ながたじんじゃ
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楽しみ方長田神社のお参りの記録一覧
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海神社から山陽電車で長田神社へ
鳥居の手前から見える夥しい数の鳩たち...皆さんリラックスモードで私もリラックス。8月下旬の暑さが和らいだ気がした笑
神門を通過し、参拝。
色は褪せているが朱塗の社殿、極彩色の彫刻たちは目を引く。
帳には菱菊紋。
入母屋造の拝殿の左右から透塀でぐるりと本殿を囲う。
両脇には多くの末社群と後方には楠宮稲荷社
拝殿脇が回廊になっていて本殿を間近で拝める。中々凝った造りの摂社。
さらに後方には御神木。かなりのサイズだったが痛恨のミスで撮影し忘れ...
▼式内大社
旧官幣中社
▼事代主神
▼『日本書紀』の神功皇后摂政元年の条によると、皇后が三韓征伐から難波(大阪)へ帰還する途中、「武庫の水門(むこのみなと=現在の神戸市兵庫区・長田区周辺の沿岸)」で船がにわかに進まなくなりました。
そこで神意を占ったところ、宮中八神の一柱でもある有力な国津神・事代主神(ことしろぬしのかみ)が容れ現れ、以下の神託を授けました。
「吾(あ)を御心(みこころ)長田の国に祠(まつ)れ」
(私の神霊を、お前の心に留まった長田の国に祀りなさい)
皇后はこの命に従い、山背根子(やましろのねこ)の娘である長媛(ながひめ)という女性を奉仕者(初代斎主)に任命して、この地に神を祀らせました。これが長田神社の始まりです。
廣田神社、生田神社と同様ですね。
▼古代、神社を維持・管理するために朝廷から免税特権を与えられた民戸を「神戸(かんべ)」と呼びました。
長田神社には、この祭儀を支える護持の民として41戸の神戸が与えられました。生田神社などと共に、この「かんべ」が周辺一帯に多く配置されたことが、のちに転訛して現在の「神戸(こうべ)」という都市名の語源になったとされています。
▼震災からの復興と地域への貢献:平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災では、境内の鳥居や灯籠が倒壊し、社殿も半壊する甚大な被害を受けました。しかし、神社は震災当日から境内や参集殿を臨時避難所として即座に開放。約1ヶ月間にわたり約150名の被災者を受け入れ、地域の炊き出しや支援のコミュニティ拠点となりました。その後、氏子や市民の尽力により、平成12年(2000年)に見事復旧を遂げています。
阪神淡路の震災時は九州に居ながら神戸市長田区というワードは連日TVで見聞きしていたなぁ...
熊本の復興を切に願うばかりです...
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⛩️正月ではない時期にゆっくりと「神戸三社巡り」をしたいと思い、まずは厄除け・開運招福の神様である長田区にある長田神社に向かいました。
長田神社は「長田さん」として親しまれていて毎月一日の「おついたち詣り」は地域の方や参拝客で神戸の神社の中でも賑わうと聞いていたので、ちょうど8月1日にお詣りできて良かったです😊
⛩️高速長田駅から地上へ出ると商店街入口の大鳥居が目に入ります。「ぽっぺん市」ののぼりが立ち並び賑わっている長い商店街を進みます。
神社に着くと、やはり「おついたち詣り」でひっきりなしに参拝者が来られ境内も賑わっていました。(人が入らないように写真を撮ったので賑わいがわからないですね😥)
⛩️鳥居をくぐって境内の駐車スペースに車を乗り入れることが出来るので車の出入りも慌ただしく「長田さん」の人気を感じつつ、長く歴史のある神社の境内をゆっくり周り「楠宮稲荷社」をはじめ、蛭子社、出雲社、松尾社、月読社などの多くの摂社・末社もお詣りしました。



神戸三社巡りの締めくくりとして、長田区に鎮座する長田神社を参拝しました。生田神社、湊川神社と並び、神戸を代表する古社でありながら、どこか親しみやすく温かな「商いの街の守り神」という風情が漂っています。
歴史は生田神社と同じく非常に古く、神功皇后が新羅から帰還される際、山背国(京都)の鶏鳴の地にて神託を受け、西暦201年に創祀されたと伝えられています。
• ご祭神: 事代主神(ことしろぬしのかみ)
• ご神徳: 「えべっさん」の名で親しまれる福の神。商売繁盛、家内安全、そして「開運招福」の神様として、古くから神戸の産業や市民生活を支えてきました。
鳥居をくぐると、地元の方々が熱心に手を合わせる姿が多く見受けられ、地域に深く根ざした信仰の厚さを感じます。朱塗りの社殿は、阪神・淡路大震災を乗り越えて力強く再建されたもので、不屈の精神を象徴しているかのようです。
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