いちばらいなりじんじゃ
市原稲荷神社公式愛知県 刈谷市駅
参拝可能時間:自由
授与所受付時間:午前9時~午後5時
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
御祭神の三柱ともに太古よりの神にして、天に在りては巽の方角を司り庶民あまねく福を授け、厄を祓い、地に在りては人の衣食住を守り、農業・商業・工業の繁栄を導き生成化育、発展充実を理想とされる尊いご神徳をお持ちです。
この地域はもとより刈谷市内外の多くの人々より『いちばらさん』の名で親しまれ、信仰されております。
トヨタ自動車㈱の大元である㈱豊田自動織機をはじめ刈谷市内にある、トヨタグループ各社が創業期から厚く崇敬を戴き、大神様の御加護により各社及び関連企業が大きな発展を遂げています。
当神社では商売繫盛・家内安全・開運厄除等のご祈祷を毎日受付奉仕(予約不要)しております。
愛知県刈谷市の逢妻川のほとりに鎮座されています。
出張のあと、仕事が早く終わったためお参りさせていただきました。
思っていたよりも境内は広く、平日の夕方ということもあり参拝される方もほとんどいらっしゃいませんでした。
神聖な空気を独り占めでき、今日も仕事を頑張ってよかったーと思えたひと時でした。
拝殿前には、触れるだけでご利益があるという「稲荷の玉」が置かれています。
(すみません、写真を撮り忘れてました😅)
昔、全国を旅する一人の老人がこの地を訪れ宿を探していたということで、その時の宮司様が老人に宿を貸したそうです。
翌日、老人から「この境内には御神宝に勝るとも劣らない立派なものがある。それを丁重にお祀りすれば、より一層繁栄するでしょう。」と言い残して去って行ったそうです。
宮司様が境内を隈なく探してみると、御本殿の脇より大きな石の玉が出てきてお祀りしていると、参拝の方がこの玉に触れると、子宝に恵まれた/病気が治ったという話が聞かれるようになり、所願成就の石の玉として知れわたったとのことです。
御祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
御由緒 ~いただいた由緒記より~
「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉(はくち)4年(653)に、亀狭山(現:亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりという。
後に水野忠政公がこの亀狭山に刈谷城を築いてからは、社を城の隅に移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運降昌の祈願所とした。
妙歴4年(1658)稲垣重昭公の代に現在地に社殿を遷座したとされる。
この頃には、知立神社・野田八幡宮と共に刈谷藩の領内三社として尊崇を受けた。
平成15年(2003)には御鎮座1350年を記念して、本殿改修、社務所建設、境内整備等が行われた。
一の鳥居
二の鳥居
三の鳥居
三の鳥居の脇の狛犬さん
手水舎
神馬
拝殿
拝殿内(祝詞殿)
願掛キツネ
神楽殿
左近の桜
山神社
摂社鳥居
左から
猿田彦神社 内外宮社 春日社
刈谷神社
雨で濡れた風鈴が艶やかに、直書きの御朱印を本日も頂きました。
午の日に飛び出す限定御朱印がある事、本日教えて頂き 次回日にちがあったら頂きたいと思います。
夏詣直書き御朱印
午の日限定飛び出す御朱印 次回貰います。
風鈴
本殿
「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉4年(653)に亀狭山(現・亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりという。後に水野忠政公がこの亀狭山に刈谷城を築いてからは、社を城の隅に移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運隆昌の祈願所とした。妙暦4年(1658)稲垣重昭公の代に現在地に社殿を遷座したとされる。この頃には、知立神社・野田八幡宮と共に刈谷藩の領内三社として尊崇を受けた。平成15年(2003)には御鎮座1350年を記念して、本殿改修、社務所建設、境内整備等が行われた。
住所 | 愛知県刈谷市司町8-52 |
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行き方 | 名鉄『刈谷市駅』より 徒歩15分
刈谷市公共施設連絡バス「かりまる(5系統 小垣江・依佐美線)」
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名称 | 市原稲荷神社 |
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読み方 | いちばらいなりじんじゃ |
通称 | いちばらさん |
参拝時間 | 参拝可能時間:自由
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参拝にかかる時間 | 約20分 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0566-21-1755 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | kariya@0-173.com |
ホームページ | https://www.0-173.com |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
第二弾 名鉄御朱印めぐり |
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ご祭神 | ・倉稲魂命(ウガノミタマノカミ)
・保食命(ウケモチノカミ) ・大山祇神(オオヤマヅミノカミ) |
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創建時代 | 白雉4年(653) |
本殿 | 流造 |
文化財 | 5月5日 神幸祭の大名行列(刈谷市無形民俗文化財指定) |
ご由緒 | 「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉4年(653)に亀狭山(現・亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりという。後に水野忠政公がこの亀狭山に刈谷城を築いてからは、社を城の隅に移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運隆昌の祈願所とした。妙暦4年(1658)稲垣重昭公の代に現在地に社殿を遷座したとされる。この頃には、知立神社・野田八幡宮と共に刈谷藩の領内三社として尊崇を受けた。平成15年(2003)には御鎮座1350年を記念して、本殿改修、社務所建設、境内整備等が行われた。 |
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