おおひじんじゃ
意富比神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
神社巡りをはじめてから2回目の訪問です。
船橋地方最大最古の古社
創建~約1900年との事です。
以下 意富比神社のリーフレットより抜粋
現在の御祀神は天照皇大神
平安中期の『日本三代実録』貞観5年(863)の記事で、「下総国意富比神」とあります。これは、船橋市域に関する文献として最古のものです。また平安中期の格式ある神社を記した『延喜式』(えんぎしき)の「神名帳」(じんみょうちょう)にも、下総国11社の中に「意富比神社」として載せられ、東国では数少ない「式内社」(しきないしゃ)でありました。
伊勢神宮との関係
前記のように、当社は中世以降一般には船橋神明と呼ばれることが多かったようです。神明とは伊勢神宮を分祀した神社のことです。
すると、古代には当地方最有力の太陽神であった意富比神が、中世のある時期に伊勢神宮に同化したと想定されますが、そのあらすじは次のように想定されます。 —平安末期に近い保延4年(1138)に夏見を中心とする一帯が、伊勢神宮の荘園「夏見御厨(みくりや)」となった。実際には当地から伊勢神宮へ白布を貢納した。そうした関係から、当地には伊勢神宮が分祀され「神明社」ができたが、その御祭神は言うまでもなく、最高の太陽神である天照皇大御神であった。やがて地元の偉大な太陽神は、同じ太陽神である神明社に同化して船橋神明となり船橋大神宮と呼ばれるようになった。
という事で、御祀神変更以前の
古来より太陽神を祀っていたそうです。
船橋駅から近い鳥居
こんなところにも鳥居
こちらが正門
長い参道
船橋大神宮と呼ばれてますが
正式名称は意富比神社
江戸時代の絵には
意富日と書かれていた。
徳川家康公を祀る常盤神社
日光東照宮迄行かなくても
行ったのと同じ参拝になると云われている
常盤神社からみた意富比神社メイン本殿
大鳥神社
灯明台6角形三層12M
昔々海が直ぐ近く迄の立地だったそう。
岩長姫や
客人…アラハバキでしょうね。
摂社、末社が沢山 他に伊勢神宮外宮や八雲、八坂等…
平将門公も意富比神社を崇敬していた
ようです。
船橋は結構将門公伝説が残る地です。
千葉県船橋市に鎮座し、正式名は「意富比神社(おおひじんじゃ)」であるが、通称「船橋大神宮」として知られている。
景行天皇40年(110)創建と伝わる古社で、延長5年(927)に完成した『延喜式』にもその名が記されている。
日本国民の総氏神とされる「天照皇大御神」を御祭神としてお祀りしており、伊勢と日光を参拝したのと同じご利益がいただけるパワースポットとなっている。
境内に建つ明治時代に民間の灯台として活躍した「灯明台」は見どころの一つであり、和洋折衷の構造で千葉県の有形民俗文化財に指定されている。
また毎年10月20日には例大祭が催され、神楽の奉納と徳川家康公の上覧相撲に始まる400年以上の歴史と伝統のある奉納相撲が行われる。
菊田神社の次は、意富比神社⛩️〜!!船橋大神宮へ〜〜!!
正直、前情報は何も無いままの参拝だったんですが、すんごく広くて、すんごく立派でホントびっくりしました!!
あいにくの雨でしたが、快晴の日に来たら、きっとやばいな!と思いました!!
ひろ〜い境内をウロウロして、御本殿へ〜✨
いつものお願い事をします。
好きな人がずっと元気でいれますように〜✨
あと3つ!
もちろんお願いしました!!
よろしくお願いします!(-人-)。。。
御朱印ももちろんいただきます!
キレイな御朱印です〜✨
ありがとうございます!!
さぁて〜、次は!! 本日最後、清龍神社へ行ってきま〜す!⛩️
1番目の鳥居を抜けてからの鳥居⛩️!
しばらく進むと、こーんな景色♥
御本殿に近づいて〜
御本殿〜、、の手前!
までしかいけません〜。
ハトが水浴び〜✨
最寄り駅は、京成大神宮下。
ただ、その前の流れから、東葉高速鉄道の東海神駅から歩いて移動。
約30分 歩けない距離ではない。
伺ったのは10月3日
七五三詣で賑わっていました。
敷地内に、昔使われていた灯台があります。現在は、海岸線はかなり遠いですが昔はここ辺りが海岸線だったようです。
伊勢神宮で使われていた物だそうです。
創始はヤマトタケ(ホツマツタヱでの名称)が関わり、創建後は歴史上名の残る人物では源頼朝、徳川家康が関わっています。
通称…船橋大神宮
御創建1900年以上の古社
神社巡りをするようになり正式名称を知りました。
千葉県は全国の中で案外神社仏閣の数が多く
船橋の地名はスサノオが舟を橋にして渡ったという伝説もあります。
縄文時代の夏見貝塚や、1500年代の夏見城や他も細かくあげたらきりがない。
最近…ひょんな事で比較的近所に城趾があり
そこにも神社がある事を知り驚いていました。
もっと千葉県を知らなくては…と思いはじめた今日この頃。
天照大神(あまてらすおおかみ)
[配祀]天手力男神(あめのたぢからを)
[配祀]栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)←ニニギの母
[合祀]徳川家康(とくがわいえやす)公
[合祀]徳川秀忠(とくがわひでただ)公
こちらが正門でした。
長い参道。
昔々直ぐそばは海だった。
境内にはその昔の灯台が遺されていますが
私が参拝した日は修繕中でした。
JR船橋駅~向かうと裏(後方)~の参拝に
なります。
京成の大神宮駅が正門の最寄り駅
八坂神社…スサノヲ
拝殿
境内に入り
拝殿で参拝する頃は雨が降っていました。
静かな雨でした。
外宮…
大鳥はヤマトタケかな?
日光に行かずとも…云われているそうな
そう御祭神は徳川家康公と徳川秀忠公
船橋大神宮も二匹とも子持ちです!
古社の貫禄で子持ち
皆を守ってくれていますね。。。きっと。。。
今年は御朱印帳と御朱印を頂きに行こうと思ってます。
下総国の式内社。摂社・末社がたくさん。伊勢神宮の旧殿舎もあります。
駐車場は10台以上は余裕で置けそうな広さ。トイレあり。御朱印もあり。
土俵もありましたが、セメントで固められてました
意富比神社(おおひ~)は、千葉県船橋市にある神社。式内社で、旧社格は県社。通称「船橋大神宮」。祭神は天照大御神。
社伝によると、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に、当地で東国平定の成就を祈願したことに始まる。当時、当地住民が日照りに苦しんでいたところ、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝わる。当社には元々「意富比神(大日神)」が祀られ、周辺(現東京湾)の漁民に信仰されていた。国史の初見は『日本三代実録』で、863年に神階昇叙の記載がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 葛飾郡 意富比神社 小」に比定されている。のちに周辺にあった神明社の天照大御神を当社に合祀したが、天照大御神への信仰の方が強くなり、次第に「意富比神社」の名称は忘れられ、戦国時代にはすでに「船橋明神」、「船橋大神宮」と呼ばれるようになっていたとのこと。中世には平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。なお、明治維新時の戊辰戦争に絡む船橋の戦いで社殿と古文書を焼失した。近代社格制度の下、県社に列したほか、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
当社は、京成本線・大神宮下駅の北方200mの市街地にある。平地からなだらかに盛り上がった場所にあって、境内はかなり広々としている。社殿も大きいが、それに準ずるサイズの摂社・常盤神社(祭神は日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公)が東隣に鎮座している。
今回は、下総国の式内社、千葉県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、特別な日ではないが、境内にはぱらぱらと参拝者が訪れていた。
境内南端の<一の鳥居>。境内は広いが、南端入口の横幅は道に挟まれ広くはない。境内が南に尖っているイメージ。
鳥居後ろで見えにくい<社号標>。ずいぶんと年季が入っている。
真北に向かってまっすぐ伸びる参道。両側の木々が木陰を作っていて、歩いて心地が良い。
参道右側に立つ<日露戦役記念碑>と<征清紀念碑>。
参道の途中にある<二の鳥居>。
やがて<神門>が見えてくる。
参道右側にある<手水舎>。大きな神明造の屋根が立派。
参道突き当りが<神門>。神門奥の<社殿>は、1868年の戊辰戦争で焼失、その後1873年に本殿、1889年に拝殿を再建。
神門から<拝殿>を望む。参拝者はちらほらいたが、誰も神門の中に入らないので、入って良いかどうかは不明。結果、神門の中には入らず。
神門から左斜め後ろを向くと、<社務所>と<授与所>。御朱印はこちら。
社殿の左側に進むと、参道の左右に境内社群が現れる。
まず参道左側(西側)から。左から順に<水天宮>、<稲荷神社>、<秋葉神社・古峯神社>。
その右側に<八坂神社(船橋本町)・神輿奉安殿>と<八剱神社(船橋湊町)・神輿奉安殿>。近隣の神社の神輿自体が神社になっている。
その右側に<金刀比羅神社>。
その右側、左から順に<八幡神社>、<竈神社>、<龍神社>、<道祖神社>、<客人神社・多賀神社>。
参道の突き当り(境内北側)にある<船玉神社>。社殿下方に船の舳先がデザインされている。
社殿側(参道西側)に、<猿田彦神社>石碑(左)と<?神社>(墨字がほぼ消えてしまっている)。
その右側に<厳島神社・根神社>、<祈年穀神社・長岩姫神社>、<阿夫利神社・大山祇神社>、<事代主神社・大國主神社>、<水神神社・産霊神社>。
社殿右側に移動すると、<常盤神社>の門がある。他の境内社とは別格のようで、神域は本社と同じぐらいのサイズがある。日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公を祀る。
<常盤神社>の鳥居。
<常盤神社>の社号標(右)、唐門(中央)とその両側に伸びる透塀。
<常盤神社>の唐門全景。絢爛豪華な極彩色。
唐門から、<常盤神社>社殿を望む。
<常盤神社>の境内。塀の向こう側は<意富比神社>の社殿。
常盤神社の門の右側にある<大鳥神社>。
大鳥神社の後ろに回ると、かつて明治期までは東京湾からの目印になっていた常夜灯<灯明台(とうみょうだい)>が高い位置に見える。1868年の戊辰戦争で社殿とともに焼失、1880年再建。標高27mの丘の上にある和洋折衷の疑洋風建築。
境内東側にある<豊受姫神社(外宮)>の鳥居と社号標。
<外宮>の社殿。豊受姫大神を祀る。
外宮の右隣にある<八雲神社>の鳥居。
<八雲神社>の社殿。主祭神は須佐之男命、大己貴神と奇稲田姫命を配祀。
外宮、八雲神社の南側にある<神楽殿>。
駐車場の南側にある<土俵>。徳川家康公が船橋宿泊時に漁師の子供の相撲を供覧したのが始まりとのこと。
土俵近くに立っていた<古老木>。
二輪駐車場の周りには、のびのび育った松の木たち。かつての浜辺の雰囲気を醸し出している。
京成線の駅で大神宮下という駅があってどこの神社のことかなと調べたらこちらでした。頂いた御由緒や
歴史が載っているリーフレットは『船橋大神宮(意富比神社)』となっています。
地図で見るとJR船橋駅からも歩ける距離です。境内に駐車場あります。
拝殿
狛犬さんに「のぼらないこと」と書かれた札?がかけられてました。
テンションが上がったちびっ子が登っちゃうのでしょうか。
手前の碑は戦没者の慰霊碑
奥の建物は灯明台。灯台ですね。御由緒書によると100年くらい前まで神社の側まで海だったそうです。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
15
0