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まえはらせんげんじんじゃ

前原浅間神社(浅間神社古墳)
群馬県 篠塚駅

前原浅間神社(浅間神社古墳)について

東武小泉線沿いの小古墳上に立つ浅間社。
小社だが6月1日初山、8月21日に火祭りが行われ、札や護符が授かれる。
初山で額に押す朱印はあるらしいが、紙に押す朱印もあるかは不明。

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前原浅間神社(浅間神社古墳)の基本情報

名称前原浅間神社(浅間神社古墳)
読み方まえはらせんげんじんじゃ
ホームページhttp://www.webgunma.com/2004/

詳細情報

ご祭神《主》木花咲耶姫
《摂末社》彦穂瓊々藝命・食行身禄・烏帽子岩・祭神不明一社
創建時代弘安十年(1287年)
創始者大島(中野)次郎景継
ご由緒

前原浅間神社は新田義貞の忠臣中野藤内左衛門景春ゆかりの神社です。
中野氏のおこりは文永二年(1265)新田一族の大島次郎景継が佐貫庄中野郷に塁を築き、中野氏を称したのに始まります。景継は中野城を整備するとともに、新田大島の八幡山から八幡宮を勧請して鎮守とし片岡(前原、蛭沼、篠塚北部、藤川東部)の住民を移して元宿とし、箱田(光善寺)から移住させて上宿、下宿とするなど郭づくりと城下集落の形成を進めました。
また景継には男子が生れなかったので、駿河国富士山本宮浅間大神に祈願をおこしましたところ、弘安十年満願の日に男子が出生しました。そこで景継は二人の家臣を富士山に登らせ、中野城の西南に当る前原にその分霊を祀りました。これが前原浅間神社です。
中野景継の嫡男として生れた景春は、新田方の武将として活躍し、延元三年(1338)新田義貞が燈明寺畷において戦死すると、景継も殉死しました。景春五十二歳、老練知略の武将でした。

ご利益
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