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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※八坂寺ではいただけません

やさかじ|真言宗醍醐派熊野山(くまのざん)

八坂寺

愛媛県 梅本駅

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089-963-0271

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お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内左側 50台(無料)

巡礼

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)
四国八十八箇所第47番
伊予十三仏霊場第10番

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のぶさん
2020年08月17日(月)
1212投稿

田園のゆるやかな坂の上に、四国八十八ヶ所の第47番札所 熊野山妙見院 八坂寺があります。
その歴史は古く修験道の開祖 役行者小角が600年代に開山、701年(大宝元年)に文武天皇の勅願寺として伊予の越智玉興公が七堂伽藍を創建。この時、大友山(大友城址)に8ヶ所の坂を切り開いて伽藍を創建したことから「八坂」という名前が付けられました。815年から滞在した弘法大師が荒廃していた寺を再興し、四国八十八ヶ所霊場に定めます。修験道の根本道場として栄え、12坊84末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺でしたが、天正年間の兵火のため伽藍は焼失し再興に至ります。

八坂寺の山門八坂寺の建物その他八坂寺の手水八坂寺の建物その他八坂寺の地蔵八坂寺の建物その他八坂寺(愛媛県)八坂寺の建物その他八坂寺の建物その他

本堂と大師堂の間に閻魔堂があります。美しい浄土を描いた「極楽の途」と修羅道などを描いた「地獄の途」があり、地獄から入って極楽から出ると極楽浄土へ行けると言われています。今までの過ちを閻魔大王の前で悔い改める決意をし、不殺生・不偸盗・不妄語などの「十善戒」の教えを守ることを誓うという「極楽往生通行手形」があります。棺の中に1緒に納めると、極楽へ行くことができると言われています。

八坂寺の建物その他八坂寺の山門八坂寺の建物その他八坂寺の本殿八坂寺の本殿八坂寺の建物その他八坂寺の建物その他八坂寺の建物その他八坂寺の本殿八坂寺の像八坂寺の建物その他八坂寺の建物その他八坂寺の仏像八坂寺の建物その他
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歴史

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。

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八坂寺の基本情報

住所愛媛県松山市浄瑠璃町773
行き方

伊予鉄バス 八坂寺前バス停
46【浄瑠璃寺】より
(自家用車)約5分 約1km
(徒歩)約15分 約1km
48【西林寺】より
(自家用車)約8分 約4km
(徒歩)約1時間 約4.5km

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名称八坂寺
読み方やさかじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-963-0271
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号熊野山(くまのざん)
院号妙見院(みょうけんいん)
宗旨・宗派真言宗醍醐派
創建時代大宝元年(701)
開山・開基役行者小角
札所など

四国八十八箇所第47番
伊予十三仏霊場第10番

文化財

阿弥陀如来坐像(愛媛県指定有形文化財)
宝篋印塔、層塔(松山市指定有形文化財)

ご由緒

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。
弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。

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