こうさいじ|日蓮宗
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日蓮宗 久々知山 広済寺
尼崎市久々知の近松公園という比較的大きな公園のすぐ近くになります。
この辺り一帯を「近松の里」と名付けて整備しているそうです。
近松というのは人形浄瑠璃や歌舞伎などの劇作家・近松門左衛門のことになります。
近松門左衛門は大阪に住んでいたそうですが、大阪の船問屋である尼崎屋吉右衛門の家に逗留して、行商人たちから話を聞き集めて作品の題材としていたそうです。
その尼崎屋吉右衛門の二男が、広済寺を再興した日昌上人とのこと。
その縁あって、日昌上人が広済寺再興の際、近松は建立本願人として貢献したそうです。
近松門左衛門の母親が亡くなった際も、広済寺にて法要を行われました。
さらに広済寺の本堂裏には、近松部屋という六畳二間、奥座敷四畳半の建物があり、そこで執筆活動を行ったそうです。
近松門左衛門のお墓といえば、大阪の旧法妙寺跡地にもあるそうで、どちらもとても似た墓碑だそうです。
どちらも国定史跡となっていますが、どちらが本物ということではなくどちらも本物としてお参りすればよいかなと思います。
広済寺は、天徳元年(957年)多田満仲が妙見宮をこの地に祀ったとされる。
当時は禅宗寺院として創建されましたが、元弘3年(1333年)の赤松円心軍と六波羅軍の合戦の戦禍によって荒れ寺になりました。
正徳4年(1714年)、日昌上人の発願により、本堂、妙見宮を建立し、日蓮宗寺院として復興開山しました。
その後、妙見宮の寺として賑わっていたそうですが、神仏分離令によって中国からの外来神となる妙見を祀ることは禁じられました。
北辰妙見大菩薩、牛頭天王、諏訪大明神の御神体は「開山堂」に祀られ、旧妙見堂は須佐男神社として分離されました。
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