おおみやはちまんぐう
大宮八幡宮公式兵庫県 三木(神戸電鉄)駅
授与所受付時間 午前9時より午後5時まで
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | ●お書き入れ 通常の御朱印 ●書き置き 通常の御朱印 限定御朱印 | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 平常時は境内に駐車いただけます。
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加西、小野巡り、本日最後は三木まで足を延ばして大宮八幡宮。
古代から山上に祠があったようですが、その後社殿を備え大きく発展したそうです。境内は非常に広くて、秋の例大祭はここで盛大に行われるようです。
この日は他に参拝の方もいらっしゃらなくて、ゆっくり参拝させていただきました。御朱印は二の鳥居を潜って、右前、儀式殿でした。
ふう、今日はここまで。
御朱印いただきました。
駐車場から石段を登ります。
鳥居がシルエットに。
二の鳥居。
拝殿。
大宮天満宮。
左に拝殿、奥に本殿です。
尾引稲荷社。左は祓出殿。
祓殿。
播東稲荷社
豊玉姫社。
とても大きな八幡宮で、本殿には九柱がお祀りされています。
そのほかにも5つの境内摂社、3つの境内末社、2つの境外社があります。
これほど大きな神社でしたが、このとき私を含め参拝者は3人でした。
おかげさまでゆっくり参拝することができ、御朱印もいただくことができました。
一の鳥居
参道にあるご神木
ご神木の向かい側にある金毘羅宮
参道途中にある境外社です。
参道の最後は階段。
この階段の左側に駐車スペースがありますが、その左手から車で進むと境内まで上がることもできます。
二の鳥居
拝殿
拝殿内
拝殿内の額縁
本殿
本殿左から
諏訪大神、賀茂大神、春日大神、
伊勢大神、八幡大神、蔵王大神、
祇園大神、熊野大神、住吉大神
手水舎
割拝殿
境内摂社 大宮天満宮
干支別に鈴がありました。
真ん中は「祈願成就 感謝の鈴」となっています。
大宮天満宮内
境内摂社 祝田社
拝殿前のご神木
境内末社 播東稲荷社
拝殿裏にある石燈籠
境内摂社 尾引稲荷社
火箸納所
境内摂社 弁財天社
境内摂社 弁財天社
祝門
当宮は応神天皇を御主座に両側に八柱の神を配祀奉る、近隣稀に見る大社である。創建は定かではないが、古代より山上(現八量敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代に既に山上に社祠が建立されており、美嚢郡(ミナギノコオリ)高野里(タカヌノサト)の祝田社(ハフリタノヤシロ)と称し祀られていた。〔『播磨国風土記美嚢郡の段』見出〕その後、天永二年(1111年)鳥羽天皇の御代、別所氏の祖頼清によって創建され、代々の城主が守護神と崇め祀った。
室町時代となり織田信長の天下布武により、中国の豪族毛利氏平定の総大将羽柴秀吉と戦った別所氏は、三木城に籠城して周辺の山野に布陣したが、天正八年(1580年)、別所氏が亡んだときに、兵火によって社殿ならびに諸記録はことごとく消失した。その後三木を領した中川右衛門太夫秀政が天正十一年九月十三日(現例大祭日の起源)に社殿を再建造営した。
慶長八年(1603年)には、姫路城主池田左衛門輝政は家老伊木長門守を使わし、川原の田畑および境内の山林竹木を黒印をもって寄進し、社殿を現在の地に移した。元和五年(1619年)、小笠原右近太夫忠政は本殿と諸建築物を修理し、黒印社領を寄附し、当時拡張された境内の広さは七万余坪もあり、東播磨随一の大社として近郷に知られるようになった。徳川三代将軍家光は、朱印領を寄進し、歴代将軍も山林竹木諸役を免除し社殿を安堵された。現在の兵庫県地域において、江戸時代、御朱印社領七十石以上安堵の神社は当宮以外にわずか二社のみであった。推して当時当宮の社格社勢を知ることができる。
明治初期には郷社に列せられ、平成六年には本殿を後方に引き、その前に両翼殿を備える拝殿を建造する大造営を行い、四方の崇敬厚く現在に至っている。
住所 | 兵庫県三木市本町2-19-1 |
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行き方 | 【電車】
【バス】
【車】
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名称 | 大宮八幡宮 |
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読み方 | おおみやはちまんぐう |
通称 | 大宮さん |
参拝時間 | 授与所受付時間 午前9時より午後5時まで |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 参道より85段の石段を上がって右側奥にトイレございます。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり ●お書き入れ
●書き置き
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御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0794-82-0401 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | oomiya80000@gmail.com |
ホームページ | http://www.miki-oomiya.net |
SNS |
ご祭神 | 【本殿】 応神天皇,(おうじんてんのう) 国水分神,(くにのみくまりのみこと) 天照皇大神,(あまてらすすめおおかみ) 素盞嗚尊,(すさのおのみこと) 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 熊野久須毘命,(くまのくすびのみこと) 賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと) 中筒之男命(なかつつのおのみこと) 建御名方命(たけみなかたのみこと) 【摂末社】 大宮天満宮 菅原道真公 祝田社 玉帯志比古大稲男命(たまたらしひこおおいなおのみこと) 玉帯志比売豊稲女命(たまたらしひめとよいなめのみこと) 尾引稲荷社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 稚産霊神(わくむすびのかみ) 保食神(うけもちのかみ) 弁財天社 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと) 伏見稲荷社 伏見稲荷大神 【境内末社】 豊玉姫社 豊玉姫 祓殿 瀬織津比売神(せおりつひめのかみ) 速開津比売神(はやあきつひめのかみ) 気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ) 速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ) 播東稲荷社 不詳 【境外社】 三本松稲荷社 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 稚産霊神(わくむすびのかみ) 保食神(うけもちのかみ) 金刀比羅社 金刀比羅大神 |
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創建時代 | 創建は定かではないが、古代より山上(現八畳敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代には既に山上に祠があったと伝わる。 |
本殿 | 当宮本殿は、慶長8年(1603年)姫路城主池田三左衛門輝政の命によって建てられた。建築当初は檜皮葺屋根であったが、昭和61年銅板葺屋根に修繕された。 建築様式は、五間社、切妻造りで前面に二つの千鳥破風を備え、中央には唐破風向拝を備えている。 本殿前には左右翼殿を伴う拝殿があり幣殿にて本殿と繋がっている。総床三百坪にも及ぶ近隣稀に見る社殿である。 |
ご由緒 | 当宮は応神天皇を御主座に両側に八柱の神を配祀奉る、近隣稀に見る大社である。創建は定かではないが、古代より山上(現八量敷)に磐境(古代祭祀様式)があり、人皇第三十六代孝徳天皇の御代に既に山上に社祠が建立されており、美嚢郡(ミナギノコオリ)高野里(タカヌノサト)の祝田社(ハフリタノヤシロ)と称し祀られていた。〔『播磨国風土記美嚢郡の段』見出〕その後、天永二年(1111年)鳥羽天皇の御代、別所氏の祖頼清によって創建され、代々の城主が守護神と崇め祀った。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ |
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