えんきょうじ|高野山真言宗 別格本山|池鏡山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方圓鏡寺のお参りの記録一覧

岐阜県の岐阜・西濃地区の美濃新四国八十八ヶ所霊場+α巡りの10ヶ寺目は、岐阜市から少し西へ移動した本巣郡北方町にある池鏡山 円鏡寺です。
高野山真言宗で、本尊は聖観音菩薩。
この本尊・聖観音菩薩立像は重文、不動明王立像と金剛力士立像も重文です。(本尊は秘仏、不動明王立像は毎月21日に開扉、金剛力士立像は仁王門に安置のためいつでも観れます。)
美濃新四国八十八ヶ所霊場 第51番札所。
ーーー後日アップします。

御朱印

仁王門

阿形(重文)


吽形(重文)



薬師堂


弁財天


鐘楼

地蔵堂

本堂

本堂の裏側に収蔵庫
重文の秘仏本尊・聖観音菩薩立像を安置

三重塔

八幡神社


本坊の門

稲荷社

手水

大師堂

右側の引き出しの中に御朱印

庫裏

東海三十六不動尊霊場第32番の圓鏡寺さんに初参拝しました。
公園と境内が一体化しているような広々とした素敵な所でした。

楼門

運慶作 金剛力士像

楼門 境内から



鐘楼堂

観音堂

三重塔

庭園

本坊山門


本坊の本堂
あとで伺ったら、書き置きの御朱印がありました。

庫裡 こちらで直書きで御朱印をいただきました。


「東海三十六不動」第32番札所、「美濃新四国」第51番札所です。
母と伺いました。
811年、嵯峨天皇の勅命により空海が創建しました。
不動明王を本尊とし、定照寺と名づけられました。
補陀落上人により聖観音菩薩が安置されたことにより補陀落院と改称されました。
988年、良祐により現在の伽藍の元が築かれ、一条天皇より「池鏡山 円鏡寺」の名を授かりました。
境内に池を造った際に明鏡が出土、これを献上したことによります。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの歴代権力者からの保護を受けており、朱印状も受けています。
御朱印は本堂外にテーブルがありセルフでした。










本巣郡北方町にある圓鏡寺にお参りしました。
美濃三弘法の1番札所で、地名から北方弘法と親しまれています。
また、西美濃33霊場第3番、東海36不動尊第32番、美濃新四国第51番、美濃七福神弁財天の札所となっています。
住宅街にありますが、円鏡寺公園を挟んで、大師堂のある境内と、観音堂がある境内(写真の他にも、聖徳太子堂、薬師堂、弁天堂、忠魂堂があります)がありとても広く、庭園も美しくのんびりと参拝できました。
本坊の山門をくぐり直ぐに納経所の案内板があったので「あそこだな」と思い太子堂に向かった所、住職の奥様?が「今から法事があるので、御朱印帳あずかります」と言われ、美濃新四国の御朱印の事を伝えると、「納経所の場所に準備してあるますので、お持ち下さい すいません」と恐縮されましたが、結局小走りで持ってきて下さいました。お忙しい中で対応していただきありがとうございました<(_ _)>
歴史は、弘仁2年(811年)、嵯峨天皇の勅令により、空海が創建。不動明王を本尊とし、定照寺と名付けられ、後に、補陀落上人により聖観世音菩薩が安置され補陀落院と改称。
永延2年(988年)、良祐により現在の伽藍の元が築かれ、一条天皇より「池鏡山 圓鏡寺」の名を授かりました。享保16年(1731年)観音堂が焼失しましたが、寛保1年(1741年)再建されました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの歴代権力者からの保護を受けていて、朱印状も受けています。

本坊寺号標 山門

手水舎

大師堂 木造不動明王立像(国指定重要文化財)が祀られています

クロガネモチノキ 樹齢約200年あまり、幹回り3m、高さ9mあり別名「夫婦和合のモチ」とも言われています 昔の村の若者の悲恋物語が伝えられていますが、具体的には?です

山門横にある 見返りの庭

見返りの庭にある「大師腰掛けの石」

円鏡寺公園 以下は、観音堂がある境内です

楼門 両脇には、木造金剛力士像(国指定重要文化財)が祀られています

楼門の突き当たりにある観音堂 木造聖観音立像(国指定重要文化財)が祀られていて、お堂前には、大黒天、びんずる様が温かく迎えて下さいます

観音堂の横にある三重の塔

鐘楼堂

中央に池があり、大きなコイが元気に泳いでいます 少し奥には弁天堂があります

魚供養観音菩薩像 約15mあり大きなコイ?を抱えています 人間が生きるための食生活に欠かせない「魚」を供養するために建てられたそうです🐟

御朱印

811年嵯峨天皇の勅願により弘法大師・空海が創建した。
989年良祐が中興する。
楼門は1296年の建築、楼門に納められている金剛力士像は鎌倉時代の製作でいずれも重文指定されている。
明治神宮の南楼門建造時にモデルとなった建造物である。

楼門

楼門

金剛力士像

金剛力士像

薬師堂

弁天堂

魚供養観音

鐘楼

地蔵堂


観音堂

観音堂

観音堂




三重塔

三重塔

八幡神社

八幡神社


稲荷神社

稲荷神社

稲荷神社

山門

大師堂

和合もちの木

東海三十六不動尊霊場 第32番札所 圓鏡寺
高野山真言宗 ご本尊 不動明王 聖観世音菩薩
岐阜市北部の北方にあるお寺で、境内が広くて何処からがお寺の敷地なの?と思うほど。寺の敷地内に道路があるから、三重塔とお不動さまだけにお詣りして帰られる方もいるのでは?
まぁ、とにかく見所の多いお寺なので、写真📸ばかり撮ってお詣りが後回しになっちゃいました😱
当山は弘仁2年(811年)嵯峨天皇の勅願により「弘法大師」が、創建せられた真言宗の古刹である。弘法大師当山御造影中に不動明王(大正3年国宝指定)の尊像を彫まれ数十年後補陀落上人化来せられ本尊聖観音(大正3年国宝指定)を彫刻、安置せられる。
人皇大66代一条天皇の永延年中(987~989)中興の祖良祐上人真言の秘奥を究め、高名天聴に達し召されて参内し加持効験毎々に顕れ叡感殊に厚く、位階進められ、京都嵯峨御所内久達城院の一院と700石の寺領を拝領、本坊楼門、灌頂堂、経蔵、本地堂、宝塔、回廊など大伽藍を再建し、南谷北谷に各十六坊の塔中を構える。 宝前に池を穿ち、其の中に一嶋を築き弁財天女を祀る。此の時池中より明鏡を得。一条天皇に献上し池鏡山の山号を賜る。(勅額今に在り)
爾来織田信長、豊臣秀吉、徳川代々庇護を受け(将軍代々の寺領寄進の朱印状今に在り)明治20年には国より当寺護持の為永代基本金として多額の御下賜金を賜り今日に至る。

楼門



薬師堂

境内


弁天池

弁財天

聖徳太子堂



鐘楼

観音堂

大黒天

三重塔

稲荷神社


お不動さま

本堂

東海三十六不動尊霊場 第31番&美濃西国三十三観音霊場 第19番の次は東海三十六不動尊霊場 第32番の円鏡寺です。
岐阜市の西隣の本巣郡北方町に在る高野山真言宗の古刹です。
伝えによると811年に空海が創建したとの事であるが、円鏡寺となったのは989年。それでも1000年以上経っています。
公園を挟んで南西側に伽藍、北東側に本坊があり、2つの寺院に感じる。
21日は弘法大師の縁日で、公園内でフリーマーケットを行っていました。
伽藍側には重文の楼門があり、両脇に重文の金剛力士像が守護しています。参道の両側に弁天堂、薬師堂、聖徳太子堂があり、正面に観音堂。観音堂の本尊は重文の聖観音菩薩ですが、厨子の中でした。(開帳予定はないらしい)
観音堂は平成28年再建です。
その右手に三重塔がありますが、こちらも平成元年にできた塔です。更にその右手には八幡神社があります。(神仏分離で別けられたか?)
伽藍側の次は公園を横切って本坊へ行きました。山門をくぐると正面に大師堂があり、
内陣真ん中の厨子には弘法大師、左手に重文の不動明王、右手に如来?(メモるのを忘れてしまった。)が祀られています。
私が参拝した時に丁度 護摩祈祷が始まった所だったので、折角なので護摩木を炊いて戴き、内陣に上がって仏像を観る事ができました。
弘法大師の厨子は縁日という事で少しだけ扉が開けられていて、お顔は拝見出来ました。(護摩木を買わなくても祈祷が終われば内陣を観せて戴ける。)
納経帳に朱印を押印して戴きました。
尚、駐車場は楼門の北側に20台位停めれます。

御朱印


楼門(重文)

阿形

吽形

伽藍側の手水

薬師堂

弁天堂

聖徳太子堂

鐘楼

観音堂

三重塔

八幡神社


本坊側の山門

本坊側の手水

庫裡

樹齢200年のクロガネモチの木

大師堂
岐阜県のおすすめ2選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ


























































































































































10
0