にんげんじ|高野山真言宗|北明山(ほくみょうざん)
仁玄寺の御由緒・歴史
公式北海道 仁木駅
にんげんじ|高野山真言宗|北明山(ほくみょうざん)
公式北海道 仁木駅
「仁木の玄関口にあるお寺だから、仁玄寺(にんげんじ)」
明治12年、徳島県川島町(現:吉野川市)からの集団入植者の定住により出来た集落は、代表者の仁木竹吉(にき・たけよし)の名前をとって「仁木村」と名付けられました。徳島といえば、四国八十八か所霊場のはじまりの地。県民性に漏れず、弘法大師・空海信仰の篤かった仁木村の人々が建立した、二間(3.6メートル)四方の小さな大師堂(明治20年)が、当寺の原点です。
ご縁というのは不思議なもので、明治30年代中頃、徳島県那賀郡椿村(現:阿南市)出身の青年僧が、北海道での布教を志して、札幌に辿り着きました。「同郷の誼で、ぜひうちに」と請われるまま、仁木村の大師堂に入った僧侶・玉置戒存が、信徒たちと共に明治39年に創り上げたお寺は、「仁木の玄関口(*)にあるお寺」だったので、そのまま【仁玄寺(にんげんじ)】と名付けられました。
(*どちらかと言えば、仁玄寺は旧仁木村のなかでも、旧大江村との村境の方に位置しています。ちなみに、今はどちらも仁木町です)