みょうぎじんじゃ
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楽しみ方妙義神社のお参りの記録一覧(5ページ目)

信仰の篤さをうかがわせる、細やかなこだわりが随所に見られる築造物。奇岩で有名な妙義山の持つエネルギーに満ちた境内を進むと妙義山の強いパワーを感じますね。






GWの信州弾丸お参りツアーの興奮が醒めやらず、大雨でしたケド、えいやっ!と妙義山まで来てしまいました。
湘南からは圏央道〜関越道〜上信越道を使えば2時間ちょっと。便利になったものです。
さてさて上毛三山のこちら、榛名神社・赤城神社と並んで山紫水明、素晴らしいパワースポットでした。

このすぐそばの駐車場に相棒シャトルくんを停めました。
事前に調べてコチラが一番近く、道の駅を通り越しカーブを切った先の右手、狭い道を抜けるとあります。
1日100円也。

案内図。

おっ!立派な総門が見えてきました。

仁王さんがお出迎え。



あざやかで細かな彫刻ですね〜

総門をくぐると御朱印授与所。

素敵な御守りがたくさん…
いえいえ、まずお詣りしなくちゃね。

戻りのお時間が書いてある。
お気遣い、いたみいります。

授与所の向かい側にお稲荷さんや

天然記念物の大杉!

で、太鼓橋の正面にウワサの石段が!

165段の男坂。
ん〜〜、むむ…

カッコつけないで右の女坂へ。
安全策とります💦 平な場所でも転ぶお年頃だしね。

楽勝楽勝!
コチラにしてよかった。

でも苔やゴツゴツの岩場ですから、滑らないよう気をつけましょう。

登りきると水神様の御池があったり
(カエルさんの声が賑やか♪)

シャガの群落があったり

すてきな石灯籠。
雨に洗われて新緑が目にしみます。

わー!きゃー!すごいー!
なんて麗しいお社!
(うるさいね💨でも、心の中だけよ)

あー ため息モノです🥰

でも鎮かに鎮かに、お参りしましょう。




荒天なのに、お参りの方が次々と

帰りもまた女坂を降りてきました。
厳島社さんにご挨拶。

波己曽社

狛犬さん、ご挨拶が遅れまして🙇♀️

御朱印いただきました。
女性の方ですが、力強い素敵なお手蹟です。

綺麗な御守りも。

天狗さんのミニクリアファイルもいただきました😊

久々に県外。お隣の群馬県妙義神社。平日の山中へ!
上毛三山の一つ妙義山。長野県から関東へ向かう時、大きな岩山がそびえ立つのが眺められます。
【御祭神】日本武命尊.豊受大神.
菅原道真公.権大納言長親卿
【御利益】開運厄除け、商売繁盛、学業児童
農耕桑蚕の神、火防の神、縁結びの神
歴代将軍や諸大名の崇敬篤く、宿坊も宮様御用達の御殿と称されたそうです。

第一鳥居。自分はここを車で上がり登り切った所のPに駐車しました。備え付けの箱があり料金100円でした。

奥に見えるのが妙義山。山の中腹(標高800m)に【大】の字が見えるんです。
妙義神社の妙義大権現を省略した文字との事で、お参り出来ない参拝者が代わりに、中山道の安中・松井田宿からお参りしたといわれているそうですよ。


いざ総門へ。

国指定重要文化財。安永二年(1773年)
この時の徳川将軍は、徳川家治公です。



両端は昔の階段でしょか。せっかくなので、端の階段を使って登ってみました。

朱塗りの門に、赤い顔の仁王像。険しい顔で邪を入れまいとしてるのですね!


本社を目指します。

胴鳥居。

入り込む邪を小さな狛犬が見張ります。

な、長い(゚ω゚)

こちらは女坂。

男坂。この歪み具合は時代を感じます。現代の慣らした階段では感じられない歴史感。

大きな切り株。切り開いた時の名残りでしょうか。

隋神門までの165段をなんとか登り切ります。

門に入ると、狛犬さんから報告を受けた

左右に立つ警護の随身者と、

門の敷居を跨ぐと、赤鬼

青鬼が邪を完膚なきまで討ちのめすという事でしょうか。

唐門。宝暦六年(1756)
この時の徳川将軍は家重公、家治公

唐門前から見た景色。流石に関東平野はまだ見えないか(´ω`)

唐門内側からの彫刻


本殿。権現造り黒漆塗り。
宝暦六年創建。
本殿、総門、唐門共に国の指定重要文化財となります。

見惚れる装飾と彫刻。



本殿横から。

天狗様もいらっしゃる!

両側に天狗の御面が祀られてます。
疫病退散を祈りました。

帰りは女坂を下って。

風が吹き、風鈴の音色がとても心地良かったです。

こちらは、旧宮様御殿。

本来内観出来るらしいのですが、このご時世なので外からのみ。ですが、想像は心ゆく迄出来ます!自分は10分程建物を眺めながら、気になった事をググりながらここにいました(笑)

授与所です。

手書きの御朱印頂けました。

御朱印サイズのクリアファイルも頂けました!

天狗様のキーホルダー購入しました。


七年ぶりのお参りです。
当時は台風か大雨の被害を受け、斜面の土砂が崩れたり、あたりの木も倒れたりしていました。あの石段も危険を感じながら登りましたが、拝殿は東照宮に似て、とても立派で美しかったのを覚えています。
時は流れ七年も経つと、当時の災害の爪痕もなくなり、みごとに妙義神社の姿は復活していて、嬉しく感激しました。

この石段の回りの木も随分成長しました。

木に邪魔されて石段が盛り上がっているところは相変わらずでした。


仁王門



黒を基調とした、東照宮を思わせる社殿は美しいです。東照宮の宮大工が手がけたモノだとお聞きしました。



裏神さまだ!
こちらで初めて裏神様の存在をしりました。
あれから、裏神様を探して、社殿を一周する癖がつきました。

こちらの裏神様は最強です!




水神様

水神様の池にはおたまじゃくしがいっぱいいます。

シャガも咲いています。

風鈴があちらこちらに吊るされて、春風をいっそう心地よく感じられました。

桜も咲いていました。



御朱印サイズのクリアファイルも頂きました。

妙義山の主峰、白雲山の山麓にある妙義神社。

鳥居

妙義大権現の「大」

総門:もとは白雲山石塔寺の仁王門


銅鳥居

波己曽社社殿

唐門


妙義神社拝殿


上り龍・下り龍



竹林七賢人

国の重要文化財の総門は、神仏習合の時代の様式を色濃く残していました。
古くは波己曽大神(はこそのおおかみ)を祀り、波己曽(はこそ)神社と呼ばれていました。現在は旧社殿として青銅鳥居を抜けた場所に鎮座位しています。
太鼓橋を渡り見上げると、大変急峻な165段の石段が現れます。一瞬たじろぎますが、この石段を登っていく人はほとんどいません。皆さん緩やかな坂の女坂を登って行ってました。
現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の大改修によるもので国の重要文化財となっています。流石に彫刻など見応えがあります。金色の海老虹梁は大変迫力があります。
唐門も国の重要文化財になっていますので、こちらも見逃さないようにしましょう。
大変すばらしい神社でしたので、また訪れたいと思っています。

総門<国指定重要文化財>

総門<国指定重要文化財>

青銅の燈籠より青銅の大鳥居を望む

石垣に青銅の大鳥居

165段の石段

随神門

燈籠

北門

石垣に透塀

唐門

拝殿<国指定重要文化財>

扁額

拝殿海老橋梁

拝殿海老虹梁

拝殿向拝

拝殿

本殿

水神社

波己曽神社

厳島社

稲荷神社

和歌三神之社

妙義神社(みょうぎ~)は、群馬県甘楽郡妙義町にある神社。旧社格は県社。祭神は、日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿。上毛三山の一つである妙義山の東麓に位置する、妙義山信仰の中心の神社。総門、唐門、本殿・幣殿・拝殿が国指定の重要文化財。
社伝によると、創建は古墳時代の宣化天皇2年(537年)で、元は波己曽(はこそ)大神と称した(『日本三代実録』に記載のある国史見在社)。名称は後に妙義と改められたが、これは南北朝期に後醍醐天皇に仕えた権大納言長親卿が当地に移り住み、明々魂々たる山の奇勝を愛で明魂と名付けたものが後世妙義と変化したものだという。(権大納言長親卿は当社の祭神であり、出家後は子晋明魏(ししんみょうぎ)と号したことも興味深い。)江戸時代になると、関東平野の北西(乾:天門)に位置するため、鬼門の日光山・二荒山神社、裏鬼門の箱根山・箱根神社とともに関東の守護として、徳川将軍家の篤い崇敬を受けた。当社神宮寺・白雲山高顕院石塔寺は、上野東叡山寛永寺の直轄となり、寛永寺使節の宿坊(「宮様御殿」)が見晴しの良い場所に設けられた。
当社は、JR信越本線・西松井田駅の南西3kmの妙義山の麓にある。一の鳥居は県道196号線(走り屋やライダーの聖地)に面していて、目の前に「道の駅みょうぎ」がある。坂道を登ると総門(かつての仁王門)があり、その先に境内社や社務所などがあるが、社殿のあるメインの境内は石段を156段登った上にある。下から見上げると、まるでギリシャの神殿みたいで神秘的。黒塗りにして煌びやかな社殿や唐門も非常に美しく印象的。
今回は、群馬県の旧県社として参拝することに。参拝時は週末の午後、観光地にもなっているようで、家族連れなどが多く訪れていた。
※参拝当時、榛名山の榛名神社、赤城山の赤城神社とともに、上毛三社スタンプラリーをやっていた。こういうのを見ると、すぐにやりたくなる性分なので、残りの榛名神社、赤城神社にも行ってしまいそう...(^_^;)

県道に面した、巨大な<第一鳥居>と<社号標>。

公道の坂を登って行くと、階段の先にもう一つ<社号標>。

参道を進むと階段の先に、<総門>が見えてくる。

<総門>には仁王像が立っており、思いっきり神仏習合の名残りが溢れている。扁額は、別当寺であった「白雲山 高顕院 石搭寺」の「高顕院」の文字。
<総門>は、江戸時代の1756年建立、三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。国指定の重要文化財。

総門をくぐると、宮殿のような幅広階段がまだ幾重にも連なっている。階段の上に二の鳥居にあたる<銅鳥居>が見える。

階段の左側に2つの境内社。<和歌三神社>(左)と<稲荷神社>(右)。

階段の右側には、小さくかわいらしい<授与所>。御朱印はこちら。

少し離れたところに見える杉の大木。石柱には<天然記念物 妙義神社の大杉>と書いてあるが、説明を読むと天然記念物の大杉は1971年に倒れ、現在は2代目らしい。

先ほどの階段を上がると、こんな景色が広がる。美しくも荘厳な風景。
天まで届きそうな階段のさまは、自分的にはペルーのマチュピチュとか、古代ギリシャの神殿をイメージしてしまう。

階段を上がる前に、参道の右手にある<旧宮様御殿(現社務所)>。

参道の右手、旧宮様御殿の左隣にある<波己曽(はこそ)社>の社殿全景。

<波己曽社>の拝殿正面。最近改修したてなのか、彫刻の発色が美しい。

波己曽社の左側にある<厳島社>。

いよいよ階段を登る。その前に<手水舎>。

<太鼓橋>を渡った先に<男坂>と呼ばれる165段の階段が伸びる。ここまで110段の階段を登って来たのに、なかなかの仕打ち(笑)。
実は、男坂の手前で、右方向に向かうと<女坂>というなだらかな坂道があるので、急階段の<男坂>を回避できる。

男坂を半分登った辺りから<隋神門>を望む。階段が長い年月でうねっているのも面白い。

隋神門をくぐった正面ではなく、左方向にずれた位置に<唐門>がある。

<唐門>全景。じっくり見ると、彫刻も彩色も細かく、非常に美しい。
江戸時代の1756年建立で、桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。国指定の重要文化財。

<拝殿>全景。まさに豪華絢爛。さすが徳川家が寛永寺を経由して大事にして来ただけのことはある。
江戸時代の1756年建立。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。

<拝殿>正面。扁額を含め、随所に金色が使われ、煌びやかさを増している。

<社殿>全景(その1)。拝殿後ろの本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造。本殿と拝殿の間の幣殿は、桁行三間、梁間一間、一重、両下造。本殿・幣殿・拝殿合わせて1棟として、国指定の重要文化財。

<社殿>全景(その2)。少し角度を変えると表情が変わるが、建物の美しさ、バランスの良さは変わらない。

<社殿>全景(その3)。権現造の社殿の形が良く分かる。

唐門近くから、眼下を見下ろす。実際はかなり大きい銅鳥居や波己曽社がめちゃくちゃ小さく見える。

神域の右手から女坂経由でゆっくり下りる。<白雲山妙義大神>と書かれた石碑を発見。

その近くで、ポツンと建っている<愛宕社>。

トータルで、神社としても観光地としても素晴らしい。神聖な雰囲気の中、随所にサプライズがちりばめられている。
群馬県のおすすめ3選❄️
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