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とりかいはちまんぐう

鳥飼八幡宮
公式福岡県 唐人町駅

参拝は24時間可能です。
お守りや祈願受付など社務所の開所時間は、毎日9時~17時です。

御朱印について御朱印
あり

定番の御朱印は365日頒布しています。すべて書き込み&別紙でお渡し可能です。  ・本殿御朱印(鳥飼…

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
郵送対応
あり

オンライン授与所からご注文下さい。 https://hachimansama.jp/jyuyosh…

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御朱印帳
あり

普通サイズ(11×16)

大量の封筒
授与品のネット対応
あり

https://hachimansama.jp/jyuyosho/

パーキング
駐車場
あり

【駐車場】
祈願、授与所利用等の参拝者様は境内の駐車場を無料でご利用可能です。
約5台ほどの無料スペースのほか、コインパーキング(10台ほど)併設あり。
※駐車場のご利用は祈願中・参拝のみとさせていただきます。
※イベント開催中などは駐車場をご利用出来ない場合がございます。

鳥飼八幡宮について

古くて新しいお宮へようこそ
鳥飼八幡宮は縁むすび、病気平癒、勝負事、芸事、厄除けのご神徳で知られている神社です。
千八百年もの信仰の歴史が伝えられる古社で、江戸時代以降は城下町の発展とともに、氏子区域の方に支えられてきました。

歴史の長い神社ですが、一方で新しい取り組みに積極的な神社としても知られています。
令和四年に社殿を総建替し、祖霊殿(納骨堂)と合わせて、モダンな神社建築へ変化しました。境内地の整備も行い、江戸時代の風景を一変する勢いです。

またメタバース分社を創建して仮想空間へと広がりつつあります。 一見すると、歴史と伝統を脱ぎ捨てているように感じるかもしれません。
私たちは、千八百年の歴史と伝統を、再構成し次の百年、一千年へ伝えるために鳥飼八幡宮を最適化しています。

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惣一郎
惣一郎
2022年12月10日(土)
1269投稿

【筑前國 古社巡り】

鳥飼八幡宮(とりかい・はちまんぐう)は、福岡県福岡市中央区今川にある神社。旧社格は県社。祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命。福岡市の鎮守。

社伝によると、神功皇后が三韓征伐で新羅からの凱旋の折、姪浜に上陸し鳥飼村平山で村人の歓待を受けたが、胎内の皇子(のちの応神天皇)の将来を祝し近臣に自ら酒を勧めたという。のちに村人の子孫がその地に社殿を建て「若八幡」と名付けて祀ったのが始まりとしている。戦国時代には香椎宮大宮司の武内氏の支族が社職を司ったと伝わる。1600年の関ヶ原の戦いで軍功のあった黒田長政が筑前国主となり福岡城を築城すると、当社地に別邸を作ることになり、当社は平山式部丞重道が現在地に社殿を建て遷座した。明治に入り、近代社格制度のもの県社に列格した。

当社は、、福岡市地下鉄空港線・唐人町駅の西南西400mの市街地の中、明治通りの南側にある。境内は緑が多く、社殿を中心にした敷地は、市街地の中にあっても旧県社らしくなかなかの広さがある。参拝時は社殿自体を大規模工事中で仮参拝所が設けられていたが、たまたま「赤ちゃん相撲」の開催日時に当たってしまい、仮参拝所の前に相撲取りの人々が陣取っていたため、仮参拝所に近づくことさえできないというアクシデントに遭ってしまった。

今回は、福岡県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、天気が良かったこともあり、上述の通り多くの赤ちゃん連れ、子連れの夫婦、ママさんなどで溢れ返っていた。(^_^;)

鳥飼八幡宮(福岡県)

境内南東端入口全景。かなりしっかり木々が茂っていて、鳥居も社号標も見えない...(^_^;)

鳥飼八幡宮(福岡県)

入口右側にある<社号標>。

鳥飼八幡宮の鳥居

入口を入ると、すぐにある<注連柱>。左右の柱には5文字の漢字が記されている。
まず右の柱には「玉質発光輝」とあり、「持って生まれた資性は輝きを発する」という意味。
左の柱には「湿潤徳所践」とあって、 「恩恵、慈しみ、幸せを授かる入口」という意味らしい。

鳥飼八幡宮(福岡県)

注連柱のすぐ後ろにある<鳥居>。石製扁額には「八幡宮」の文字。

鳥飼八幡宮の山門

参道を進むと<楼門>をくぐる。扁額には「富無祝」の文字。富無くとも言祝ぐ(ことほぐ)と読むようで、意味は「財産はなくても幸せになれる」ということみたい。

鳥居と楼門の間の参道右側には仮設テントがあり、その中から泣いた子供の赤ちゃんとママさんが次々に出てくる。どうやら「泣き相撲」をやっているみたい。

鳥飼八幡宮の手水

楼門をくぐってすぐ、参道左側にある<手水舎>。今日はイベントの日で、境内はごった返している。

鳥飼八幡宮の建物その他

参道突き当りはこんな感じ。あいにく社殿は再建工事中。残念...涙

鳥飼八幡宮(福岡県)

少し離れたところから見ると、かなり大きな社殿みたい。

鳥飼八幡宮(福岡県)

手水舎の裏側、社殿の左側の賑わわっているエリア。「泣き相撲」は、本物の相撲取りがやっているみたい。

鳥飼八幡宮(福岡県)

道理で子供連れの夫婦、家族、親族が多いわけだ...(^_^;)

鳥飼八幡宮の建物その他

神職の方に話を聞くと、仮設の参拝所はお相撲さんの後ろのガラス張りのきれいな建物の前らしい。これではなかなか近づけない...(^_^;)

鳥飼八幡宮(福岡県)

楼門をくぐってすぐ左手にある<社務所>。御朱印はこちら。

鳥飼八幡宮(福岡県)

最後に、社務所と手水舎の間に立つ蘇鉄の古木。「千年蘇鉄」と名付けられている。(^▽^)/

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鳥飼八幡宮の基本情報

住所福岡県福岡市中央区今川2-1-17
行き方

◆福岡市営地下鉄
「唐人町駅」より徒歩6分
「西新駅」 より徒歩7分

◆西鉄バス
「地行」バス停下車すぐ
「今川西町公園前」バス停下車すぐ

◆お車でのアクセス
福岡都市高速環状線
・環状線外回り:百道出口から降り、よかトピア橋西交差線を左折、道沿いに直進し地行交差点右折するとすぐに左手に鳥居が見えて来ます。すぐに境内駐車場入り口があります。
・環状線内回り:西公園出口から降り、福浜団地入口交差線を左折、直進し黒門橋交差点右折してください。明治通りを約700m直進すると左手に鳥居が見えて来ます。すぐに境内駐車場入り口があります。

◆チャリチャリ
ポートが明治通り側の境内入口にございます。

◆ラクすく
ポートが明治通り側の境内入口にございます。

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名称鳥飼八幡宮
読み方とりかいはちまんぐう
参拝時間

参拝は24時間可能です。
お守りや祈願受付など社務所の開所時間は、毎日9時~17時です。

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし

トイレ駐車場付近にあります。男性個室、女性個室、多目的トイレが1つずつございます。
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印の郵送対応あり

オンライン授与所からご注文下さい。
https://hachimansama.jp/jyuyosho/
オンライン授与所では御朱印・御守を頒布しておりますが、郵送祈願などをご希望の方は直接神社へお問い合わせください。

電話番号092-741-7823
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@hachimansama.jp
ホームページhttps://hachimansama.jp/
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詳細情報

ご祭神◆本殿
《主》応神天皇,神功皇后,玉依姫尊,《合祀》大物主大神,崇徳天皇

◆境内社「黒殿神社」
武内大臣,鳥飼黒主

◆境内社「天満宮」
菅原道真公,《合祀》倉稲魂命

◆境内社「恵比須神社」
八重事代主神,市杵島姫神,弁財天

◆境内社「塩竈北辰神社」
武甕槌神,経津主神,塩土翁神,天御中主神
本殿神明造
文化財

鳥飼八幡宮子供獅子まわし(福岡市無形民俗文化財)

ご由緒

鳥飼八幡宮の由緒
神社記、平山氏家記、鳥飼若八幡宮縁起、筑前国続風土記、太宰管内誌その他の古記に、鳥飼八幡宮の成り立ちが記されています。

神功皇后が新羅より凱旋し姪浜に上陸され、夜になって鳥飼村平山というところにお着きになられました。この時、その村長はじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后はたいへんお喜びになり胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を御祝いして、近臣等に自らお酒を勧め、この地にお泊りになられました。後に村長になった人物の子孫が神功皇后ゆかりの地に社殿を建てて、「若八幡」と名付けて祀ったのが鳥飼八幡宮の発祥と伝えられています。
神社は代々鳥飼氏が奉祀していましたが中世以降、戦乱の時代になると香椎宮大宮司の武内氏の支族を招いて社職を司らせました。

その後慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いでの軍功により黒田長政公が筑前の国主となり福岡城を築き、慶長13年(1608年)に鳥飼村八幡宮御社地に長政公の別邸を建てることになり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建てて平山式部丞重道が八幡宮を遷し祀りました。
その後寛永2年(1625年)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立し、正遷宮を行いました。この拝殿は重道が自力で建立し、古宮付近の土地を「茶屋の内」または「茶屋の山」と呼ぶようになりました。鳥飼村の氏子たちは祭典が途絶えてしまっていたことを嘆き、寛永18年(1641年)から再びさまざまな祭典を行うようになり、これは今日でも途絶える事なく続けられている「宮座献饌祭」といわれています。

鳥飼八幡宮に御供を祀るため、古くからの習しに従い藁の包みに入れ精進潔斎をして供進するのですが、その通路にあたる鳥飼~八幡宮に至る間の道は「御供道(ごくみち)」と呼ばれました。現在の鳥飼三丁目埴安神社横より西町公園に至る小道がそれにあたります。
明治35年には、旧社地に福岡女子師範学校が建設される事になり、大正12年5月に有志が「神功皇后御駐輦の跡」と記した石造の記念碑を建てました。こちらは現在の福岡市立南当仁小学校西側県営住宅のなかにあります。

黒田藩と鳥飼八幡宮
戦国時代末期の天正14年(1586年)、九州筑前は大友・龍造寺・島津の三者が覇を競う混乱の中にありました。大友氏の勢いが衰退すると、肥前の龍造寺氏が筑前に進入してきました。宮司であった鳥飼宮内少輔氏勝は近隣の豪族と 共に龍造寺氏に降りましたが、大友氏の家臣、岩屋城主高橋紹運に夜襲を受け父子とも討死しました。社殿なども全て焼失し、祭祀は一旦断絶しました。
関ヶ原の戦後に筑前に入封された黒田長政公は、慶長13年(1608年)、福岡城西の大堀(現在の大濠公園)のほとりに別邸を建築する事となり、その地として鳥飼村平山の八幡宮境内地が選ばれました。代わりに現在の境内地を賜り、大豆18石を奉納頂きました。
寛永2年(1625年)、氏子によって新たな社殿が造営された際には、そのお祝いに2代忠之公より米7石の奉納を賜り、鳥飼八幡宮は福岡城西の総氏神として、城下の人々の崇敬を集めました。以来、城の西側で生まれた子供達は当宮でお宮参りなどを行い、大いに賑わうこととなりました。

明治維新後、黒田家当主は侯爵となりました。最後の藩主12代黒田長知公のご子息である黒田長成公にはいくつかの書を奉納頂いており、鳥飼八幡宮の石鳥居(大通り側一の鳥居)神額は長成公十歳時の筆と伝わっています。
現在でも黒田家家臣の子孫によって結成された籐香会の会合は、当宮の参集殿で開催されています。
鳥飼八幡宮は藩主から民衆まで、福岡城西の総氏神として人々の崇敬を集め、今日まで変わらず鎮座しています。

皇室との交流
大正11年、大正天皇の皇后、貞明皇后が神功皇后御駐輦碑へ行啓(金子堅太郎随行)
大正12年、久邇宮良子女王(昭和天皇皇后)が神功皇后御駐輦碑へ行啓
昭和19年、貞明皇太后へ宮座藁苞を献上
昭和24年、昭和33年、行幸中の昭和天皇へ宮座藁苞を献上

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