えなじんじゃ
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高山市の東山寺院群、式内論社荏名神社⛩️
東山遊歩道の一番南東に当たります。
延喜式神名帳「飛騨国大野郡 荏名神社」は衰退して所在不明となっていましたが、文化15年(1818)高山の国学者田中大秀が、江名子村の「稲置の森」にある祠堂を荏名神社と同定し、これを再興しました。
なお、江名子町の荒神社を式内社とする説もあるようです。
拝殿に置かれた書置き御朱印をいただきました🖌️
狛犬さん
拝殿
荏名神社末社・若宮社
【飛騨國 式内社巡り】
荏名神社(えな~)は、岐阜県高山市江名子町1290にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は高皇産靈神と荏名大神。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「飛騨國 大野郡 荏名神社 小」の論社となっており、他の論社には荒神社(同市同町4946)がある。のちに衰退し所在不明となっていたが、江戸時代後期の1815年に高山の国学者・田中大秀が現高山市江名子町の稲置の森にあった子安大明神を、「荏名」が「胞衣」(胎盤)と解されるとして式内社・荏名神社に比定し、現社号に改称して再興した。
当社は、JR高山本線・高山駅の東南東2kmの平地の住宅街の中にある。境内東側には幹線道路の県道462号線が通っている。旧郷社相当のやや広めの境内には本物の河川<荏名子川>が流れていて、鳥居から社殿前の参道上には、文字通り本物の<神橋>が架かっている。社殿、境内社、社務所以外に、荏野文庫という田中大秀に関連する建物がある。
今回は、飛騨國の式内社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、自分たち以外には参拝者は見掛けなかった。
境内東端入口の<一の鳥居>と<社号標>。撮影位置の後方には県道が通っている。
参道左側には、田中大秀を顕彰する石碑が立っている。
参道途中には、境内を横切るように一般河川<荏名子川>が流れている。
参道左手にある<社務所>。残念ながら御朱印の領布はない。
参道には再び<鳥居>と<社号標>が現れる。
参道左側にある、小さな<手水盤>。
参道突き当りの<拝殿>全景。神明造の簡素な社殿。
拝殿前左側の<狛犬>。人間みたいな眼が特徴かな。
拝殿前左側の<狛犬>。オリジナリティあふれる風貌。
拝殿右側の建物。祭器庫かな。
拝殿左側の建物。拝殿とは渡り廊下で繋がっている。扁額の文字が読めないけど、いわゆる神楽殿かな。
拝殿に向かって左後方にある<荏野文庫>と社務所。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿近くにある境内社。社名を示す表札はなし。
本殿近くにある石碑。「田中大秀大人之碑」とある。
最後に<社殿>全景。江戸後期の国学者・田中大秀との繋がりが強い、由緒が明確な神社。(^▽^)/
飛騨国大野郡の式内論社です。かつては子安大明神として安産の神様として信仰されていました。境内に土蔵が二棟あります。
《一の鳥居》
☆チェックポイント!!
左の立て札に再興200…と書かれています。実は荏名神社は後世に一度荒廃して所在が分からなくなりました。のちにこの子安大明神が比定され現在の社名に改名しました。
《表参道》
《橋》
ここは太閤橋ではなく普通の橋ですね。
まぁ太閤橋にしてしまうと通れなくなるくらい狭いわけですが。
《社務所》
無人ですが、入り口の立て札に祈願祭の紹介がありましたから、連絡は取れるのでしょう。
《二の鳥居と社号碑》
《磐座》
大きい岩です。おそらくここが子安大明神だった頃からあったのでしょう。
《拝殿》
《本殿》
入母屋造です。
《末社・若宮社》
《荏野文庫土蔵》
高山の国学者、田中大秀さんの文庫土蔵で、火災と鼠害を避けるため池の中に建てられています。
また、この田中大秀さんがこの神社を荏名神社に比定した方です。
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