てしおいつくしまじんじゃ
天塩厳島神社北海道 安牛駅
参拝:24時間
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楽しみ方
天塩町川口にある厳島神社。
天売焼尻島行きのフェリーに乗れなくなったことで図らずも留萌管内の最北まで来てしまいました。
境内がものすごく広いことにびっくり。正面は広場のように開けていますが参道を進むと森になっています。社殿前の境内は整備されていて末社のお稲荷様と金比羅様が祀られていました。歴史を感じられる社殿は天塩町の指定有形文化財。
参拝後に社殿の左にある社務所で御朱印を頂きました。普段は直書きですがその日は用意されてなかったようで書き置きのものを頂きました。御朱印と一緒に神社本庁が出している神道の基礎知識御朱印編の本も頂き神職さんから御朱印について理解して欲しいと熱弁されました。
鳥居
鳥居
社殿
拝殿内
由緒書
稲荷神社
稲荷神社
神狐
神狐
崩れた鳥居
金比羅神社
金比羅神社
石灯籠
水準点
境内
おみくじ
彰公碑
天塩町開基百年記念碑
記念碑の碑文
境内
石塔
大手山三吉神社
お稲荷様の新しい鳥居?
狛犬
狛犬
手水舎
溶岩石の手水
神道の基礎知識御朱印編
いつくしま公園
神社前からは天塩川が見えました
消毒液
参道
参道
おみくじ
道の駅てしお
道の駅てしおのポケふた
天塩厳島神社 旧址
天塩厳島神社 旧址
天塩の夕焼け空
手前が天塩川でその奥が日本海です

留萌管内の北の端、天塩厳島神社を目指しました。
GoogleMapの案内では、拝殿の近くにある社務所の方へと導かれます。
しかしそれでは天塩厳島神社の特徴を楽しめませんので、天塩いつくしま公園の駐車場に車を停めました。
天塩厳島神社には以前留萌に住んでいた時に参拝したことがあります。
あれから何年経っているでしょうか。
この駐車場に隣接して、一の鳥居があります。
ここから拝殿までまっすぐ参道が延びていますが、その長さと途中の林のため、拝殿はほとんど見えません。
この参道をゆっくり歩いていきます。
林を抜けると二の鳥居が現れました。
右側には稲荷神社があります。
稲荷神社の鳥居の手前には神狐がありますが、風化の具合からかなり古そうなものに思えます。
左側には金毘羅神社があります。
二の鳥居をくぐって拝殿に向かって進んでいくと、右側には太平山三吉神社碑がありました。
拝殿の手前には2組の狛犬があります。
手前の狛犬も歴史がありそうですが、その先にある小さな狛犬はさらに古そうに見えます。
以前、天塩町の方から、天塩厳島神社には北海道で一番古い狛犬があると伺ったことがありました。
このいずれかのことかと思うのですが、どれも奉納年がわかりませんでした。
拝殿の戸を開けて参拝をしてから社務所に向かいました。
しかしながら残念なことに社務所は不在のようで、鍵がかかっていました。
宮司さんがおられれば狛犬のこともお伺いしたいと思っていたのですが、残念でした。
天塩厳島神社は文化元年9月1日(1804)紀伊国有田郡栖原村出身栖原角兵衛が水戸藩のサケ・マス漁場経営のために天塩川河岸に運上所を開設する際、守護神として「市杵島姫命」の御分霊を迎えたと伝えられる。明治9年村社と公称し、明治43年社殿を川口基線に建立、同年7月16日に遷座祭を執行した。大正14年12月本殿造営起工。翌15年6月完成。昭和2年9月9日に内務省令をもって郷社の社格に列せられ、さらに昭和15年春拝殿を改築し参道両側に神灯1対を設けた。文化元年当時西エゾ領はまだ松前藩領で水戸藩の領地支配になったのは明治2年8月から2年間だけである。天塩領は松前藩の家老職の家柄である松前内記の知行地で栖原屋は歴代その場所請負人だった。文化元年の天塩場所は6代目角兵衛の支配人栖原彦兵衛の請負で同人が配下に命じてこれを祀ったものであり水戸藩の運上屋とするのは誤りである。
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| 名称 | 天塩厳島神社 |
|---|---|
| 読み方 | てしおいつくしまじんじゃ |
| 通称 | 弁財天さん |
| 参拝時間 | 参拝:24時間 |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 01632-2-1036 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| おみくじ | あり |
| ご祭神 | 《主》市岐島姫命 |
|---|---|
| 本殿 | 神明造 |
| ご由緒 | 天塩厳島神社は文化元年9月1日(1804)紀伊国有田郡栖原村出身栖原角兵衛が水戸藩のサケ・マス漁場経営のために天塩川河岸に運上所を開設する際、守護神として「市杵島姫命」の御分霊を迎えたと伝えられる。明治9年村社と公称し、明治43年社殿を川口基線に建立、同年7月16日に遷座祭を執行した。大正14年12月本殿造営起工。翌15年6月完成。昭和2年9月9日に内務省令をもって郷社の社格に列せられ、さらに昭和15年春拝殿を改築し参道両側に神灯1対を設けた。文化元年当時西エゾ領はまだ松前藩領で水戸藩の領地支配になったのは明治2年8月から2年間だけである。天塩領は松前藩の家老職の家柄である松前内記の知行地で栖原屋は歴代その場所請負人だった。文化元年の天塩場所は6代目角兵衛の支配人栖原彦兵衛の請負で同人が配下に命じてこれを祀ったものであり水戸藩の運上屋とするのは誤りである。 |
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