のだはちまんぐう
野田八幡宮公式愛知県 野田新町駅
- 所在地
- 刈谷市野田町東屋敷62
- 参拝時間
- 社務所開所時間 8:00~15:00 御朱印 上記の時間に書ける人がいれば...全文を見る
- 駐車場
- 14台
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楽しみ方水野勝成公が必勝を祈願した、由緒ある八幡さまです。
広い境内とやわらかな木々の気配の中、静かに心を整えていただけます。
初めての方もどうぞ気負わず、日々の節目にお立ち寄りください。

碧海郡夏詣神社めぐり(2026(令和8)年6月下旬〜8月末頃)で参拝しました。
野田八幡宮さんは、676(白凰5)年に大市郷今留丘に創建と伝えられ、今留明神・大郎子尊・八波多神・物部の祖神を併せてお祀りしました。
1548(天文17)年と1554(天文23)年の兵火により、社殿は荒廃しましたが、刈谷城藩主水野勝成公が1600(慶長5)年に社殿を造営して、以後は祈願所として歴代の水野、稲垣、三浦、土井の各藩主に尊崇されました。
特に1792(寛政4)年に野田村が福島藩重原領となってからは、板倉氏の総氏神として崇められたそうです。
ちなみに水野勝成公は徳川家康公の従兄弟にあたります。
風鈴の音色に癒されました。
御朱印も目移りしました✨😲✨

野田八幡宮オリジナル御朱印帳
種類:御朱印帳
色:白・青
白鳳五年(676)に大市郷今留丘に創建と伝えられ、弘仁四年(813)中原敏久が神田を寄進、天長四年(827)三河国司、神田を献じ社殿を修造した。正安二年(1300)社殿を大改修し、天文十七年(1548)と天文二十三年(1554)の再度にわたる兵火により、社殿は荒廃したが、刈谷城藩主水野勝成公これを深く痛み、慶長五年(1600)社殿を造営し、以後は祈願所として歴代の水野、稲垣、三浦、土井の各藩主に尊崇された。特に寛政四年(1792)に野田村が福島藩重原領となってからは板倉氏の総氏神として崇められた。
現在の社殿は明治十七年(1884)に幣殿・拝殿、昭和十二年(1937)に神殿、平成十四年(2002)三月幣殿を各改修した。
| 住所 | 愛知県刈谷市野田町東屋敷62 |
|---|---|
| 行き方 | JR東海道本線「野田新町(のだしんまち)」駅から徒歩12分。 知立市コミュニティバス「4コース・ブルーコース」で、「野田新町駅北口」バス停下車、徒歩13〜14分。 刈谷市公共施設連絡バス「かりまる」の「5系統・小垣江(おがきえ)依佐美(よさみ)線」で、「野田新町駅南口」バス停下車、徒歩約12分。 刈谷市公共施設連絡バス「かりまる」の「6系統・東刈谷、逢妻(あいづま)線」で、「野田新町駅北口」バス停下車、徒歩約13〜14分。 |
| 名称 | 野田八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | のだはちまんぐう |
| 参拝時間 | 社務所開所時間
御朱印
|
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 参集所裏(案内板あり) |
| 御朱印 | あり 手描きの一点もの御朱印と、季節ごとに仕立てた切り絵御朱印を頒布しております |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり 【御朱印帳へのお書き入れについて】 ・通常御朱印は御朱印帳へお書き入れいたします
※書ける者が不在の場合に限り、通常御朱印も書置きでの対応となります |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0566-23-8649 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | info@nodahachimanguu.sub.jp |
| ホームページ | http://nodahachimanguu.sub.jp |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| ご祭神 | 今留明神,大郎子尊,八波多神,物部の祖神 |
|---|---|
| 創建時代 | 白鳳五年(676) |
| ご由緒 | 白鳳五年(676)に大市郷今留丘に創建と伝えられ、弘仁四年(813)中原敏久が神田を寄進、天長四年(827)三河国司、神田を献じ社殿を修造した。正安二年(1300)社殿を大改修し、天文十七年(1548)と天文二十三年(1554)の再度にわたる兵火により、社殿は荒廃したが、刈谷城藩主水野勝成公これを深く痛み、慶長五年(1600)社殿を造営し、以後は祈願所として歴代の水野、稲垣、三浦、土井の各藩主に尊崇された。特に寛政四年(1792)に野田村が福島藩重原領となってからは板倉氏の総氏神として崇められた。
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