とよかわかく みょうごんじ
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楽しみ方豊川閣 妙厳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月27日(金) 19時34分26秒
参拝:2024年12月吉日
【 大寧寺 四十五世 簣運泰成和尚を訪ねて、豊川稲荷へ 】
簣運泰成(きうんたいじょう)禅師は、大寧寺四十五世の住職でもあった。「廃仏毀釈」が打ち出された明治期に、大寧寺から、豊川稲荷の妙厳寺へ政治亡命し、「廃藩置県」に伴う政治犯の一斉恩赦が行われるまで、その場所でかくまわれていた歴史がある。その間、大寧寺の住職様は不在だったそうだ。
その時代、大寧寺だけでなく、政府からの神仏分離政策が「豊川稲荷」にも及び、豊川稲荷(神)と妙厳寺(仏)が切り離されそうになったときに、簣運禅師は、政府の要人(長州メンバーや以前より親交の深かった三条実美)に掛け合い、極限のホスピタリティを発揮され、神仏分離をくい止めたという伝説が豊川稲荷に残っている。大寧寺に豊川稲荷が分社されているのは、この因縁からだ。
豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)第三十五世福山禅師にお目にかかることができた、畏し!
簣運泰成(きうんたいじょう)禅師は、大寧寺四十五世の住職でもあった。「廃仏毀釈」が打ち出された明治期に、大寧寺から、豊川稲荷の妙厳寺へ政治亡命し、「廃藩置県」に伴う政治犯の一斉恩赦が行われるまで、その場所でかくまわれていた歴史がある。その間、大寧寺の住職様は不在だったそうだ。
その時代、大寧寺だけでなく、政府からの神仏分離政策が「豊川稲荷」にも及び、豊川稲荷(神)と妙厳寺(仏)が切り離されそうになったときに、簣運禅師は、政府の要人(長州メンバーや以前より親交の深かった三条実美)に掛け合い、極限のホスピタリティを発揮され、神仏分離をくい止めたという伝説が豊川稲荷に残っている。大寧寺に豊川稲荷が分社されているのは、この因縁からだ。
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すてき
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恩湯の長門湯守君 …33投稿
畏し!開湯六百年、長門湯本固有の自噴温泉「恩湯」の守護にあたっとります! 長門湯本温泉の恩湯の泉源は、大寧寺が所領し、住吉神が発見したという温泉縁起譚が保存されています。 仏教は曹...もっと読む
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