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こくぶんじ|真言律宗金光山(こんこうざん)

国分寺
愛媛県 伊予富田駅

納経所/7:00~17:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

石段下 20台 大型3台(普通車200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所 第59番 
伊予府中十三石仏霊場 第7番薬師如来

おすすめの投稿

to_sun
2023年06月05日(月)
175投稿

【金光山(こんこうざん)最勝院(さいしょういん)国分寺(こくぶんじ)】
本尊:薬師瑠璃光如来
宗派:真言律宗
開基:行基菩薩
 伊予国分寺は、諸国国分寺と同様、741(天平13)年、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅命により行基菩薩が開創した。その後、弘法大師(774-835)がここに滞在した際に五大明王の画像を奉納したとされる。当時は、高さ60mもの七重塔がそびえる大寺院だったが、堂宇は、藤原純友の乱、源平合戦、南北朝の動乱、天正の兵火(長宗我部の兵火)など4度の戦火により焼失を繰り返している。しばらくの間、茅葺きの小堂が寂しく建つのみだったという。江戸時代の後期になってようやく再興が進み、本堂は1789(寛政元)年に恵光上人が金堂として建立している。国分寺の隣には、鎮守として奈良の春日大社から御分霊を勧請(かんじょう)した春日神社がある。

国分寺(愛媛県)

【59_T.Hamada's view】
 春祭りの境内入口。

国分寺(愛媛県)

【59_握手修行大師】
 「握手修行大師」は、一つだけ願いを込めて握手すれば、願いが叶うとされる。あれもこれも欲張らず、一つだけ大切な願いを祈ってみては。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

国分寺(愛媛県)

【59_握手修行大師】

国分寺(愛媛県)

【59_本堂】

国分寺(愛媛県)

【59_大師堂】

国分寺(愛媛県)

【59_薬師如来座像】

国分寺(愛媛県)

【59_薬師如来の薬壺】

国分寺(愛媛県)

【59_弁財天】
 とく・とく弁天(功徳・福徳円満)。

国分寺(愛媛県)

【59_七福神石仏】

国分寺の御朱印
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国分寺の基本情報

住所愛媛県今治市国分4-1-33
行き方

伊予富田駅(2.1km)
せとうちバス 桜井団地循環もしくは唐子台循環「国分寺」下車(0.2km)
58【仙遊寺】より
(自家用車)約30分 約8km
(徒歩)約1時間40分 約6.2km
60【横峰寺】より
(自家用車)約1時間30分 約30km
(徒歩)約10時間 約33km

アクセスを詳しく見る
名称国分寺
読み方こくぶんじ
参拝時間

納経所/7:00~17:00

トイレ鐘の先
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0898-48-0533
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

第59番

御真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

御詠歌:

守護のため 建ててあがむる 国分寺 いよいよ恵む 薬師なりけり

詳細情報

ご本尊薬師瑠璃光如来
山号金光山(こんこうざん)
院号最勝院(さいしょういん)
宗旨・宗派真言律宗
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基菩薩
文化財

伊予国分寺塔跡(国の史跡)
紙本金地著色柳橋図、国分寺文書(県指定有形文化財)
とうつばき(今治市指定天然記念物)
十二天画像 12幅、随求菩薩画像 1幅、弘法大師画像 1幅、不動明王画像 1幅、両界曼荼羅図 2幅、普賢菩薩画像 1幅、十六羅漢画像 1幅、十三仏画像 1幅、後西天皇宸筆 1巻、大般若経 402巻、綸旨院宣奉書等通直判物 1巻、霊乗上人言上状附綸旨庁宣等案 1巻:、坪付 1巻(今治市指定有形文化財)

ご由緒

伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。

体験御朱印札所・七福神巡り

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