あおやまじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
おすすめの投稿

兵庫御朱印さんぽ⑤
青山神社⛩️へ参拝🙏
篠山城址🏯へ攻城 青山神社⛩️を発見💡参拝🙏しました😊御朱印も篠山城址の売店で頂きました😊

鳥居⛩️

由緒

手水舎

拝殿

扁額

御朱印

篠山城址

説明

篠山城址

内部

鎧

御城印🏯

国の史跡に指定されている篠山城。
その篠山城跡本丸に明治15年(1882年)創立。
篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに慶長14年(1609年)篠山城をわずか6か月で築いて、松平康重を八上城から篠山城に移しました。
その後、松井松平家一代、藤井松平家二代、形原松平家五代、青山家六代と徳川譜代の大名が260年に渡り篠山城主(篠山藩主)を引き継いできました。
そんな篠山城にゆかりのある青山家の十代・青山忠俊公を祭神として、青山家の御霊をお祀りし、さらに昭和5年に十八代・青山忠裕公を合祀。
青山忠俊公は、徳川家康の孫・竹千代(後の家光)の幼時の輔導役。
青山忠裕公は、篠山藩校を増やし、読書・習字・算術など学問を進めたそうです。先日投稿した「王地山まけきらい稲荷」で記載した負けるのが嫌いな方です。
このお二人をお祀りしていることから、「学問と教育の神様」とされています。
御朱印は残念ながらないのですが、大書院の受付にて御城印はあります。
御城印は、「八上城」「篠山城」のほかに、「籾井城」「八百里城」「金山城」「般若寺城」がありました。

鳥居
この鳥居前は二の丸御殿跡でとても開けています

拝殿


本殿

手水舎


篠山城跡入口

北側の石垣

二の丸御殿跡


大書院

本殿後方から東方向の景色
手前に見えている建物は篠山小学校

ここからはおまけ
御徒士町武家屋敷群の説明
篠山城跡周辺には古い町並みが残されていました。

武家屋敷の一つ

近くの神社お寺
青山神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ














































12
0