いかほじんじゃ
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伊香保温泉の石段の一番上に鎮座する延喜式内神社です。温泉街裏手の無料駐車場に入れて石段街楽しみました。御朱印は土日のみとの事で今回は頂けませんでした。
この橋の先に無料駐車場
由緒書き
石段街
こんなマンホールの蓋有り
プリンソフト
群馬県渋川市伊香保町に鎮座する、伊香保神社、伊香保温泉を守護する上野国三宮神社、2024.6に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました。主祭神は大己貴命 少彦名命、社格等は式内社(名神大)・県社兼郷社、創建年は天長2年、例祭は9月19日、現在の温泉街内の伊香保神社の由緒では825年(天長2年)の創建。旧本社とされる三宮神社は750年(天平勝宝2年)創祀。
六国史初出は『続日本後紀』835年(承和2年)9月辛未条で、名神に列している。同6年6月甲申に従五位下となり、以後昇階して880年(元慶4年)5月25日に赤城神社と並ぶ従四位上となった。
延喜式では「群馬郡 井加保神社 名神大」と記載されており、名神大社に列した。「上野国交替実録帳」では正一位。上野国三宮。しかし後援豪族が衰退したらしく、中世以後は社勢衰微した。
尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」によると、当初の山岳信仰時代には現在地に鎮座しておらず、里宮として今の三宮神社の地に伊香保神社はあったという。また豪族・有馬氏(阿利真公)が祭祀を行い、若伊香保神社のある渋川市有馬に最初は鎮座していたともいう。
少なくとも平安以降に伊香保温泉街へ移転し、温の守護神となった。近世に入ると社号を「温泉神社」と称した。別当は寛永年間創建の温泉寺。
1873年(明治6年)、社号を「伊香保神社」に戻した。同年9月19日には県社兼郷社となる。
社殿については、1878年(明治11年)3月火事により全焼したため、同時に消失していた摂社の温泉神社(もと医王寺の薬師堂)を1884年(明治17年)合祀してその跡地に現社殿(仮宮)を再建、現在に至る
通常とミニ御朱印です。
名称 | 伊香保神社 |
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読み方 | いかほじんじゃ |
御朱印 | あり 左上に鶴、右下に亀のイラストが入った御朱印です。社務所が開いている日(土曜日、日曜日、祝日)はイラスト入りの直書き御朱印がいただけます。 |
限定御朱印 | なし |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大己貴命,少彦名命 |
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Wikipediaからの引用
概要 | 伊香保神社(いかほじんじゃ)は、群馬県渋川市にある神社である。伊香保温泉を守護する神社。式内社(名神大社)で、旧社格は県社兼郷社。上野国三宮とされる。伊加保神社とも書かれる。かつては三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)が本宮だったという。 |
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歴史 | 歴史[編集] 現在の温泉街内の伊香保神社の由緒では825年(天長2年)の創建。旧本社とされる三宮神社は750年(天平勝宝2年)創祀。 六国史初出は『続日本後紀』835年(承和2年)9月辛未条で、名神に列している。同6年6月甲申に従五位下となり、以後昇階して880年(元慶4年)5月25日に赤城神社と並ぶ従四位上となった。 延喜式では「群馬郡 井加保神社 名神大」と記載されており、名神大社に列した。「上野国交替実録帳」では正一位。上野国三宮。しかし後援豪族が衰退したらしく、中世以後は社勢衰微した。 尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」によると、当初の山岳信仰時代には現在地に鎮座しておらず、里宮とし...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「伊香保神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E9%A6%99%E4%BF%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102681815 |
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