曹洞宗
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若狭の僧・傳心随芳が武田信廣を訪ねる航海中に奥尻島に漂着し、1469年に草庵を結んだのが始まりとされる。
1490年、信廣の求めに応じ上ノ国勝山に移り、以降武田氏(松前氏)の居城にあわせ所在地を移し、1619年に現在地に落ち着いた。
本堂及び庫裡は、1868年の箱館戦争で焼失。
当時の建物は山門(惣門)と経堂(大士堂)が残る。
山門は重文指定されている。
本堂
経蔵
山門
渡島半島南部⑤松前公園『曹洞宗松前山法源寺』 山門は国指定重要文化財。
十七世紀中期に建築された北海道の社寺建築としては最古の類に属する山門は、四脚門で親柱と控柱を腰長押でつなぎ、柱上の頭貫、木鼻をつけ、組み物は三斗実肘木を用い、正・背面の頭貫の上に台輪と蟇股を置き、一見吹寄垂木で屋根は切妻造の平入こけら葺である。 この特色から室町時代の末期の建物とされていたが、最近の調査では江戸時代中期の建立とされている。 昭和44年3月に修理工事を行い、屋根を瓦葺から創建時のこけら葺に直した。平成25年には、こけらの吹き替えを行っている。
福山城(松前城)背後の寺町群の中央に位置。文明元年(1469年)夏、若佐の禅僧随芳(ずいほう)が奥尻島に草庵を結び法源寺と称した。それから20年後の延徳2年(1490年)奥尻の法源寺は大館に移され、松前山法源寺と称し、松前家始祖信廣と2世光廣の菩提寺であった。慶長11年(1606年)福山館の完成後、大舘にあった寺町とともに法源寺も元和3年(1617年)から同5年(1619年)にかけて現在の位置に移転。最初の伽藍は慶安2年(1649年)5月に類焼した。 法源寺の本堂及び庫裡は、明治元年(1868年)の箱館戦争で焼失し、現在は山門(惣門)と経堂(大士堂)を残すのみである。
左側には地蔵尊の17体のお地蔵様、
寺町周囲には北海道では珍しい杉🌲
《山門》国指定重要文化財
名称 | 法源寺 |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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