ただじんじゃ
多田神社のお参りの記録一覧

近くて遠い多田神社⛩️
お正月以来の参拝になりました
平日の昼下がりで参拝に訪れている人も
まばらでしたが、御神域の空気感がとてもいいなぁと感じます
清和源氏にゆかりの地、多田院にあります
拝殿に続く仁王門(今は御不在です)
多田神社全景⛩️
清和天皇から源氏の家系図
BIGな狛犬‼︎

🌼多田神社(ただじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏 🍁天禄元(970年)に清和源氏の祖・摂津守源満仲が住吉大神の御神託を受けて当地に居館を構え、満仲の末子源賢を開山として天台宗寺院・多田院鷹尾山法華三昧寺(通称多田院)が建立されました。🌸円融天皇より「此の城をもって禁裏守護職武門の棟梁万代の居城たるべし」との勅諚を賜ったとされる。このことから当地は清和源氏発祥の地と呼ばれています。🍂満仲は自らの武士団(後の多田院御家人)を率いてその館と多田院を中心に多田荘の開発に勤しみました。☘️本尊の丈六釈迦如来像は満仲、文殊菩薩像は満仲の長男源頼光、普賢菩薩像は次男源頼親、四天王像は三男源頼信がそれぞれ願主となって作られたとのです。🌼平安時代の長徳3年(997年)8月27日に満仲が没すると多田院に葬られ新たに廟所と満仲像を祀る御影堂が建立されました。
👣所在地 : 兵庫県川西市多田院多田所町1−
🌷 "懐石料理/ほていや" 清和源氏発祥の地、多田神社の真ん前の日本料理店。古くから多田神社前にある老舗です。建物はかなり古く、大丈夫かなぁ〜なんて⁉︎ 一瞬思いましたが、とてもリーズナブルなお値段で、おしのぎ善を注文して本格的な日本料理が美味しく頂けました。それぞれ上品で一品毎に繊細で丁寧な料理でした。窓側のお座敷からは猪名川の流れを静かに眺める事もでます🌷
" おしのぎ膳 " 『 懐石料理/ほていや』
御朱印 多田神社(ただじんじゃ)⛩️
🌼多田神社(ただじんじゃ)⛩️
🌷 "懐石料理/ほていや" 清和源氏発祥の地、
多田神社の真ん前の日本料理店。
" 焼き魚" 『 懐石料理/ほていや 』

いつかはお参りしたいと思っていた神社の一つ、多田神社です。
創建は天禄元年(970年)とされ、もともとは多田院と号した天台宗の寺院だったようですが、神仏分離令により多田神社となったそうです。
以下は多田神社HPより
源氏発祥の地である多田は、源満仲公が摂津国一の宮住吉大神の御神託を受けてこの地に館を構え、荘園開発及び武士団を構築しました。子孫である清和源氏一門は繁栄を重ね、鎌倉・室町・江戸と約700年に亘る武家社会の担い手となったのであります。
<御祭神>
一の宮 源満仲公
二の宮 源頼光公
三の宮 源頼信公
四の宮 源頼義公
五の宮 源義家公
<御由緒>
主祭神源満仲公、天禄元年(970)当時、攝津守であった公が一の宮住吉明神(現在の住吉大社)に参籠、御神託を蒙り此の地を開拓、源氏の居城となし(本朝、城の初まり)円融天皇より此の城をもって禁裏守護職武門の棟梁万代の居城たるべしとの勅諚を賜ったとある。
そして公75歳の御時勅許を得て仏門に入り一寺を創設して公24歳の自影を安置して国家守護武運長久の霊場となして、多田院と号した。
長徳3年(997)満仲公薨去の後その廟所の造営と満仲像を祀る御影堂が中心となって多くの寺坊が建立された。
多田院は別称を鷹尾山法華三昧寺と呼んだが、宗派は開創当時は天台宗(満仲公末子源賢僧都延暦寺修行)から後年西大寺忍性の再建以来真言律宗に転じた。
当社所蔵の古文書のうち、貞応2年(1223)9月24日付の北条泰時の書状によれば、泰時が多田院に対し代官使の入部を停止させていることがわかる。
いらい鎌倉幕府は、多田院を重要視しており、文永10年(1273)4月にいたっては、多田院造営を督励し、時に造営奉行として僧良観(忍性)にあたらせた。
(中略)
当社縁起によれば、足利尊氏は建武3年(1336)3月2日の九州多々良浜の合戦以前に多田の由緒を伝え聞いて多田院を崇敬したと伝えている。事実現存古文書のうちに、建武3年3月25日付尊氏戦捷祈願の御教書がある。ついで建武4年(1337)7月25日には、尊氏は攝津善源寺東方地頭職を寄進している。そして延文3年(1358)4月30日尊氏が没すると、同6月29日付で義詮は父尊氏の遺骨を多田院に納めている。いらい多田院と足利家の関係は益々密となり、歴代将軍の没後は必ず尊氏に倣っている。
御朱印
猪名川
南大門(県指定重文)
仁王像がもともといらっしゃったのかな?
と思っていたら明治4年に満願寺の山門に
移されたそうです。
手水舎
清和源氏系図
随神門(国指定重文)
徳川四代将軍家綱公により再興されたそうです
拝殿(国指定重文)
御本殿(国指定重文)
徳川四代将軍家綱公により寛文七年(1667年)創建
招霊木(おがたまのき)
拝殿向かって左側
神馬舎
遙拝所
水戸黄門様の御手植銀杏
多田院天満宮
不思議の銀杏 七種の宿木?
九頭竜伝説
三ツ矢家の姓のお話です
鷹狩り伝説
三ツ矢サイダーの源泉にまつわるお話です
旧多田院釈迦堂趾
田尻稲荷神社
厳島神社(県指定重文)
金比羅宮
左 磐鹿六鴈命(料理の神様)
右 包丁塚
六所宮鳥居
六所宮(県指定重文)
左から熊野、春日、賀茂、天照、稲荷、住吉
西門(県指定重文)
もちろん東門もありますが、そちらには今回立ち寄っていません。

川西の多田神社参拝。清和源氏発祥だそうで、大河ドラマもあってか家系図が大きくでてました。元は多田院というお寺だったようで、なんとなくその雰囲気もあります。静かで広々した境内は静粛な空気が流れてます。参拝の方も訪れていました。伏尾から車で言ったら街中の細い道を行かされて苦労しましたが、実は神社前の橋を渡れば問題なし。
御朱印。源氏。
西側の駐車場に車を止めて西門から入ります。
手入れされ清められた境内。
南大門。昔、多田院の頃は仁王像があったそう。神仏分離で移設されてます。
南大門から真っすぐ歩くと鳥居へ。
さらに進むと隋神門。
拝殿です。
左は拝殿、右奥が本殿になります。
狛犬さま
六所宮。旧多田院鎮守。
田尻稲荷神社

清和源氏発祥の地の多田神社に参拝に行って来ました。笹竜胆の家紋が目に入ってきました。私の家の家紋も笹竜胆ですので、同じ家紋ですので引き寄せられるように多田神社に行ってきました。
御祭神は第56代清和天皇の御曽孫贈正一位鎮守府将軍源満仲公と頼光、頼信、頼義、義家の五公になります。まさしく源氏発祥の地です。
橋の手前の鳥居
階段を上がります。
門
2つ目の鳥居
狛犬
狛犬
本殿
信長塀?
遥拝所
田尻稲荷社
田尻稲荷大明神の社
厳島神社
包丁塚
磐鹿六雁命(料理の神様)が祀られています。
金比羅宮
六所宮
水戸黄門お手植銀杏
手水社
清和源氏家系図
多田院の鳴動について
源 頼光公の大江山鬼退治の唄
多田神社指定文化財の解説板
境内図
多田神社参拝の栞
神馬みくじ

970年源満仲により創建された多田院法華三昧寺が前身。
満仲没御廟が営まれたことから、源氏祖廟の寺院として崇敬を受けた。
現社殿は1667年に徳川家綱によって再建されたもので、本殿・拝殿・随神門が重文指定されている。
明治の神仏分離により神社となった。
境内は「多田院」の名称で国の史跡に指定されており、清和源氏発祥の地とされる。
本殿には源満仲、頼光、頼信、頼義、義家を祀っている。
本殿脇には、大江山の鬼退治で討ち取った鬼の首を洗ったとされる、鬼首洗池がある。
宝物殿は無料公開されており、源家宝刀「鬼切丸」、多田神社文書(重文)、甲冑、書画等が見学できる。
家綱が5歳の時に書いたとされる下手糞、もとい、味のある絵画も展示されている。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
随神門
鬼首洗池
鬼首洗池
御廟所(源満仲、頼光)
御廟所(源満仲、頼光)
伝・水戸黄門御手植銀杏
南大門
摂社・六所宮
摂社・六所宮
田尻稲荷社
田尻稲荷社
田尻稲荷社
厳島神社
東門
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