ちょうふくじ|真言宗智山派|青龍山
長福寺岐阜県 多治見駅
いつでも
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 本寺南側30台 |
本堂は開いていますので,自由に参拝に赴いて下さいとの事でした。
真言宗智山派 青龍山 長福寺
東海三十六不動尊霊場 第35番札所
御本尊 聖観世音菩薩坐像
どなたでもお参りしやすい感じのお寺でした。
聖観世音菩薩の他に不動明王をお祀りされていて、お堂にあがってお参りすることができます。
あとで知ったのですが、この日は第二土曜日ということで午前10時から護摩祈祷が行われる日だったようで、お堂内には既にお一人いらっしゃいました。
まだ9時半頃でしたが、ご住職に御朱印をお願いすると快く引き受けていただき、「お堂内でお待ちください」とのこと。
護摩祈祷待ちの方としばし雑談をしていると、ご住職が御朱印帳をお持ちくださいました。
とても優しそうなご住職で、近ければ時々お参りするのになと思いました。
<縁起>~いただいた長福寺展パンフレットより~
青龍山長福寺(弁天町)は真言宗智山派の寺院で、本尊は行基作と伝わる聖観世音菩薩です。江戸時代以前より本土神社の別当寺として、その管理にあたったことが棟札などからわかります。 また、室町時代に作られた大日如来坐像(市有形文化財)を有し、多治見を代表する中世寺院として知られています。
寺伝によれば長瀬郷の有力領主であった土岐氏庶流の源頼氏(長瀬氏)が僧侶・道忍上人に帰依し、元弘年間(1331 ~ 1334)に創建したとされます。頼氏は本土神社の社殿修復にもかかわった人物です。寺の創建に際しては灯明料として寺領50 石を与えて七堂伽藍を建立させたとされ、寺は長瀬氏の祈願寺であったと伝わっています。
7/24~12/22の間、長福寺展が開かれているそうです。
名称 | 長福寺 |
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読み方 | ちょうふくじ |
参拝時間 | いつでも |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0572-22-3549 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
東海三十六不動尊霊場 |
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ご本尊 | 聖観世音菩薩 不動明王 |
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山号 | 青龍山 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 鎌倉時代末期 |
開山・開基 | 土岐頼氏・道忍上人 |
体験 | 祈祷おみくじお祓い仏像御朱印お守り重要文化財祭り札所・七福神巡り花手水 |
概要 | 長福寺(ちょうふくじ)は岐阜県多治見市弁天町にある聖観世音菩薩と不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺院。東海三十六不動尊霊場三十五番。 |
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歴史 | 歴史[編集] 鎌倉時代末期の元弘年間(1331年~1334年)に、長瀬郷の領主であった源頼氏[1](長瀬入道)が開基し、当時尾張国中島郡大須(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)にあった真福寺寶生院の五世の道忍上人が開山したと伝わる。 文明年間(1496年~1487年)、領主より寺領として50石を下賜され、さらに燈明料として毎年30石の寄進があった。 正法3年(1646年)、住僧の清専は、尾張名古屋の大須観音真福寺寶生院の二十六世の信海を招いて中興開山とし、寺門興隆密法久住を念じ、信海より安養寺[2]一流の法流[3]を受け継ぎ法流地となり付法状[4]を与えられた。この時から長福寺は真福寺寶生院...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「長福寺 (多治見市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E5%A4%9A%E6%B2%BB%E8%A6%8B%E5%B8%82%29&oldid=100940103 |
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