おおひじんじゃ
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意富比神社(船橋大神宮)にて御朱印を頂きました。
この時は直書きでした。
意富比神社(船橋大神宮)は大神宮下駅の近くです。
船橋大神宮の正式名は意富比(おおひ)神社で船橋大神宮は通称です。
神門で参拝します。
奥には拝殿があります。
神門から拝殿を撮影しました。
意富比神社(船橋大神宮)のご祭神は天照皇大御神です。
境内社がたくさん鎮座し、
常盤神社があり、ご祭神は徳川家康公・秀忠公です。
大鳥神社がありご祭神は日本武尊です。船橋のお酉様といわれています。
船玉神社のご祭神は天鳥船命と住吉命です。
天之御柱宮、豊受姫神社と八雲神社があり
豊受姫神社の御祭神の豊受大神で伊勢神宮の外宮と同じです。
灯明台は六角形の洋風の灯台で明治13年に建てられました。
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神社巡りをはじめてから2回目の訪問です。
船橋地方最大最古の古社
創建~約1900年との事です。
以下 意富比神社のリーフレットより抜粋
現在の御祀神は天照皇大神
平安中期の『日本三代実録』貞観5年(863)の記事で、「下総国意富比神」とあります。これは、船橋市域に関する文献として最古のものです。また平安中期の格式ある神社を記した『延喜式』(えんぎしき)の「神名帳」(じんみょうちょう)にも、下総国11社の中に「意富比神社」として載せられ、東国では数少ない「式内社」(しきないしゃ)でありました。
伊勢神宮との関係
前記のように、当社は中世以降一般には船橋神明と呼ばれることが多かったようです。神明とは伊勢神宮を分祀した神社のことです。
すると、古代には当地方最有力の太陽神であった意富比神が、中世のある時期に伊勢神宮に同化したと想定されますが、そのあらすじは次のように想定されます。 —平安末期に近い保延4年(1138)に夏見を中心とする一帯が、伊勢神宮の荘園「夏見御厨(みくりや)」となった。実際には当地から伊勢神宮へ白布を貢納した。そうした関係から、当地には伊勢神宮が分祀され「神明社」ができたが、その御祭神は言うまでもなく、最高の太陽神である天照皇大御神であった。やがて地元の偉大な太陽神は、同じ太陽神である神明社に同化して船橋神明となり船橋大神宮と呼ばれるようになった。
という事で、御祀神変更以前の
古来より太陽神を祀っていたそうです。

千葉県船橋市に鎮座し、正式名は「意富比神社(おおひじんじゃ)」であるが、通称「船橋大神宮」として知られている。
景行天皇40年(110)創建と伝わる古社で、延長5年(927)に完成した『延喜式』にもその名が記されている。
日本国民の総氏神とされる「天照皇大御神」を御祭神としてお祀りしており、伊勢と日光を参拝したのと同じご利益がいただけるパワースポットとなっている。
境内に建つ明治時代に民間の灯台として活躍した「灯明台」は見どころの一つであり、和洋折衷の構造で千葉県の有形民俗文化財に指定されている。
また毎年10月20日には例大祭が催され、神楽の奉納と徳川家康公の上覧相撲に始まる400年以上の歴史と伝統のある奉納相撲が行われる。




創始はヤマトタケ(ホツマツタヱでの名称)が関わり、創建後は歴史上名の残る人物では源頼朝、徳川家康が関わっています。
通称…船橋大神宮
御創建1900年以上の古社
神社巡りをするようになり正式名称を知りました。
千葉県は全国の中で案外神社仏閣の数が多く
船橋の地名はスサノオが舟を橋にして渡ったという伝説もあります。
縄文時代の夏見貝塚や、1500年代の夏見城や他も細かくあげたらきりがない。
最近…ひょんな事で比較的近所に城趾があり
そこにも神社がある事を知り驚いていました。
もっと千葉県を知らなくては…と思いはじめた今日この頃。
天照大神(あまてらすおおかみ)
[配祀]天手力男神(あめのたぢからを)
[配祀]栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)←ニニギの母
[合祀]徳川家康(とくがわいえやす)公
[合祀]徳川秀忠(とくがわひでただ)公

こちらが正門でした。
長い参道。
昔々直ぐそばは海だった。
境内にはその昔の灯台が遺されていますが
私が参拝した日は修繕中でした。

JR船橋駅~向かうと裏(後方)~の参拝に
なります。
京成の大神宮駅が正門の最寄り駅


意富比神社(おおひ~)は、千葉県船橋市にある神社。式内社で、旧社格は県社。通称「船橋大神宮」。祭神は天照大御神。
社伝によると、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に、当地で東国平定の成就を祈願したことに始まる。当時、当地住民が日照りに苦しんでいたところ、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝わる。当社には元々「意富比神(大日神)」が祀られ、周辺(現東京湾)の漁民に信仰されていた。国史の初見は『日本三代実録』で、863年に神階昇叙の記載がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 葛飾郡 意富比神社 小」に比定されている。のちに周辺にあった神明社の天照大御神を当社に合祀したが、天照大御神への信仰の方が強くなり、次第に「意富比神社」の名称は忘れられ、戦国時代にはすでに「船橋明神」、「船橋大神宮」と呼ばれるようになっていたとのこと。中世には平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。なお、明治維新時の戊辰戦争に絡む船橋の戦いで社殿と古文書を焼失した。近代社格制度の下、県社に列したほか、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。
当社は、京成本線・大神宮下駅の北方200mの市街地にある。平地からなだらかに盛り上がった場所にあって、境内はかなり広々としている。社殿も大きいが、それに準ずるサイズの摂社・常盤神社(祭神は日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公)が東隣に鎮座している。
今回は、下総国の式内社、千葉県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、特別な日ではないが、境内にはぱらぱらと参拝者が訪れていた。
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