約655年の歴史をもつ日蓮宗の寺院(達師法縁)である。日胤が1361年(正平16年)4月28日に中山より当村(御門)を閑居の地として堂宇を創立、同年5月に中山法華経寺より寺号許可を得、同年(南朝は正平16年、北朝は康安元年)11月17日に遷化されたと言われている。日胤は、中山法華経寺2世日高(大田乗明の息子)の俗甥で、日蓮の教えを広め、信者を教化育成し、立正安国の聖業に精進されたと言われている。
一説に、本光寺は山号を光胤山と称するが、これは千葉氏の重臣原氏の一族である原豊前入道光胤の名前からとったものであり、光胤は一方で豊前坊なる坊を営んでおり、この坊が当寺の前身であったとも言われている。光胤は原胤親の息子。通称は孫二郎、官途は豊前守、のち入道して豊前入道、法号は荘覚院。1466年(寛正7年)2月7日(2月6日説も)、吉川(現在の埼玉県吉川市)での戦いで討死した。
1776年(安永5年)11月、第19世寛具院日正(日荘)により、源頼政を勧請。
1816年(文化13年)、第23世智義院日理により中興され、堂宇を再建。鬼子母神、大黒天、妙見菩薩などを勧請。
1874年(明治7年)、本光寺に大台小学校が開校(市川市で2番目に古い大柏小学校(後述)の前身)される。1900年(明治33年)に大台小学校は移転され、大柏尋常小学校、大柏小学校と改名され現在に至っている。
1967年(昭和42年)、第34世輝尚院日住により本堂を再建し、1971年(昭和46年)に客殿を再建。七面天女、帝釈天、弁才天などを勧請。
境内には、永代供養のための観音菩薩、水子供養のための地蔵菩薩、大野天満宮などがある。大野天満宮には、菅原道真(学問の神)、加藤清正(必勝の神)、源頼政(縁切りの神)などが祀られている。
現住職は35世尾藤宏明(潮師法縁、1993年晋山)。御廟所、永代供養墓、動物供養之塔、樹木葬などを建立。
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