
【境外社】
三本松稲荷社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
       稚産霊神(わくむすびのかみ)
       保食神(うけもちのかみ)
金刀比羅社   金刀比羅大神
創建時代創建は定かではないが、古代より山上(現八畳敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代には既に山上に祠があったと伝わる。
本殿当宮本殿は、慶長8年(1603年)姫路城主池田三左衛門輝政の命によって建てられた。建築当初は檜皮葺屋根であったが、昭和61年銅板葺屋根に修繕された。 建築様式は、五間社、切妻造りで前面に二つの千鳥破風を備え、中央には唐破風向拝を備えている。 本殿前には左右翼殿を伴う拝殿があり幣殿にて本殿と繋がっている。総床三百坪にも及ぶ近隣稀に見る社殿である。
ご由緒

当宮は応神天皇を御主座に両側に八柱の神を配祀奉る、近隣稀に見る大社である。創建は定かではないが、古代より山上(現八量敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代に既に山上に社祠が建立されており、美嚢郡(ミナギノコオリ)高野里(タカヌノサト)の祝田社(ハフリタノヤシロ)と称し祀られていた。〔『播磨国風土記美嚢郡の段』見出〕その後、天永二年(1111年)鳥羽天皇の御代、別所氏の祖頼清によって創建され、代々の城主が守護神と崇め祀った。
 室町時代となり織田信長の天下布武により、中国の豪族毛利氏平定の総大将羽柴秀吉と戦った別所氏は、三木城に籠城して周辺の山野に布陣したが、天正八年(1580年)、別所氏が亡んだときに、兵火によって社殿ならびに諸記録はことごとく消失した。その後三木を領した中川右衛門太夫秀政が天正十一年九月十三日(現例大祭日の起源)に社殿を再建造営した。
 慶長八年(1603年)には、姫路城主池田左衛門輝政は家老伊木長門守を使わし、川原の田畑および境内の山林竹木を黒印をもって寄進し、社殿を現在の地に移した。元和五年(1619年)、小笠原右近太夫忠政は本殿と諸建築物を修理し、黒印社領を寄附し、当時拡張された境内の広さは七万余坪もあり、東播磨随一の大社として近郷に知られるようになった。徳川三代将軍家光は、朱印領を寄進し、歴代将軍も山林竹木諸役を免除し社殿を安堵された。現在の兵庫県地域において、江戸時代、御朱印社領七十石以上安堵の神社は当宮以外にわずか二社のみであった。推して当時当宮の社格社勢を知ることができる。
 明治初期には郷社に列せられ、平成六年には本殿を後方に引き、その前に両翼殿を備える拝殿を建造する大造営を行い、四方の崇敬厚く現在に至っている。

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