おうしこじんじゃ
生石神社のお参りの記録一覧
今日は久しぶりに友人の車で兵庫県高砂方面に出かけました。お目当ては日本三奇のひとつ「石の宝殿」こと、生石神社です。(あとふたつは宮崎県霧島神社の「天之逆鋒」。宮城県御釜神社の
「四口の神釜」だそうです。)
ここには人間が明らかに加工した「昔のブラウン管テレビ」のような形をした巨石が祀られています。この巨石は万葉集にも歌われており、かなり古くからこの地に鎮座されているようです。
生石神社略記によると古代に大穴牟遅(大国主の別名)、少彦名の仲良しふたり神様の共同作業でここに宮殿を作る予定だったのですが、工事未完成のまま今に至っております。
少彦名さまの霊力がこの石に入っているので、疫病退散にご利益がありそうです。
しかし、どう考えても「生石」と書いて「おうしこ」とは読めないですね。
「播磨国石宝殿」と誇らしくおおきな朱印が特徴的です。最寄り駅もJR山陽線「宝殿駅」です。
駐車場前の鳥居。駐車場からは神社の横から入る形になります。
由緒書きです。
「石の宝殿」の石の案内標。
拝殿になるのでしょうか。ここから中に巨石が鎮座されています。(入場料100円)
巨石の説明書きです。1辺が約7メートル、高さ約6メートル、重さ500~700トンだそうです。どうやってこの地にあるのでしょうか?
ちょっと大きすぎてよくわかりませんか。
足元は池になっており、常に水で見たあれており、池の上に浮いているようです。
下を一生懸命見るのですが、どうなっているかよくわかりません。
巨石の裏側は丘になっており、登ることができますが、足を滑らせると大けがをしそうなので
足の弱い方はお勧めしません。
丘登りの途中での明石市方面の景色です。わかりづらいですが、小さく「明石海峡大橋」のマスト部分が2本見えます。
空には「竜神さま」のような雲が・・・気持ちいい。
こちらは高砂市方面です。廻りの山々も石切り場となっていました。
高砂巡り、3社目は生石神社(おうしこじんじゃ)。
山腹にあり車は道が狭いですが、駐車場は広いです。日本三奇の一つとされる「石の宝殿」がご神体。実際には巨大な岩なんですが、掘削されており何時誰がやったかわからないそうです。巨岩信仰はあちこちにありますが、天然の巨岩が多いように思います。
ご神体の横を登ると山上まで登れて、絶景が拝めます。ただ、暑かった。登るときはご神体の左から行ってください。普通の石段です。右から行くと滑落しそうになります。
日本三奇の御朱印です。
駐車場側の鳥居。この坂を上ると本殿前に出ます。
山上の景色。
石段下の鳥居。行って戻る元気がなかった。
本殿。
本殿内を潜り、奥へ。
石の宝殿。
ご神体の巨岩。
ご神体の横をぐるりと登れます。ご神体と本殿です。
御祭神 御祭神大穴牟遅命
少毘古那命
配祀神 大国主大神
生石子大神
粟嶋大神
高御位大神
御神体「石の宝殿」の大きさは、横6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行7.2メートル、重さ約500トン😳❕
水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」ともよばれています。
写真を撮ると浮いているように見えます👀🫢
神社の方がおられたので、お詣りの仕方をお聞きしました。割拝殿で少毘古那命(右)、大穴牟遅命(左)の順に参拝し、石の宝殿(¥100)を左回りに巡ります。触れても良いそうです。
脇にある御神体の分岩「霊岩」
全身の力を込めて霊岩を押した手で、体の弱いところを撫でると、御利益があるといわれているのですが、年月を重ねた身体は撫でたいところがたくさんでした🤣
横に階段があり、上から見ることが出来たのですが、雨で階段が濡れていて滑りやすかったので、上までは断念して、少しだけのぼり写真を撮りました。
浮石の和菓子 買って帰りました~😋
ホトカミさんでフォローをさせて頂いている方の投稿を見て行きたくて行きたくて仕方なかった神社です。
やっと上がる事が出来ました。
兵庫県高砂市にある神社です。
お参りするのは2回目です。
由緒については割愛させていただきます。
生石神社(おうしこじんじゃ)は 兵庫県高砂市・宝殿山山腹にある神社です。
石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物をご神体としており、「日本三奇」の一つとされています。
石の宝殿は 国の史跡で横6.4m 高さ5.7m 奥行7.2mの巨大な石造物です。
水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれます。
今回は南側の鳥居も写真に収めました。
けっこう急な階段なので辛かった。
南側石鳥居
少しアップに
楼門になるのかな
西側の石鳥居
拝殿を見て
由緒書
ご神体と本殿
高砂市内を見る
ご神体を正面から
浮いているように見えます
摂社
摂社
石の宝殿説明
拝殿
拝殿の下に ご神体に続く道
霊岩
竜山1号墳
こちらも神社?
もうひとつ神社?
駐車場にある社殿
兵庫県高砂市にある神社です。
主祭神は大穴牟遅命、少毘古那命です。
日本三奇「石乃宝殿」で有名な神社ですが、石というより岩ですよこれ。
もともと高砂が採石所として有名なのですが、これほど大きな岩を人の手で切り出すことができたのがすごいことです。
高さ約5.5m、横約6.4m、縦約4.7mの直方体で背面に約1.8mの三角の突起があります。
重さは推定500トンだそうです。
巨石の下に水が溜まっており小さな池のようになっています。
この池に巨石が浮いていると言われており、別名「浮石」とも言います。
もちろん、本当に浮いているわけではありません。
この巨石、誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていません。
近くには古墳があります。
古墳と言っても、墳丘は失われており、石棺が露わになっています。
古墳時代に奈良や大阪に高砂から石棺を運んだことが分かっています。
昔から採石地としてこの地から運ばれていたとは驚きです。
もしかしたら、この石乃宝殿は、新しい古墳の一部として作成途中だったのかも知れません。
勝手に想像を膨らませてしまうほどの出会いでした。
鳥居からの道は 拝殿の下をくぐります
このデカさ 伝わりますか
上から見るための道
どうです この景色
近くの採石所も見えます
古墳跡です
今年の2月にふと思い立ってお参りしましたが、今回は近くで用事があり、近くまで来ているのに参拝しないのはあり得ない!ということでお参りさせていただきました。
何度見ても御神体「石の宝殿」の迫力には圧倒されっぱなしです。
そして本殿横から「山上公園」に向かう階段を上り、石の宝殿越しに眺める高砂の町の景色が最高でした。
この日はとても天気がよかったため、明石海峡大橋まで眺めることができました。
パワーもしっかりいただいたし、またしばらくは仕事に頑張れそうです!
南鳥居
鳥居をくぐってすぐ右側の手水舎横に咲いていたホタルブクロ
この石段の下が本来の参道と鳥居です。
初めて生石神社にお参りした際には一旦石段の下まで下りましたが、結構急な石段なので二回目以降は上から眺めるだけになってしまいました。
石の宝殿 御神体になります
割拝殿前には奉納された鯉のぼりが掲揚されていました
石の宝殿、そして拝殿越しの景色
竜山石採石遺跡
生石神社(おうしこ神社)
石之寶殿と竜山石採石遺跡
主祭神 大穴牟遅命
少毘古那命
配祀神 大国主大神
生石子大神
粟嶋大神
高御位大神
社格等 県社
創建 崇神天皇治世
例祭 4月第2日曜日
生石(おうしこ)神社の御祭神は、大穴牟遅命と少毘古那命の二神。
社務所の奥、割拝殿に奉られてあります。
出雲国より播磨国を鎮めるため使わされた二神は、石造りの宮殿を建てようとしたものの土着神の反乱により未完成に終わります。
二神の霊はこの石に宿り「永劫に国土を鎮めん」と言明、以来「石宝殿(いしのほうでん)」「鎮の岩室(しずのいわや)」として信仰を集めてきました。
詳しくはこの地で『生石神社略記』にあります。
生石神社の創建は、社伝によれば「崇神天皇の御代に疫病流行を鎮めるため」とあり、古墳時代までさかのぼります。
奈良時代の書物『播磨国風土記』には聖徳太子の時代と記されており、いずれの時代においても採石が重要な産業であったことは間違いありません。
1579年(天正7年)、羽柴秀吉の指令で、織田信長の播磨侵攻軍による三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与の申し出に、当時の宮司は神吉城主(神吉八幡神社)の弟にあたり拒否されたために焼き討ちにされました。
御神体「石の宝殿」の大きさは、横6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行7.2メートル、重さ約500トン。
周囲3方を岩壁に囲まれ、掘り抜かれたものです。
背面には突起があり、正面に起こすことで巨岩の宮殿になるといわれ、その用途や目的はいまだ謎に包まれています。
まるで水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」ともよばれています。
参拝の仕方は、割拝殿で少毘古那命(右)、大穴牟遅命(左)の順に参拝し、石の宝殿を左回りに巡ります。御神体ですので本来は触れるべきではありませんが、霊力にあやかりたい場合は、背面にある突起部分を通り過ぎた角の部分に触れるとよいそうです。
背面の突起物は石の宮殿の屋根に当たり、(頭にあたるため)、触れないようにして下さい。
御神体のパワーを頂きたい場合は、脇にある御神体の分岩「霊岩」へ。全身の力を込めて霊岩を押した手で、体の弱いところを撫でると、御利益があるといわれています。
生石神社には山上公園があり、
「大正天皇行幸之碑」のある山上からの
高砂市内の眺めは格別です。
また、江戸時代の絵図にも記され、参勤交代やお伊勢参りの途中に立ち寄る観光スポットだったそうです。
江戸時代後期の医師・橘南谿が著書の中で、
宮崎県霧島東神社の「天之逆鉾」
宮城県御釜神社の「四口の神竈(よんくのしんかま)」
「石の宝殿」を 3つの奇跡と称したことが
「日本三奇」の由来となりました。
他にもドイツ人医師のシーボルト博士が
3枚のスケッチを残されています。
お天気が良ければ姫路城や明石海峡大橋まで見渡すことができます。
かつては狼煙場として軍事的にも重要な地であったそうです。
毎年10月の3週目の土・日曜日に生石神社の秋季例祭が行われます。
播州の秋祭りは、4183「よーいやさー」というかけ声で、やっさ(太鼓が入っている神輿の大きな型)が入ってきて、竹割りや神輿の喧嘩などが行われます。
また、能楽堂では高砂市にある「島」という地区が獅子舞を披露されます。
他にも、能が披露されたり猿田彦が氏子を追いかけまわる神事も存在しています。
なお、岸の屋台は反り屋根型布団屋台で、こちらは 曽根天満宮の氏子である曽根北之町から譲り受けられたものだそうです。
高砂市阿弥陀町生石171
謡曲 二人静 奉納 能のひとつ
♪散り急ぐ花びらを 時間の背中に~♪
も良いですが、
播州高砂は 謡曲【高砂】祝詞
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり」 代表的で広く継承されています。
江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つでした。
高砂市内が一望できます
南⛩️
シーボルト博士のスケッチ画像
昨年7月に初めて参拝させていただきましたが、今回急にお参りしたくなり到着したのが夕方4時前でした。
巨大な「石乃宝殿」と呼ばれる御神体は見るものを圧倒します。
この御神体の周りを回ることが出来、より身近にそのパワーを感じることができます。
触れようと思えば触れられるのですが、御神体なので私は畏れ多くて触れないようにしました。
創建年について、前回の投稿では「崇神天皇の時代(西暦97年頃)」と書きましたが、西暦では紀元前97~30年頃の間違いでした。
紀元前って・・・絶句です。
御神体の北側は宝殿山の山上公演につながっており、御神体と本殿を上から見渡すことができます。
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生石神社の御祭神について(生石神社HPより)
神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られた時に、二神が相談し国土を鎮めるに相応しい石造りの宮殿を建てようとしました。
一夜のうちに現在の形まで造ったが、工事半ばで阿賀の神(あがのかみ:播磨の土着の神)の反乱が起こり、宮殿造営を止めて現在の神爪地区に多数の神様を集めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができませんでした。
しかし二神は、宮殿が未完成でも二神の霊はこの石に籠り、永劫に国土を鎮めんと言明されました。以来この宮殿は石宝殿(いしのほうでん)、鎮の岩室(しずのいわや)と言われるようになりました。
生石神社では、大穴牟遅命と少毘古那命の二神を御祭神としています。
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とても躍動感のある虎でした
御神体「石乃宝殿」
御神体の後ろ側
この突起が石乃宝殿の屋根の部分にあたるらしいです
御神体後方にある祠
御神体の下には石の蛙
前回はもう少し水かさがあって気付きませんでした
南鳥居
南鳥居の横にも蛙さん
手水舎
御神体と拝殿を後方斜め上から
竜山石採石遺跡方向
拝殿の彫刻
霊岩
石乃宝殿の分岩といわれています。
全力でこの霊岩を押した手で体の悪いところを摩ると神様の力を授かりよくなるとのこと
本来はこの階段の下に鳥居があります。
下からの眺めは前回の投稿にて写真をアップしてます。
兵庫県のおすすめ🎌
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