あしべつじんじゃ
蘆別神社のお参りの記録一覧
この日から青春18きっぷが使えます。
そこでその第一弾として、空知寺社巡りプチトリップを計画しました。
まず富良野から根室本線に乗って芦別に向かいます。
そして蘆別神社を参拝しました。
蘆別神社を参拝するのは一昨年の5月以来となります。
今回のコースに蘆別神社を入れた大きな理由は、こちらの境内には奉安殿があるということです。
前回に参拝した際は、社務所の奥にあるため気づきませんでした。
今回はあらかじめ情報を入手していましたので、蘆別神社の拝殿と境内社の稲荷神社をお参りした後、こちらの蘆別水神社をお参りしました。
蘆別水神社の御本殿は、芦別小学校にあった奉安殿のようです。
立派な御本殿にお参りをさせていただきました。
参拝後は授与所に行き、インターホンを押して御朱印をお願いしました。
しばらくして授与所の窓が開き、奥様から書置きの御朱印を拝受しました。
特にどこにも初穂料について表示はありませんが、こちらの御朱印は無料となっています。
そんな情報をネットで見ていましたが、前回参拝した際は、初穂料のことを聞いてしまいました。
すると奥様は「1万円です」と仰られました。
もう聞かれることに飽き飽きしていたようです。
ですから今回は何も聞かずに「ありがとうございます」と拝受しました。
それから再び拝殿に進み、初穂料相当額を賽銭箱に入れて、蘆別神社を後にしました。
『蘆別神社』参拝
こちら『星の降る里☆あしべつ』ロマンチックなまちの神社さん。参道を進むと、神門〜本殿〜社務所〜立派です!そしてユニークな奥様♡「取付けしたばかりの鈴♪いい音で鳴らせたね!」と褒めてもらいました (*´∀`)「お祭りがコロナなのよ〜」って、、何かと思ったら9月5〜7日が例大祭☆きっと大盛り上がりでしょう!!
参拝後に美しい御朱印をいただきましたが、初穂料はいらないとおっしゃって、、楽しいやりとりの後に再びお礼の参拝。初穂料を御賽銭に入れてきました〜♪
行けそうで行けていない神社さんでしたので、同じ炭鉱エリアで気になっていた『赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設』の見学とセットで、赤平・芦別へと向かいました。施設見学のガイドツアーも90分の予定が、ガイドさんの楽しいお話しでプラス60分!炭鉱で栄えたまちは素敵な方が多いみたい (ノ*'ω'*)ノ
神門が印象的な神社さん
本殿と渡り廊下で繋がった立派な社務所
素敵な奥様に会えました😄
鳥居の前にあるマンホール『星の降る里☆あしべつ』
夜の参拝で星空を見上げたら素敵でしょうね😊
素敵な御朱印(書置き)
通常サイズの御朱印帳に貼るには少し大きめです✨
奥様イチオシ✨9月5日~7日の例大祭♪
コロナ(567)に負けない日程!楽しそうですね!!
風格ある立派な本殿
本殿(右)と渡り廊下(左)~この左に社務所
コロナで外されていた鈴が復活!!
いいタイミングで参拝しました😌
稲荷神社
参道の先には神門
神門の扁額~茶と金が素敵✴
参道には巨大キノコ~
この鳥居の正面に星のマンホール🌟
少し写っています😉
社号標
隣町の赤平にある『赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設』
貴重なお話しと炭鉱遺産の見学で充実の時間😊
【北海道 古社巡り】
蘆別神社(あしべつ~)は、北海道芦別市北3条西1丁目にある神社。旧社格は郷社。祭神は天照大御神。
1896年に開拓民が小祠を建て、翌1897年に現在地に天照皇大神を奉斎して社を建立した。1906年に社殿を改築し、同年「蘆別神社」として無格社に公認された。御神体は天照皇大神宮の御軸だったが、1912年に伊勢神宮より御分霊をいただき奉斎した。1914年に村社に列し、1942年に郷社に昇格した。
当社は、JR根室本線・芦別駅の北方800mの平地、市街地にある。街のほぼ中央にあるため、境内は広大とはいかないものの、社殿以外にも大きな建物がいくつか集まって建っており、ぎゅっと集約度が高い造り。社殿の土台が高いのが特徴で、社務所との連絡口も空中渡り廊下になっている。
今回は、北海道の旧郷社ということで参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、他に参拝者は見掛けなかった。
※当社では御朱印を領布しているようだが、参拝時宮司さんは不在で、御朱印を拝受できなかった。
境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐってすぐ右側にある<御鎮座百周年記念の標>。境内にあった「イチイ」の古木。
参道の両側には、白い金属製の提灯掛けがずらっと並んでいる。
参道左側の<手水舎>。
参道はやがて<神門>をくぐる。神門は横に大きく、屋根も躯体も社殿とお揃いになっている。
神門をくぐったところからの眺め。
拝殿前左側の<狛犬>。割と新しそうで、くせがない。
拝殿前右側の<狛犬>。
拝殿前には、夏越の大祓のために<茅の輪>が設置されている。
それにしても、社殿はずいぶん高い位置にある。
<拝殿>全景。珍しいことに、向拝しか見えず、拝殿の躯体が見えない。
<拝殿>内部。非常にきれいにされている。
斜めから<社殿>全景。拝殿は奥行きがかなりあって、社殿全体がかなり大きい。
社殿の左側にある建物。神楽殿かな。
社殿の左側にある<稲荷神社>。1961年に京都の伏見稲荷大社を勧請。
戦前から戦後にかけて芦別は石炭産業で非常に繁栄し、市内の飲食店組合が建立した。当時は稲荷神社独自の例祭も開催されていたが、1970年には石炭産業の衰退とともに活況を失ったとのこと。
拝殿に向かって左後方にある建物。扁額には「芦別拝禮殿」と書いてある。
上の建物の扉を開いたところにある<忠魂碑>。おそらく、上の建物は<忠魂碑>の拝禮殿かな。
社殿の右手には<社務所>がある。御朱印はおそらくこちら。
社殿と社務所は、ほぼ2階の高さの空中渡り廊下で繋がっている。
拝殿後ろの<本殿>。こちらも高い位置にある。
本殿の右手にある<水神社>。
境内東側に移り、鳥居の北側にある<神輿殿>。
鳥居と神輿殿の間にある<開拓記念碑>。明治期の開拓民の思いが詰まっている。
鳥居と神輿殿の間にある<騎馬武者像>。昭和戦前に奉納されているが、誰がモデルかな?
最後に境内東端入口全景。のびやかで広々とした造り。(^▽^)/
次の札所に向かう前に、芦別市街にある蘆別神社を参拝しました。
芦別神社は、大きな通りに面して社号標と鳥居があります。
その鳥居をくぐると、すぐ右手に御鎮座百周年の記念標がありました。
こちら、コンクリートなどで作られたものではなく、イチイの古木を建てたという趣のあるものです。
その先にある御神門に向かって歩いていると、頭に突然風圧を感じました。
見るとカラスが通過していったようで、近くの木にとまってこちらを見ています。
威嚇でしょうか、この時期のカラスは大変怖いです。
帰りは参道を通らないことにしました。
参拝を終えて社務所に向かうと、境内を清掃していた宮司さんが戻ってこられるところでした。
御朱印(書置き)をお願いして、授与所前で待っていました。
やがて出てきた奥さまから御朱印を受け取り初穂料を尋ねると、「聞かれたら1万円と答えることにしてるのよね」と、ドキッとする冗談を言われました。
これまでもネット上で、参拝の證として渡しているので初穂料はいただいてない、という情報をさんざん見てきましたが、やはりそのように言われました。
御朱印をいただき再び拝殿に戻り、初穂料相当額を賽銭箱に入れて再びお参りをしてから蘆別神社を後にしました。
初めてお参りに伺いましたが、たまたまこの日は、赤平地区の宮司さん方も集まって焼肉を社務所前で行っていたようで、最初から変な雰囲気だったけど、「ご苦労様です」でもなければ、何しに来たみたいな目で見られ嫌な感じはしていたのですが、お参りを終えて、御朱印とかは頂けますかと聞いたら、「御朱印とかって何ですか」と宮司の嫁さんみたいな女性にマジ顔で言われたので、言葉の端っこを捕まえてツッコミを入れるような最低人間は大嫌いなので、要りませんと言って怒ってその場を後にしました。
その後も特に悪かったという雰囲気でもなく、他の誰一人として対応する気がありませんでした。
自分達は焼き肉で盛り上がっていて対応が面倒だったのかもしれませんが、こんな人達がいる神社には2度と行きません。
酒を飲んでいて対応したくなければ社務所の前ではなく見えないところでやったら良いと思うし、御朱印なんか扱わない方が良かったのではないでしょうか。
自分自身、全道のほとんどの神社を回ってきましたが、こんなレベルの低い宮司たちは初めてです。
この後回った神社では気持ちよく、お気をつけて旅をしてくださいと言ったような対応を受けています。
遠くからお参りに行ったのにと、メッチャ腹が立って仕方ありませでした。
せっかくのお休みも台無しでした。
【あしべつじんじゃ】と読みます。「芦別」と書かれることがありますが神社名は「蘆別」です。
昭和17年郷社に列せられる格式
木の風合いがなんとも素敵な神社。
市内の神社はほとんどがここの宮司が兼務していらっしゃるらしく、社務所に御朱印は書置きです。留守でしたらごめんなさいと張り紙が…。
今日はそういう日です。
ナビでぐるぐる🌀
やっと見つけた入り口
鳥居まで戻ります
あの白いのは…取り残された観音様( ノД`)シクシク…
鳥居の前の歩道のマンホール
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