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楽しみ方湊川神社のお参りの記録一覧
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楠木正成公が御祭神の神社。
トラウマとなる出来事に遭って以来、20数年ぶりに参拝した。
神社の中の建物は新しくなっていた。本殿には茅の輪があったので1回くぐってお参りしたあと、末社の天満神社にお参り。その時そのトラウマ含む闇がお社に吸い込まれていくビジョンが見えた。それが長いこと続いたのでクタクタになったけど、終わったときにはスッキリ心が軽くなった。
本殿に戻ってもう1度茅の輪をくぐらせてもらい、最後に楠公墓所を参拝。結果的に神域を穢してしまったことをお詫びしてろうそくをお供えして帰った。
自分の闇と向き合うために来たけど、最大の闇が手放されて心身ともにスッキリ軽くなった。本殿についたときちょうどお宮参りをする赤ちゃんとご家族にも遭遇した。夏至直前というタイミングに手放すよう呼ばれたんだと思う。




生田神社、長田神社と並び神戸三大神社に数えられる湊川神社。
先日、生田神社と長田神社は投稿させていただきましたが、この三大神社を同一日にお参りさせていただきました。
朝早い時間帯のお参りだったため、境内は神職の方々が一斉にお掃除をされていました。
広い境内のため、ボランティアのおじいさんもお手伝いをされているようでした。
今回は神戸七福神巡りでお参り。
湊川神社は毘沙門天となります。
湊川神社の神戸七福神パンフレットより以下、引用させていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~~
湊川神社の御祭神は、「大楠公」と称えられる楠木正成公です。
そのご誕生には、このようなお話が伝わっております。
楠公の母君が、霊峰信貴山に日参して御本尊の毘沙門天に一心に手を合わせ「どうぞ御心あらば、よき子を授け給え」と祈りを重ねられました。
そしてある日、夢の知らせを受けて身ごもり、晴れて出産の喜びを迎えられます。 その嬰児こそ、後の大楠公、楠正成公だったのです。
~中略~
さて、楠公の母君は、生まれたての嬰児「多聞」に、子守歌がわりに「お前はただの子ではない。信貴の毘沙門さまより授かった申し子ぞ。大きくなったら、必ず毘沙門さまの御功徳にあやかってお国の為に精一杯つくすのだよ。 その為に「多聞」の名まで頂戴した。 その名を、くれぐれもはずかしめない様に。」と語って聞かせたといいます。
実は毘沙門天の別称が「多聞天」。その御名にあやかって「多聞」と名付けられたのです。
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主祭神は先に書いたように、楠木正成公となりますが、配祀神として下記の方々が祀られています。
楠木正季卿・江田高次命・伊藤義知命・箕浦朝房命
岡田友治命・矢尾正春命・和田正隆命・神宮寺正師命
橋本正員命・冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命・南江正忠命
菊池武吉卿
楠木正成公といえば「湊川の戦い」ですが、後醍醐天皇の勅命を受けて、鎌倉幕府や足利尊氏らと戦い、延元元年(1336年)湊川の戦いで敗北し自害されました。
その後、徳川光圀公によって立派なお墓が建立。
正成公を慕って、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰や坂本龍馬などが訪れたとのこと。
明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下されて、明治5年に湊川神社として創建されました。






祝!200投稿!!
まだまだ通過点ではありますけど、折角の節目の投稿なので、それに相応しい神社をと思い、湊川神社さんを投稿させてもらいます。
かなり昔の元旦0時過ぎに初詣に行ったきりなんですが、お参りする人の数も全く違うし、昼と夜の違いということもあり、全く前回とは印象が異なる神社でした。
湊川神社は、楠木正成公をお祀りしている神社です。
このすぐ近くの住所は神戸市中央区楠町なんですが、湊川神社の住所は神戸市中央区多聞通。
なんでかな?と疑問だったんですが、神社でいただいた由緒を見て一人で納得してしまいました。
「楠木正成公は、永仁二年大阪の河内国金剛山の麓、赤坂村でご誕生、幼名を「多聞」と称された。」と。
これは偶然じゃないですよね?
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