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🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年10月24日(火)
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🌼多岐神社(たぎじんじゃ)⛩️に参拝させて頂きました🙏🌸当神社は、岐阜県養老郡養老町にあり、式内社で、旧社格は郷社です。🌺当神社は美濃国三宮です。ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、大市比咩尊(おおいちひめのみこと)です。🍁多岐神社の境内は1600坪にわたり、延喜式にも名を連ねる古社で、和銅元年(708)鎮座とされています。☘️明徳4年(1393)に足利義満が参拝したと伝えられ寛保3年(1743)には養老町一円と大垣市を一部含む村落内の55社の宗社でした。🌼境内社として、高山神社、三野神社、御鍬神社2社、八幡神社、カワマタ(サンズイに爪)稲荷、神明神社、藤代神社、素盞鳴神社が昭和30年代に合祀され、現在の状態になりました。また、社殿の裏には文治5年(1189)の銘をもつ如法経碑があり、養老町の指定文化財です。

🌷🌷参拝の帰りに養老街道沿いに建つ「日本料理のレストラ : わか山」に立ち寄りました。彩りもお味も満足、最後のお抹茶🍵はランチのサービスで、定食だとアイスクリームが出ます🌷🌷
  
👣所在地 : 岐阜県養老郡養老町三神町406−1

多岐神社(岐阜県)

花煮物 焼物和え物 「 日本料理 : わか山 」

多岐神社(岐阜県)

御朱印 : 多岐神社

多岐神社(岐阜県)

境内 多岐神社⛩️

多岐神社(岐阜県)

社号標と大鳥居⛩️

多岐神社(岐阜県)

☆多岐神社(三神町). 境内の藤代神社(右)
   泰戔嗚神社(左)

多岐神社(岐阜県)

境 内

多岐神社(岐阜県)

参 道

多岐神社(岐阜県)

神社内の風景

多岐神社(岐阜県)

多岐神社 : 入口付近

多岐神社(岐阜県)

奇瑞之稲穂発生の地碑 : 多岐神社

多岐神社(岐阜県)

拝 殿 : 多岐神社⛩️

多岐神社の建物その他

社務所前
社務所に箱の引出しの中に御朱印が置いてあります。" 自由に持ち帰り下さい" と書いてあったので賽銭箱に上げてきました

多岐神社の鳥居

鳥居⛩️から見た社殿

多岐神社(岐阜県)

社 殿 : 多岐神社⛩️

多岐神社(岐阜県)

養老街道沿いに建つ日本料理のレストラン
「 日本料理わか山」

多岐神社(岐阜県)

🍨花 べつばらすいーつ 
 「日本料理 : わか山」

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歴史

和銅年間創祀。延喜式神名帳に載せられたる古神社なり。当國神名帳にも従四位下多岐明神とて本郡十六社の内に入れられたり。里老の伝説に、元明天皇の和銅5年の鎮座にして山城國紀伊郡稲荷神社と同神なりと云へり。国史を按ずるに、是より先和銅4年2月山城國紀伊郡飯盛山に始めて稲荷神社を建給ひしこと見えたれば、その頃國守などより此地にも勧請して五穀豊熟を祈られたるものか。其の事実は今傳はらざれども、正中2年9月13日、藤原友貞と云者当社に納めたる釣仏の背面に大塚大社は和銅勧請の霊社にて云々と記したるを見れば、和銅年中の勧請なりと云へるは古く云ひ傳へたるものなるべし。当社に傳ふる処の古文書に依りて考ふるに、昔は旧多芸郡一郡の総社として社領数百石を有ち、神官社僧等も数人ありて祭祀を奉し、神威甚厳しかりしかば、俗に不破郡南宮神社を一の宮とし、武儀郡州原神社を二の宮とし、当社を三の宮とし、当國の三大社の一として諸人之を崇敬せしとぞ。本郡養老村石畑は当社に租税を納めたる時の受取証今猶存せりと云へり。該村は当社の社領たりしなるべし。かくて弘治永禄の頃、豪族世の動乱に乗じ社領を略奪し、神官、社僧を放逐せしより屡々祭典廃れ神威衰て、竟に一村の村社となるに至れり。然るに文明維新の盛世に遇ひ、神徳再び世に顕はれ、去る明治6年1月岐阜県下第三十五区同四十四区兼帯郷社に定められたり。大正2年4月10日養老郡多芸村大字多岐小字高畑字将基頭鎮座村社八幡神社、及同社境内三社同郡同村同大字小字多芸墳字枯木鎮座無格社藤代神社同郡同村同大字小字多芸墳字前田鎮座無格社素盞嗚神社を当社覆舎内に移転合併したり。

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名称多岐神社
読み方たぎじんじゃ
通称大菩薩
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》倉稲魂神,素盞嗚命,《配》大市比咩神
創建時代和銅年間
ご由緒

和銅年間創祀。延喜式神名帳に載せられたる古神社なり。当國神名帳にも従四位下多岐明神とて本郡十六社の内に入れられたり。里老の伝説に、元明天皇の和銅5年の鎮座にして山城國紀伊郡稲荷神社と同神なりと云へり。国史を按ずるに、是より先和銅4年2月山城國紀伊郡飯盛山に始めて稲荷神社を建給ひしこと見えたれば、その頃國守などより此地にも勧請して五穀豊熟を祈られたるものか。其の事実は今傳はらざれども、正中2年9月13日、藤原友貞と云者当社に納めたる釣仏の背面に大塚大社は和銅勧請の霊社にて云々と記したるを見れば、和銅年中の勧請なりと云へるは古く云ひ傳へたるものなるべし。当社に傳ふる処の古文書に依りて考ふるに、昔は旧多芸郡一郡の総社として社領数百石を有ち、神官社僧等も数人ありて祭祀を奉し、神威甚厳しかりしかば、俗に不破郡南宮神社を一の宮とし、武儀郡州原神社を二の宮とし、当社を三の宮とし、当國の三大社の一として諸人之を崇敬せしとぞ。本郡養老村石畑は当社に租税を納めたる時の受取証今猶存せりと云へり。該村は当社の社領たりしなるべし。かくて弘治永禄の頃、豪族世の動乱に乗じ社領を略奪し、神官、社僧を放逐せしより屡々祭典廃れ神威衰て、竟に一村の村社となるに至れり。然るに文明維新の盛世に遇ひ、神徳再び世に顕はれ、去る明治6年1月岐阜県下第三十五区同四十四区兼帯郷社に定められたり。大正2年4月10日養老郡多芸村大字多岐小字高畑字将基頭鎮座村社八幡神社、及同社境内三社同郡同村同大字小字多芸墳字枯木鎮座無格社藤代神社同郡同村同大字小字多芸墳字前田鎮座無格社素盞嗚神社を当社覆舎内に移転合併したり。

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