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国分寺ではいただけません
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こくぶんじ|真言律宗金光山(こんこうざん)

国分寺
愛媛県 伊予富田駅

納経所/7:00~17:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

石段下 20台 大型3台(普通車200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所 第59番 
伊予府中十三石仏霊場 第7番薬師如来

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年09月03日(火)
2003投稿

3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の5寺院目です。
香園寺から車で20分ほどでした。
駐車場から石段を少し上ると境内です。
土の部分がとても広いのですが 雑草が生えていません。きれいに整備されています。
こういうのが好きです。ご住職たちの心が伝わってくるようです。
建物としては 本堂と大師堂と金毘羅堂と納経所だけですが すっきりしていて気持ちがいいです。
境内の握手修行大師像は 今まで観てきた大師像とは表情が少し違いました。
「お大師様と握手をして 願い事を一つだけ あれもこれもはいけません お大師様も忙しいですから」 この言葉が身に沁みました。
世俗的な私たちは すぐに何でもかんでもお願いしてしまいますからね。
境内に大きな古木が1本あるのですが 幹に寄生植物が生えていて いつの時代から生えているんだろうなぁと思いました。

山号は金光山 宗派は真言律宗 寺格は別格本山 ご本尊は薬師瑠璃光如来 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
でした。

由緒については
天平13年(741年) 聖武天皇が発した国分寺建立の詔によって建立された諸国国分寺の一つである。
国分寺は『金光明最勝王経』による国家鎮護の寺であり 当寺もそれから山号・院号がつけられている。
寺伝では聖武天皇の勅願により行基が開創し 第三世・智法律師のとき 空海が逗留し五大明王の画像を その後 真如は法華経を奉納したとされる。
史実としては 具体的な創建年は定かでないが 『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年) 伊予国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜したとの記載があり この頃には完成していたものと思われる。
興亡を繰り返し 天慶2年(939年)の藤原住友の乱 元暦元年(1184年)の源平合戦 貞治3年(1364年)の細川頼之による兵火などで焼失 また 天正12年(1584年)長宗我部元親の侵攻の際に焼き討ちにあって荒廃したが そのたびに再興される。
焼失を免れた多くの古文書によって律令制衰退後に国分寺の多くが荒廃していく中で 同寺が伊予における仏教信仰の中心地として曲がりなりにも維持されてきたことが明らかになっている。
とありました。

国分寺(愛媛県)

駐車場から境内に続く石段

国分寺(愛媛県)

石柱

国分寺(愛媛県)

見た目ほどきつくはありません

国分寺(愛媛県)

鐘楼

国分寺(愛媛県)

柱門

国分寺(愛媛県)

薬師のつぼ

国分寺(愛媛県)

握手修行大師像

国分寺(愛媛県)

手水

国分寺(愛媛県)
国分寺(愛媛県)

本堂

国分寺(愛媛県)
国分寺(愛媛県)

内陣

国分寺(愛媛県)

大師堂

国分寺(愛媛県)
国分寺(愛媛県)

内陣

国分寺(愛媛県)

古木が1本

国分寺(愛媛県)

幹に寄生植物が

国分寺(愛媛県)

境内全景

国分寺(愛媛県)

薬師如来像

国分寺(愛媛県)

由緒書

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国分寺の基本情報

住所愛媛県今治市国分4-1-33
行き方

伊予富田駅(2.1km)
せとうちバス 桜井団地循環もしくは唐子台循環「国分寺」下車(0.2km)
58【仙遊寺】より
(自家用車)約30分 約8km
(徒歩)約1時間40分 約6.2km
60【横峰寺】より
(自家用車)約1時間30分 約30km
(徒歩)約10時間 約33km

アクセスを詳しく見る
名称国分寺
読み方こくぶんじ
参拝時間

納経所/7:00~17:00

トイレ鐘の先
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0898-48-0533
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊薬師瑠璃光如来
山号金光山(こんこうざん)
院号最勝院(さいしょういん)
宗旨・宗派真言律宗
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基菩薩
文化財

伊予国分寺塔跡(国の史跡)
紙本金地著色柳橋図、国分寺文書(県指定有形文化財)
とうつばき(今治市指定天然記念物)
十二天画像 12幅、随求菩薩画像 1幅、弘法大師画像 1幅、不動明王画像 1幅、両界曼荼羅図 2幅、普賢菩薩画像 1幅、十六羅漢画像 1幅、十三仏画像 1幅、後西天皇宸筆 1巻、大般若経 402巻、綸旨院宣奉書等通直判物 1巻、霊乗上人言上状附綸旨庁宣等案 1巻:、坪付 1巻(今治市指定有形文化財)

ご由緒

伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。
その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。
幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。

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