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【尾張国 式内社巡り】
日吉神社(ひよし~)は、愛知県清須市にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は大己貴命、素戔嗚尊、大山咋神。別称は「清州山王宮」。
社伝によると、創建は光仁天皇の御代、奈良時代の771年に尾張地方に疫病が流行し、当地の人々が素戔嗚尊と大己貴命を併せ祀り、病災除去を祈願したのが始まり。平安時代に入り807年に橘逸勢が社殿を建立、伝教大師による天台宗の布教とともに神仏習合が進み「山王宮」と称されるようになった。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「尾張国 中島郡 針熊神社 小」の論社となっている。13世紀末には著しく興隆し、その後尾張国の国府が清州に移されてからは清州総氏神として信仰を集め、4千坪以上の境内地に荘厳な社殿を構えた。戦国時代の1580年、清州城代・織田信張は、近江国の日吉大社より大山咋神と摂社二十二社を勧請している。明治時代に入り、社名を「山王宮」から「日吉神社」に改称し、近代社格制度のもと県社に列格した。
なお、当社は戦国時代の三英傑とゆかりがあるとしていて、まず織田信長については当社神前での火起請(ひきしょう)という裁判に立ち会ったとしている。また、豊臣秀吉については生母の大政所が当社に子授け祈願をして授かったのが秀吉で、幼名を日吉丸と名付けたとしている。秀吉の妻・ねねは三十六歌仙の河川額などを奉納している。さらに徳川家康については、小牧長久手の合戦のおり清州に野営したが、軍兵が当社を焼き払ったため、合戦の後、徳川信雄により社殿を再建、のちに家康の四男・松平忠吉が清州城主となると、大々的に造営修復と社領の寄進を行ったとのこと。
当社は、名鉄名古屋本線・丸ノ内駅の北方500mほどの静かな住宅街、平地にある。緑で覆われた境内は包まれ感があって、大きな社殿を中心に、多くの境内社があるなど見どころが多い。やはり日吉神社というだけあって、特に神猿の像の印象が残る。
今回は尾張国の式内論社、愛知県の旧県社ということで参拝することに。参拝時は平日の午前中で、大雨だったが、自分以外にも数名参拝者が訪れていた。
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