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たぎじんじゃ

多岐神社の御由緒・歴史
岐阜県 美濃高田駅

ご祭神《主》倉稲魂神,素盞嗚命,《配》大市比咩神
創建時代和銅年間
ご由緒

和銅年間創祀。延喜式神名帳に載せられたる古神社なり。当國神名帳にも従四位下多岐明神とて本郡十六社の内に入れられたり。里老の伝説に、元明天皇の和銅5年の鎮座にして山城國紀伊郡稲荷神社と同神なりと云へり。国史を按ずるに、是より先和銅4年2月山城國紀伊郡飯盛山に始めて稲荷神社を建給ひしこと見えたれば、その頃國守などより此地にも勧請して五穀豊熟を祈られたるものか。其の事実は今傳はらざれども、正中2年9月13日、藤原友貞と云者当社に納めたる釣仏の背面に大塚大社は和銅勧請の霊社にて云々と記したるを見れば、和銅年中の勧請なりと云へるは古く云ひ傳へたるものなるべし。当社に傳ふる処の古文書に依りて考ふるに、昔は旧多芸郡一郡の総社として社領数百石を有ち、神官社僧等も数人ありて祭祀を奉し、神威甚厳しかりしかば、俗に不破郡南宮神社を一の宮とし、武儀郡州原神社を二の宮とし、当社を三の宮とし、当國の三大社の一として諸人之を崇敬せしとぞ。本郡養老村石畑は当社に租税を納めたる時の受取証今猶存せりと云へり。該村は当社の社領たりしなるべし。かくて弘治永禄の頃、豪族世の動乱に乗じ社領を略奪し、神官、社僧を放逐せしより屡々祭典廃れ神威衰て、竟に一村の村社となるに至れり。然るに文明維新の盛世に遇ひ、神徳再び世に顕はれ、去る明治6年1月岐阜県下第三十五区同四十四区兼帯郷社に定められたり。大正2年4月10日養老郡多芸村大字多岐小字高畑字将基頭鎮座村社八幡神社、及同社境内三社同郡同村同大字小字多芸墳字枯木鎮座無格社藤代神社同郡同村同大字小字多芸墳字前田鎮座無格社素盞嗚神社を当社覆舎内に移転合併したり。

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