たかたきじんじゃ
高瀧神社千葉県 高滝駅
御朱印受付
月曜~金曜
午前9時~午前11時30分
午後1時~午後4時
土日祭
午前9時~午後12時30分
午後1時~午後4時
たかたきじんじゃ
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土日祭
午前9時~午後12時30分
午後1時~午後4時
房總三國神社御朱印巡り、高瀧神社を参拝しました。
令和5年2月4日、小御門神社から始めたこの御朱印巡りが、今日ついに完結します。
いつもより石段上がる足取りも軽やかにまずは参拝、無事に全て回ったことを報告しました。
御朱印の授与は社務所ではなく参集殿でした。御朱印と連絡帳をお渡しすると、「満願…、あっ、大満願ですね。」と確認され、御朱印をお書き入れいただきました。
御朱印と一緒に記念品をいただき、晴れて大満願です! 記念品はネタバレになるといけないので画像はやめておきます(もう散々バレてるかもですが)。
高瀧神社は高滝湖の真ん中にあり、参拝後湖周辺を散策しようとしたのですが、あまりに暑くてすぐ退散しました。秋は紅葉の名所らしいので、その頃もう一度参拝できたらいいな。
お書き入れで拝受しました。
鳥居の反対側には高瀧湖が。
午後の写真はこうなりがちですよね。
扁額
あっ、上總國の満願達成日、書かれてない。後で足しとこ。
房総三國神社御朱印めぐり、上總國、高瀧神社(市原市)です。
日本三代実録によると、貞観じょうがん10年(868年)に上総国かずさこく正六位しょうろくい上・高滝神従五位じゅごい下の神階を授かったという記載がされており、白鳳はくほう2年(674年)に鎮座されました。
古くから安産・子育ての霊験で知られ、「底なし袋」という高瀧神社独特の信仰があります。
社伝によると、天武天皇元年(672年)にニニギを祀って高瀧神と号したとされています。
承安じょうあん年間(1171年~1175年)に、京都の上賀茂神社、下鴨神社より分霊を勧請・合祀し、以来「賀茂明神」と呼ばれるようになりました。
高瀧という名は、かつて養老川の上流、夷隅いすみ郡粟又あわまた村(現在の大多喜町・粟又)の高瀧(通称・粟又の滝)の岸に鎮座していたことに由来しています。
洪水で御神体が流されて現社地に祀られるようになり、当地にあったタマヨリヒメを祀る神社と、粟又の滝近くにあったニニギとワケイカヅチを祀る神社を合祀したとのことです。
名称 | 高瀧神社 |
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読み方 | たかたきじんじゃ |
通称 | 賀茂大神宮・加茂大明神 |
参拝時間 | 御朱印受付
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0436-98-0472 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
ご祭神 | 《主》玉依姫命,《配》迩迩芸命,別雷命 |
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創建時代 | 672年(天武天皇元年) |
ご由緒 | 社伝によれば、天武天皇元年(672年)、邇々芸命(ににぎのみこと)を祀って高瀧神と号したとされます。
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体験 | 御朱印 |
概要 | 高瀧神社(たかたきじんじゃ)は、千葉県市原市にある神社。旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝[編集] 社伝によれば白鳳元年8月、はじめて瓊瓊杵尊を祀って「高滝神」と称した[1]。白鳳2年、上総国海上郡下地村と呼ばれていたこの地に、山背国の両加茂社を勧請したといい、これによって下地村は加茂村と名を改めたという[2]。 古代・中世[編集] 『日本三代実録』によれば、貞観10年(869年)9月17日に上総国の「高滝神」に従五位下の神階が与えられた[3][4]。 平安時代末期の承安年間(1171年 - 1175年)に加茂社を勧請し、加茂大明神を称した[1]。これにより当時の下地村は「加茂村」と名を改めたとされる[5]。戦国期の天文3年(1534年)に里見氏が上総国...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「高瀧神社 (市原市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E7%80%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%B8%82%E5%8E%9F%E5%B8%82%29&oldid=99509556 |
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