ぎょくりんじ|曹洞宗|常春山
玉林寺愛知県 三河一宮駅
御朱印はされていないそうです。
楠木の寺といい、樹齢650年以上と推定されるクスノキは、目通り8.63メートル、
接地根周り19.30メートルに及ぶ巨木です。
樹冠の広がりは18メートルもあり、樹勢は極めてさかんです。
玉林寺が創設された延徳3年(1491年)には既に樹齢100年を経過していたことになります。
昭和43年に豊川市の天然記念物に指定され、自然豊かなこの街の人々に今も愛され続けています。
【 大寧寺 四十五世 簣運泰成和尚を訪ねて、豊川の玉林寺へ 】
簣運泰成(きうんたいじょう)禅師(1810年頃~1901年)は、大寧寺四十五世の住職。「廃仏毀釈」が打ち出された明治期に、大寧寺から、豊川稲荷の妙厳寺へ政治亡命し、「廃藩置県」に伴う政治犯の一斉恩赦が行われるまで、その場所でかくまわれていた歴史がある。その間、大寧寺の住職様は不在だったそうだ。
その時代、大寧寺だけでなく、政府からの神仏分離政策が「豊川稲荷」にも及び、豊川稲荷(神)と妙厳寺(仏)が切り離されそうになったときに、簣運禅師は、政府の要人(長州メンバーや以前より親交の深かった三条実美)に掛け合い、極限のホスピタリティを発揮され、神仏分離をくい止めたという伝説が豊川稲荷に残っている。大寧寺に豊川稲荷が分社されているのは、この因縁からだ。
玉林寺の堀禅師と運良くお会いすることが出来、大寧寺の関係者ということで、快く迎えていただき、境内をご案内していただいた。そこには、簣運禅師の掛け軸や、八十八歳の頃にお書きになられた、晩年も内なるパワーのみなぎりを感じる書もあり、胸がいっぱいになった。ご案内の中で、なんと歴代住職が祀られている「開山堂」にまで通していただき、ご位牌を拝見すると、簣運禅師は玉林寺の二世であられた。
さらに、、そこで目にしたものがびっくり仰天。
なんと「大寧傅法四世 住吉大明神」が祀られていた!!
この場所にまで、大寧寺の住吉大明神が配置されているとは、、どういうことか。
辻禅師「明治のときに、この場所で創られたものです。大寧寺を想い、大事にされていた、簣運禅師の故郷へのこころの現れではないでしょうか。」
豊川稲荷と妙厳寺の関係はおろか、日本人の「神仏習合」感覚を死守するために、さらに、大寧寺の場所文化でもある「住吉大明神との関係性」もこころに秘めて、「神仏分離」を食い止めるべく、豊川稲荷で戦われていたとは、、畏し!
山口への怒りと絶望があったとは思うものの、この住吉大明神の木像を通して、豊川より長門の大寧寺へ想いを馳せていたことが確認できて、嬉しかった!
辻禅師より、教えてもらったのだが、明治の時代が安定した頃に、井上馨と伊藤博文が、簣運禅師を尋ねて、豊川稲荷に来られたという伝説が、言い伝えとして、残っているそうだ。
玉林寺の辻禅師とお会いすることが出来、光栄だった。
玉林寺第二世 簣運泰成(きうんたいじょう)禅師の位牌
「開山堂」まで通していただき、そこで目にしたものがびっくり仰天。
なんと「大寧傅法四世 住吉大明神」が祀られていた!!
簣運泰成(きうんたいじょう)禅師、八十九の時の書。
簣運泰成(きうんたいじょう)禅師の書。
名称 | 玉林寺 |
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読み方 | ぎょくりんじ |
通称 | 楠木の寺 |
参拝時間 | 御朱印はされていないそうです。 |
御朱印 | なし |
電話番号 | 0533-86-3356 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.butuji.co.jp/eitai/gyokurinji/ |
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
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山号 | 常春山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 1491年(延徳3年) |
開山・開基 | 義三 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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