御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

おおひじんじゃ

意富比神社のお参りの記録一覧
千葉県 大神宮下駅

4 / 6ページ76〜100件140件中
Kumiko
Kumiko
2021年07月26日(月)291投稿

神社巡りをはじめてから2回目の訪問です。
船橋地方最大最古の古社
創建~約1900年との事です。
以下 意富比神社のリーフレットより抜粋
現在の御祀神は天照皇大神
平安中期の『日本三代実録』貞観5年(863)の記事で、「下総国意富比神」とあります。これは、船橋市域に関する文献として最古のものです。また平安中期の格式ある神社を記した『延喜式』(えんぎしき)の「神名帳」(じんみょうちょう)にも、下総国11社の中に「意富比神社」として載せられ、東国では数少ない「式内社」(しきないしゃ)でありました。

伊勢神宮との関係
前記のように、当社は中世以降一般には船橋神明と呼ばれることが多かったようです。神明とは伊勢神宮を分祀した神社のことです。
 すると、古代には当地方最有力の太陽神であった意富比神が、中世のある時期に伊勢神宮に同化したと想定されますが、そのあらすじは次のように想定されます。 —平安末期に近い保延4年(1138)に夏見を中心とする一帯が、伊勢神宮の荘園「夏見御厨(みくりや)」となった。実際には当地から伊勢神宮へ白布を貢納した。そうした関係から、当地には伊勢神宮が分祀され「神明社」ができたが、その御祭神は言うまでもなく、最高の太陽神である天照皇大御神であった。やがて地元の偉大な太陽神は、同じ太陽神である神明社に同化して船橋神明となり船橋大神宮と呼ばれるようになった。

という事で、御祀神変更以前の
古来より太陽神を祀っていたそうです。

意富比神社のその他建物

船橋駅から近い鳥居

意富比神社の鳥居

こんなところにも鳥居

他13枚の写真を見る
もっと読む
惣一郎
惣一郎
2021年08月22日(日)1269投稿

意富比神社(おおひ~)は、千葉県船橋市にある神社。式内社で、旧社格は県社。通称「船橋大神宮」。祭神は天照大御神。

社伝によると、景行天皇40年、日本武尊の東征の折に、当地で東国平定の成就を祈願したことに始まる。当時、当地住民が日照りに苦しんでいたところ、日本武尊があわせて祈雨を念じると、雨が降り出したとも伝わる。当社には元々「意富比神(大日神)」が祀られ、周辺(現東京湾)の漁民に信仰されていた。国史の初見は『日本三代実録』で、863年に神階昇叙の記載がある。平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「下総国 葛飾郡 意富比神社 小」に比定されている。のちに周辺にあった神明社の天照大御神を当社に合祀したが、天照大御神への信仰の方が強くなり、次第に「意富比神社」の名称は忘れられ、戦国時代にはすでに「船橋明神」、「船橋大神宮」と呼ばれるようになっていたとのこと。中世には平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修を行った。なお、明治維新時の戊辰戦争に絡む船橋の戦いで社殿と古文書を焼失した。近代社格制度の下、県社に列したほか、明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れている。

当社は、京成本線・大神宮下駅の北方200mの市街地にある。平地からなだらかに盛り上がった場所にあって、境内はかなり広々としている。社殿も大きいが、それに準ずるサイズの摂社・常盤神社(祭神は日本武尊、徳川家康公、徳川秀忠公)が東隣に鎮座している。

今回は、下総国の式内社、千葉県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、特別な日ではないが、境内にはぱらぱらと参拝者が訪れていた。

意富比神社の鳥居

境内南端の<一の鳥居>。境内は広いが、南端入口の横幅は道に挟まれ広くはない。境内が南に尖っているイメージ。

意富比神社のその他建物

鳥居後ろで見えにくい<社号標>。ずいぶんと年季が入っている。

他32枚の写真を見る
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ