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長田神社のお参りの記録一覧
兵庫県 長田(神戸市営)駅

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まるこびっち
まるこびっち
2023年02月12日(日)289投稿

午後は長田神社へお参りに行きました。ご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)
さまです。「福の神」さまで、神戸の繁栄を見守ってくださているとのことです。
お社の由緒書を拝読すると、こちらも西宮の廣田神社や茨木の磯良神社と同様、
神功皇后ゆかりのお社でございます。神功皇后さま伝説すごい!
数日前にトルコで大地震がありました。神戸も28年前は大地震に見舞われ、このあたりも
たいへんな被害を受けましたが、長田神社や南参道の商店街なども昭和のにぎやかさ
が残っている雰囲気を感じる場所で、さぞかし困難を乗り越えてがんばってこられたのだろう
と思いました。このお社はその精神的な支えにもなったのでしょう。
境内にはいるとたいへん大きな楠木が「ご神木」として存在感を示していました。
この木の周りは広場になっており、子供たちの遊び場でもあり、周辺の方々の憩いの場
でもあるようです。これからもこのご神木がこの地の繁栄と子供たちの成長を見守って
いくのでしょう。この地になくてはならない。そんなお社だと思いました。

長田神社の御朱印

ご神紋は「菱菊」といいます。

長田神社(兵庫県)

高速長田駅を上がるとすぐ「南参道」の商店街入り口です。商店街は
なぜか和菓子屋さんがたくさん目につきました。

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四季
四季
2022年03月09日(水)560投稿

長田神社

~神戸の地名由来と鶏~

主祭神  事代主神
 (於天事代於虚事代玉籤入彦厳之事代主神)
     
祭配神  天照大御神
     応神天皇

社格等  式内社(名神大)
     旧官幣中社
     別表神社

創建   神功皇后元年(201年)
本殿様式 三間社流造
例祭   10月19日
追儀式  2月節分
 (長田神社古式追儀式)
 (兵庫県重要無形民族文化財)

札所等
 神仏霊場巡拝の道第71番(兵庫第6番)
 神戸七福神(恵比主さま)

鎮座と沿革
神功皇后摂政元年(201年)2月、神功皇后が新羅から難波へ御帰還の途中、武庫の水門(みなと:現在の駒ケ林辺)に於いて「吾を御心長田の国に祠れ」とのお告げにより、山背根子(やましろねこ)の女、長媛をして創祀せしめられた全国有数の名社である。
(日本書紀)古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜の制には名神大社、祈雨八十五座に数えられ、明治二十九年には官幣中社に列せられた。

~・~・~・~

この御由緒から、平成13年(2001年)には御鎮座1800年を迎えられた、太古からの歴史深い長田神社です。
延喜式神名帳では名神大社、更に祈雨八十五座に列され、社に奉祀する神戸(かんべ)41戸によって護持されていました。(『新抄格勅符抄』)
現在まで続く「神戸(こうべ)」の地名は、この神戸職に由来しています。

近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に県社に列格し、その後明治18年(1885年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、明治29年(1896年)には官幣中社に昇格しました。
平成7年(1995年)1月17日には本殿こそ倒壊を免れたものの、大きな被害を受けた、阪神・淡路大震災。長田地区の被災された第一報と、火災の凄まじさは記憶から消えることはありません。
参集殿は震災時、避難所となり、氏子の寄進等により、平成12年(2000年)夏に復旧されました。
現在は境内には鳩が放されていますが、かつては境内には数百の鶏が飼われており外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていました。
その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習があり、神職さまや氏子さんは鶏肉や卵を一切食さず、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習もありました。
拝殿の立派な彫刻は鶏説もあるそうです。

明治時代末期まで55代、約1000年にわたり大中家が代々神職を務めて来られました。

御船山旧跡
旧西国街道から長田神社に至る参道の中ほど東方、新湊川沿いに碑石が立ちます。かつては30坪ほどの丘があり御船山もしくは御船の森と呼ばれて、長田神社付属の土地です。長田大神御鎮座の際、神功皇后が御船具を埋めた場所とされており、黄金の船が埋まっているといわれています。近隣の町名、御船通はこの旧跡の伝説にちなんだものたそうです。

~・~・~・~

◇霊験あらたかな楠宮稲荷神社◇
御神木「樟」と痔病平癒の赤えい絵馬・初午祭

長田神社は、茅淳の海の入江に流入する苅藻川の河口の上流、北に約三五〇㍍程の川中の中洲、旧字名中島の樟(くす)等照葉樹林の繁茂する社に鎮座する。(現在は 2.5km程はなれる。六世紀以前の海抜等高線や池の痕跡から海岸線が推定される)
現社頭の八雲橋架橋は文化九年(1812)、古来参拝者は川の置石を裸足になって渡っていた。
古伝によると、六世紀頃の初秋、繁栄の為岸辺近くに寄ってきた赤えいの群れが、夜の台風による暴風雨で増水した苅藻川を遡り、水でひたひたの境内に入り、近所の人がこれを発見捕獲しようと後を追ったが、御神木の「樟」の付近で見失ってしまった。
以来、この御神木「樟」は、神の化身である「赤えい」の宿る処「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬敬仰されてきた。
昔も今も、赤えいは、瀬戸内海に多く棲み、その繁殖期は夏の終わりから秋の初めであり、当時海浜漁業によって多量に得られる赤えいは、安価で貴重な蛋白源であり、現今の牛肉にも匹敵するものであった。この美味で貴重な赤えいを食べることを断ち、諸願を掛け祈ったのであるが、その内、腫物(できもの)でも特に痔疾(ぢのびょうき)に効き目があるとの評判が高くなり、広く信仰されてきた。

絵馬奉納の始まりは、明治二十五年(1892)頃、楠宮稲荷社の傍らで茶店を営み、放し飼いの鶏(長田神社の神使)の餌の大豆を売っていた谷本もんと云うお婆さんが、細長い尾の先端にある棘(とげ)を取り除いた赤えいを書いた絵馬を作り、参拝客の願掛けに勧めたのに始まると伝える。
茶店は大正十三年(1924)の火災で廃絶、以来神社が引き継いで授与し今日に至っている。
赤えい絵馬に、年齢、干支、男女別を書き 御神木周囲の透垣に掛けて祈願するが、あらゆる疾病に効験があるとの病気平癒の深い信仰があるが、その九〇%は痔病平癒の祈願であり、楠宮稲荷社は「痔の神様」と言われている。

兵庫県では神功皇后所以の歴史があり
廣田神社・生田神社とともに名社とされます。

楠宮稲荷社の初午祭が終わりお忙しい中
神職様より長田神社と兵庫県の神社について
ご丁寧で楽しい説明をお受けできました。
ありがとうございました。

神戸市長田区長田町3―1―1

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