あんらくじ|浄土宗西山深草派|楠林山
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北部小学校と安楽寺の間を南北に通るなだらかな坂。上ノ郷城が落城した際、城主の鵜殿長照は城を脱出して東へ逃げたが、こな坂で転んだところを敵兵に討たれたという。
俊勝は家康の義理の父(家康の生母、於大の方の後添えの夫)。俊勝の死後、於大の方はこの寺で髪を下ろし、江戸に移るまでの二年間仏事にいそしんだ。山門は宝暦2年(1752)の建造。
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安楽寺ではいただけません
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり 20台 |
安楽寺について
平成27年(2015)の火災により、本堂、位牌堂、寝釈迦堂及び鐘楼などが全焼してしまい、いまは本堂跡地として更地となっている。
鵜殿坂
北部小学校と安楽寺の間を南北に通るなだらかな坂。上ノ郷城が落城した際、城主の鵜殿長照は城を脱出して東へ逃げたが、こな坂で転んだところを敵兵に討たれたという。
久松俊勝
俊勝は家康の義理の父(家康の生母、於大の方の後添えの夫)。俊勝の死後、於大の方はこの寺で髪を下ろし、江戸に移るまでの二年間仏事にいそしんだ。山門は宝暦2年(1752)の建造。
名称 | 安楽寺 |
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読み方 | あんらくじ |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0533-68-3923 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.gamagori.jp/spot/824 |
巡礼の詳細情報
三河七福神 第2番 | 御本尊:大黒天 御真言: おんまかきやらやそわか 御詠歌: せい出せばくらしあんらくだいこくの 打出のこづちおのづからふる |
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詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 楠林山 |
院号 | 和合院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗西山深草派 |
創建時代 | 応永15年(1408) |
体験 | 御朱印有名人のお墓札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 安楽寺(あんらくじ)は、愛知県蒲郡市清田町(せいだちょう)にある浄土宗西山深草派の寺院。山号は楠林山。院号は和合院。本尊は阿弥陀如来。三河十二本寺のひとつで、また長存寺、長泉寺、天桂院とともに西郡の四大寺のひとつでもある。 |
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歴史 | 歴史[編集] 応永15年(1408年)昭邦上人が堂宇を建立し、本宿の法蔵寺から龍芸上人を招いて創建された。この近辺には以前、平安時代に寂照が創設した天台宗の勧学院があったが、同院の衰退を受け、その塔頭・和合院の本尊の阿弥陀如来を譲り受け、本尊としている。 16世紀に西ノ郡領主となった、徳川家康の生母於大の方の後添えの夫である久松俊勝の菩提寺であり、平成27年(2015年)の火災で失われるまでは、於大の方の位牌も安置されていた[1][2]。天正15年(1587年)に久松俊勝が死去したのち、住職から伝通院号を受けた於大の方が、2年間当寺に居住した。寛永7年(1630年)、久松俊勝の次男で徳川...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「安楽寺 (蒲郡市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%AF%BA%20%28%E8%92%B2%E9%83%A1%E5%B8%82%29&oldid=97998066 |
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最終更新:2024年08月27日(火)
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