御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
明石寺ではいただけません
広告

めいせきじ|天台寺門宗源光山(げんこうざん)

明石寺
愛媛県 卯之町駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内手前左側 20台(無料)※大型バス/中型バス1000円・マイクロバス500円

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第43番
南予七福神霊場第5番(布袋尊)

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月28日(日)
189投稿

【源光山(げんこうざん)円手院(えんしゅいん)明石寺(めいせきじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:天台寺門宗
開基:円手院正澄
 明石寺の起源は古く、6世紀の前半に円手院正澄(しょうちょう)という行者が第29代 欽明天皇(在位532-571)の勅命で開いたとされる。その後、734(天平6)年、寿元(じゅげん)という行者が紀州熊野から12権現を迎え、12坊を建てて修験道の中心道場とした。その後、荒廃していた寺を弘法大師(774-835)が再興。鎌倉時代には源頼朝が、再び寺を修復している。このとき山号が「現光山」から「源光山」に改められた。
 明石寺は、「めいせきじ」と読むが、もとは「あげいしじ」という名で、今でも地元の人からは「あげいしさん」と呼び親しまれている。「あげいし」は古い伝説に由来し、美しい女神が願をかけて山に石を運んだという話がもとになっている。

明石寺の山門

【43_T.Hamada's view】
 山門

明石寺の授与品その他

【43_夫婦杉】
 広い境内は森林の緑濃く、静かで霊験あらたか。大師堂の脇には杉の巨木が2つならび立ち、「夫婦杉」と呼ばれ、親しまれている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

明石寺の自然

【43_夫婦杉】

明石寺の本殿

【43_本堂】

明石寺の建物その他

【43_大師堂】

明石寺の手水

【43_龍の手水舎】

明石寺の建物その他

【43_地蔵堂】

明石寺の芸術

【43_本堂の天井画】
 本堂外陣の天井には、奉納された絵馬が天井画として飾られている。

明石寺の建物その他

【43_弘法井戸】

明石寺の建物その他

【43_宇和西国三十三ヶ所霊場】
 納経所の隣から、西国三十三ヶ所の観音石像が置かれている道を上がった先に「しあわせ観音像」が建立されている。

明石寺の仏像

【43_しあわせ観音像】

明石寺の御朱印
もっと読む
投稿をもっと見る(21件)

明石寺の基本情報

住所愛媛県西予市宇和町明石201
行き方

卯之町駅より (1.7km)
宇和島バス 「宇和高校前」 (1.0km)
42【佛木寺】より
(自家用車)約30分 約16km
(徒歩)約4時間 約11km
44【大宝寺】より
(自家用車)約2時間 約78km
(徒歩)約20時間 約70km

アクセスを詳しく見る
名称明石寺
読み方めいせきじ
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0894-62-0032
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

南予七福神霊場

第5番

御本尊:布袋尊

御真言:

おんまいたれいやそわか

御詠歌:

聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号源光山(げんこうざん)
院号円手院(えんじゅいん)
宗旨・宗派天台寺門宗
創建時代六世紀前半
開山・開基円手院正澄
文化財

伊予遍路道 大宝寺道、伊予遍路道 明石寺境内(国の史跡)
仁王門、本堂、大師堂、地蔵堂、鐘楼堂、客殿、手水舎、石段および石垣(仁王門前)、石段および塀(本堂前)(国の登録有形文化財)
絹本著色熊野曼荼羅図 1幅(愛媛県指定有形文化財)
檜皮(ひわだ) 西予市明石寺ヒノキ材(ふるさと文化財の森)

ご由緒

明石寺が所在する西予市宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町である。明石寺にもまた奇逸な歴史の縁起が残されている。
まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされている。のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。
弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。
以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。

体験御朱印宿坊札所・七福神巡り

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ