こくぶんじ|真言律宗|金光山(こんこうざん)
国分寺愛媛県 伊予富田駅
納経所/7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 石段下 20台 大型3台(普通車200円) |
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の5寺院目です。
香園寺から車で20分ほどでした。
駐車場から石段を少し上ると境内です。
土の部分がとても広いのですが 雑草が生えていません。きれいに整備されています。
こういうのが好きです。ご住職たちの心が伝わってくるようです。
建物としては 本堂と大師堂と金毘羅堂と納経所だけですが すっきりしていて気持ちがいいです。
境内の握手修行大師像は 今まで観てきた大師像とは表情が少し違いました。
「お大師様と握手をして 願い事を一つだけ あれもこれもはいけません お大師様も忙しいですから」 この言葉が身に沁みました。
世俗的な私たちは すぐに何でもかんでもお願いしてしまいますからね。
境内に大きな古木が1本あるのですが 幹に寄生植物が生えていて いつの時代から生えているんだろうなぁと思いました。
山号は金光山 宗派は真言律宗 寺格は別格本山 ご本尊は薬師瑠璃光如来 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
でした。
由緒については
天平13年(741年) 聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つである。
国分寺は『金光明最勝王経』による国家鎮護の寺であり 当寺もそれから山号・院号がつけられている。
寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開創し 第三世・智法律師のとき 空海が逗留し五大明王の画像を その後 真如は法華経を奉納したとされる。
史実としては 具体的な創建年は定かでないが 『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年) 伊予国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したとの記載があり この頃には完成していたものと思われる。
興亡を繰り返し 天慶2年(939年)の藤原住友の乱 元暦元年(1184年)の源平合戦 貞治3年(1364年)の細川頼之による兵火などで焼失 また 天正12年(1584年)長宗我部元親の侵攻の際に焼き討ちにあって荒廃したが そのたびに再興される。
焼失を免れた多くの古文書によって律令制衰退後に国分寺の多くが荒廃していく中で 同寺が伊予における仏教信仰の中心地として曲がりなりにも維持されてきたことが明らかになっている。
とありました。
駐車場から境内に続く石段
石柱
見た目ほどきつくはありません
鐘楼
柱門
薬師のつぼ
握手修行大師像
手水
本堂
内陣
大師堂
内陣
古木が1本
幹に寄生植物が
境内全景
薬師如来像
由緒書
住所 | 愛媛県今治市国分4-1-33 |
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行き方 | 伊予富田駅(2.1km)
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名称 | 国分寺 |
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読み方 | こくぶんじ |
参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
トイレ | 鐘の先 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0898-48-0533 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 薬師瑠璃光如来 |
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山号 | 金光山(こんこうざん) |
院号 | 最勝院(さいしょういん) |
宗旨・宗派 | 真言律宗 |
創建時代 | 天平13年(741) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
文化財 | 伊予国分寺塔跡(国の史跡)
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ご由緒 | 伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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