おうしこじんじゃ
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兵庫県高砂市にある神社です。
主祭神は大穴牟遅命、少毘古那命です。
日本三奇「石乃宝殿」で有名な神社ですが、石というより岩ですよこれ。
もともと高砂が採石所として有名なのですが、これほど大きな岩を人の手で切り出すことができたのがすごいことです。
高さ約5.5m、横約6.4m、縦約4.7mの直方体で背面に約1.8mの三角の突起があります。
重さは推定500トンだそうです。
巨石の下に水が溜まっており小さな池のようになっています。
この池に巨石が浮いていると言われており、別名「浮石」とも言います。
もちろん、本当に浮いているわけではありません。
この巨石、誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていません。
近くには古墳があります。
古墳と言っても、墳丘は失われており、石棺が露わになっています。
古墳時代に奈良や大阪に高砂から石棺を運んだことが分かっています。
昔から採石地としてこの地から運ばれていたとは驚きです。
もしかしたら、この石乃宝殿は、新しい古墳の一部として作成途中だったのかも知れません。
勝手に想像を膨らませてしまうほどの出会いでした。
鳥居からの道は 拝殿の下をくぐります
このデカさ 伝わりますか
上から見るための道
どうです この景色
近くの採石所も見えます
古墳跡です
生石神社(おうしこ神社)
石之寶殿と竜山石採石遺跡
主祭神 大穴牟遅命
少毘古那命
配祀神 大国主大神
生石子大神
粟嶋大神
高御位大神
社格等 県社
創建 崇神天皇治世
例祭 4月第2日曜日
生石(おうしこ)神社の御祭神は、大穴牟遅命と少毘古那命の二神。
社務所の奥、割拝殿に奉られてあります。
出雲国より播磨国を鎮めるため使わされた二神は、石造りの宮殿を建てようとしたものの土着神の反乱により未完成に終わります。
二神の霊はこの石に宿り「永劫に国土を鎮めん」と言明、以来「石宝殿(いしのほうでん)」「鎮の岩室(しずのいわや)」として信仰を集めてきました。
詳しくはこの地で『生石神社略記』にあります。
生石神社の創建は、社伝によれば「崇神天皇の御代に疫病流行を鎮めるため」とあり、古墳時代までさかのぼります。
奈良時代の書物『播磨国風土記』には聖徳太子の時代と記されており、いずれの時代においても採石が重要な産業であったことは間違いありません。
1579年(天正7年)、羽柴秀吉の指令で、織田信長の播磨侵攻軍による三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与の申し出に、当時の宮司は神吉城主(神吉八幡神社)の弟にあたり拒否されたために焼き討ちにされました。
御神体「石の宝殿」の大きさは、横6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行7.2メートル、重さ約500トン。
周囲3方を岩壁に囲まれ、掘り抜かれたものです。
背面には突起があり、正面に起こすことで巨岩の宮殿になるといわれ、その用途や目的はいまだ謎に包まれています。
まるで水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」ともよばれています。
参拝の仕方は、割拝殿で少毘古那命(右)、大穴牟遅命(左)の順に参拝し、石の宝殿を左回りに巡ります。御神体ですので本来は触れるべきではありませんが、霊力にあやかりたい場合は、背面にある突起部分を通り過ぎた角の部分に触れるとよいそうです。
背面の突起物は石の宮殿の屋根に当たり、(頭にあたるため)、触れないようにして下さい。
御神体のパワーを頂きたい場合は、脇にある御神体の分岩「霊岩」へ。全身の力を込めて霊岩を押した手で、体の弱いところを撫でると、御利益があるといわれています。
生石神社には山上公園があり、
「大正天皇行幸之碑」のある山上からの
高砂市内の眺めは格別です。
また、江戸時代の絵図にも記され、参勤交代やお伊勢参りの途中に立ち寄る観光スポットだったそうです。
江戸時代後期の医師・橘南谿が著書の中で、
宮崎県霧島東神社の「天之逆鉾」
宮城県御釜神社の「四口の神竈(よんくのしんかま)」
「石の宝殿」を 3つの奇跡と称したことが
「日本三奇」の由来となりました。
他にもドイツ人医師のシーボルト博士が
3枚のスケッチを残されています。
お天気が良ければ姫路城や明石海峡大橋まで見渡すことができます。
かつては狼煙場として軍事的にも重要な地であったそうです。
毎年10月の3週目の土・日曜日に生石神社の秋季例祭が行われます。
播州の秋祭りは、4183「よーいやさー」というかけ声で、やっさ(太鼓が入っている神輿の大きな型)が入ってきて、竹割りや神輿の喧嘩などが行われます。
また、能楽堂では高砂市にある「島」という地区が獅子舞を披露されます。
他にも、能が披露されたり猿田彦が氏子を追いかけまわる神事も存在しています。
なお、岸の屋台は反り屋根型布団屋台で、こちらは 曽根天満宮の氏子である曽根北之町から譲り受けられたものだそうです。
高砂市阿弥陀町生石171
謡曲 二人静 奉納 能のひとつ
♪散り急ぐ花びらを 時間の背中に~♪
も良いですが、
播州高砂は 謡曲【高砂】祝詞
「高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり」 代表的で広く継承されています。
江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つでした。
高砂市内が一望できます
南⛩️
シーボルト博士のスケッチ画像
生石神社の基本情報
住所 | 兵庫県高砂市阿弥陀町生石171 |
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行き方 | JR山陽本線「宝殿駅」南口より歩いて25分(駅からは南西に約1.5km)。
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名称 | 生石神社 |
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読み方 | おうしこじんじゃ |
通称 | 石乃寳殿、宝殿さん、生石さん |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0794-47-1006 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.ishinohouden.jp |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大穴牟遅命,少毘古那命,《配》大国主大神,生石子大神,粟島大神,高御位大神 |
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創建時代 | 伝・崇神天皇時代 |
文化財 | 石の宝殿(国史跡) |
体験 | 祈祷御朱印伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 生石神社(おうしこじんじゃ)は、兵庫県高砂市・宝殿山山腹にある神社である。石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としており、宮城県鹽竈神社の塩竈、宮崎県霧島東神社の飛地境内の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つとされている。 石の宝殿は、国の史跡で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれる。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていない。 山形県にも同名の「生石神社」があり、当社の分社と伝えられている。 「生石」の読みは本来「おうしこ」であるが、「おおしこ」・「おいしこ」と誤表記・誤読されている場合もある。鳥居の扁額には生石子神社と記されている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝では、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている。 石の宝殿について『播磨国風土記』の大国里の条には「原の南に作り石がある。家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石とされている。」という意味の記述がある。聖徳太子が摂政であった時代には物部守屋はすでに死亡しており、矛盾をはらむ記述ではあるが、8世紀初期には6~7世紀頃に人の手で造られたと考えられていたことになる。...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 山陽本線(JR神戸線)宝殿駅南口より歩いて25分(駅からは南西に約1.5km)。 宝殿駅南口から、じょうとんバス(高砂市コミュニティバス)ふれあいの郷生石下車5分。 神社入り口付近に駐車場あり。 |
引用元情報 | 「生石神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%9F%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97308932 |
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