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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年12月※洲崎神社ではいただけません

すのさきじんじゃ

洲崎神社

千葉県 館山駅

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0470-29-0713

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に大きく洲崎神社と書かれている御朱印です。印は真ん中に菊紋が、右上に安房國一の宮が押されています。

限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

ご利益

洲崎神社について

安房国は夫婦で一宮!!


『延喜式』神名帳にて"后神天比理乃咩命神社"という名で載っているのがこの洲崎神社で、安房神社に祀られる天太玉命さまの"后神"を意味しています。
急勾配の長い階段を登りきり振り返ると太平洋が遠くまだ見渡すことができ、房総半島の先にあるので富士山も見えるという、一粒で二度美味しい絶景スポットです。

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惣一郎
2021年05月05日(水)
1041投稿

洲崎神社(すさき~/すのさき~)は、千葉県館山市にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一之宮とされた。旧社格は県社。御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)で、安房神社の主祭神・天太玉命の后神。元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。

社伝によれば、神武天皇の治世、天富命が(あめのとみ)祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
平安時代以降、「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、927年の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格。1081年には「安房国 天比理刀咩神」は神階が最高位の正一位に達した。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路安房国に逃れたが、1180年に帰還を祈願し神田を寄進。翌々年には妻政子の安産祈願に奉幣使を派遣した(『吾妻鏡』の記載)。
江戸時代に入り、洲崎神社は式内社「天比理乃咩命神社」と主張したが、もう一社「洲宮神社」も譲らず、どちらが式内社であるか争うようになった。洲崎神社は、江戸後期に房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が、当社に「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したことをもって主張の根拠とした。
明治時代に入り、1872年政府・教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌年当決定を覆し洲崎神社を式内社とした。また同時に近代社格制度で県社に列した。なお、戦前の1940年頃まで、当社のある房総沖は交通の要衝で、沖を通る船に奉賽を納めさせる風習があったとのこと。

当社は、JR内房線・館山駅の南西12kmにあって、公共交通機関だとバス25分、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南西に道のり18km。房総半島南端の東京湾に突き出した部分にあって、一之鳥居は海のそば、社殿は海が見渡せる小山の上にある。境内は狭く、社殿も小さくて、現在の雰囲気は<村の鎮守>クラス。兼務社になっていて、通常時は神職の方はいない。

参拝時は週末の午前中で、天気が良かったこともあり、参拝者はぱらぱらと断続的にやって来ていた。非常にラッキーなことに、神職の方がたまたま来ていて、御朱印を直筆で拝受することができた。

洲崎神社(千葉県)

境内入口の<二の鳥居>。すでにここから境内全景が見える。階段が恐ろしい...汗

洲崎神社の手水

まずは参道左手にある<手水舎>。左奥は<社務所>。右奥は<随神門>。

洲崎神社の山門

階段を少し上がって<随神門>。

洲崎神社の建物その他

綺麗に一直線に上がって行く参道の階段。神域に繋がってる感が満点。公式名称は「厄払坂」。

洲崎神社の建物その他

階段を登り切ったご褒美がこちら。海が綺麗に見える。

洲崎神社の本殿

階段上って正面にある<社殿>。<一之宮>といっても大きくはない中庸サイズ。

洲崎神社の本殿

<拝殿>正面。扁額には<安房国一宮 洲崎大明神>の文字。

洲崎神社の末社

社殿右手にある摂末社。

洲崎神社(千葉県)

右上にあるのが<長宮>。豊玉彦命(海の神)、大山津見命(山の神)、建速須佐之男命(厄除・開発の神)、大物主命(農工商・医薬の神)の4神を祀る。

洲崎神社の末社

左上にあるのが<金比羅神社>。金毘羅大神(漁業・航海・医薬の神)を祀る。

洲崎神社の本殿

長宮から見た<本殿>。少し高い位置にある。

洲崎神社の末社

境内左手にある<稲荷神社>。宇迦之御魂命(商売繁盛・五穀豊穣の神)を祀る。

洲崎神社の周辺

稲荷神社の脇道を進むと、、、(海風で植物が全て左上方向に伸びている。笑)

洲崎神社の鳥居

海を望む展望台のような場所に鳥居が立っている。

洲崎神社の景色

この日はうす曇りで海しか見えないが、天気が良ければ<富士山>や<三浦半島>が見えるはず。

洲崎神社(千葉県)

ここのあるのが<源頼朝公 笠掛けの松>。海路安房に逃げ込んだ源頼朝が訪れ、傍らの松に笠を掛け、遠く鎌倉を望んだという。実際、当地にはこの話から笠掛(かさげ)という集落があるとのこと。本当っぽい。

洲崎神社の建物その他

山を下り、房総フラワーライン(県道257号線)を渡って、海に近い<一の鳥居>を見に行く。

洲崎神社の鳥居

100mほど進むと<一の鳥居>がある。その奥の海辺にも何かがありそう。

洲崎神社(千葉県)

海辺は岩場になっている。展望解説図によると、右から富士山、天城、大島、利島が見えるらしい。

洲崎神社(千葉県)

岩場の際にある<洲崎神社御神岩>とその鳥居。周りは芝生になっていて、ちょっとした公園のよう。やはり海風がとにかく強い。

洲崎神社の建物その他

境内入口まで戻って、目立つビビッドな<社務所>。御朱印はこちら。
ここで嬉しいハプニングが。通常当社には宮司さんは不在とのことだが、この日たまたま集まりがあったようで、激レア御朱印を直書きで拝受!

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歴史

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部一族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社とされています。平安時代の『延喜式神名帳』に式内大社后神天比理乃咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣帛使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられており、東京湾をはさみ湾よ西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。また成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(1765)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房国一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰されていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文化九年(1797)、膀胱の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。

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洲崎神社の基本情報

住所千葉県館山市洲崎1334
行き方

JR内房線「館山駅」から徒歩120分

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名称洲崎神社
読み方すのさきじんじゃ
通称洲崎大明神
参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

御朱印あり

真ん中に大きく洲崎神社と書かれている御朱印です。印は真ん中に菊紋が、右上に安房國一の宮が押されています。

限定御朱印なし
電話番号0470-29-0713
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.sunosaki.info/

詳細情報

ご祭神《主》天比理乃咩命《合》天太玉命,天富命,天
創始者天富命
本殿三間流造
文化財

みのこ踊り(千葉県指定無形民俗文化財)

ご由緒

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部一族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社とされています。平安時代の『延喜式神名帳』に式内大社后神天比理乃咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣帛使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられており、東京湾をはさみ湾よ西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。また成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(1765)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房国一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰されていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文化九年(1797)、膀胱の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。

体験御朱印祭り武将・サムライ一の宮

Wikipediaからの引用

概要
洲崎神社(すさきじんじゃ/すのさきじんじゃ)は、千葉県館山市洲崎にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一宮とされた。旧社格は県社。 御手洗山中腹に鎮座する。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、そこを開拓した。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。宝暦3年(1753年)に成立した洲崎神社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。 洲崎神社社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 2月初午 - 洲崎踊り奉納。 例大祭(8月20日・21日) - 神輿渡御、洲崎踊り奉納。
引用元情報洲崎神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B4%B2%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91181434

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