じつぎょうじ|日蓮宗|一乗山
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函館市船見町にある日蓮宗のお寺。函館山七福神巡りの大黒天様が祀られています。
幕末には緊急寄港したフランス艦隊の負傷兵の手当てをし箱館戦争終結後に放置されたままだった旧幕府軍兵の遺体の供養などを行っています。
境内入口には日露戦争と太平洋戦争の戦没者供養塔。北辰殿妙見堂には江戸時代の豪商高田屋嘉兵衛の守護神である北辰妙見菩薩が祀られその右に函館山七福神の大黒様が祀られています。
お盆の忙しい時期だったので御首題は頂けませんでしたが大変歴史が感じられるお寺でした。
![ぱん吉🍀](https://minimized.hotokami.jp/_bRta33FRrawEvsqTkizOQfETjzGlgaxFI1ESbE--qs/s:30:30/q:20/plain/https://hotokami-user.s3.amazonaws.com/20211216-131711_LPMK6nJtMF.jpg@webp)
参拝記録〜実行寺🙏
1700年代半ば創建とされる日蓮宗の寺院。
箱館開港後にロシア領事館としても利用され、境内には「日仏親善函館発祥記念碑」などの碑が多数あります。
江戸末期から明治初期には度々史実の舞台になる。1854(安政元)年、来航したペリーの一行の写真班が宿舎とし、翌1855(安政2)年にフランスの軍艦シビル号が入港した際は、疾病を患う水兵の養生所にもなりました。また、1858(安政5)年にはロシア領事館として利用されたことがあります。このほか、1869(明治2)年の箱館戦争終結後、新政府軍の命令に背き、町中に放置されていた旧幕府脱走軍の戦死者を侠客の柳川熊吉とともに回収し、埋葬したのが同寺住職の日隆です。
以降は、数度の大火に見舞われます。1879(明治12)年の大火後、 1881(明治14)年に現在地へ移転。1896(明治29)年、1907(明治40)年と立て続けに被害に遭い、1918(大正7)年に完成したのが現在の本堂です。土蔵造りの建物にはケヤキが使用されていて、美しいたたずまいです。
正門前の右脇には「日露役戦死忠魂塔」、左脇に「大東亜戦争戦死病殉者供養塔」が建立。境内に建つ「北辰殿妙見堂」には、高田屋嘉兵衛の守護神だったと伝わる「妙見菩薩」がまつられています。また、箱館戦争で戦死した会津藩士の墓なども建てられています。(市公式観光サイトより)
現在の建物は1918(大正7)年築
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