いふりべじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 社務所横に5台駐車可能 |
おすすめの投稿
尾張国葉栗郡の式内社です。御祭神の若都保命さまは尾張氏の祖神である天火明命さまの子孫とされ、共にこの尾張国開拓の一端を担ったと思われます。現在もこの氏子の子孫とされる伊福部さんは数少ない苗字として残っています。伊福部崇さんとかその界隈では有名ですよね。
《鳥居と社号碑》
明治の近代社格制度では県社に列格してました。
《由緒書き》
《二の鳥居》
珍しい朱色の両部鳥居です。
《手水舎》
水は流れています。
《蕃塀》
表参道が社殿に対して90度曲がって伸びてはいますが、蕃塀はその目的のためちゃんと社殿の目の前に設置されています。
《神門》
鳥居もそうですが、朱色よりかなり彩度の高い赤が使われていますね。それでいて赤銅色でもない。まさしく深紅と呼べる色です。キレイですね。
室町時代に焼失するまではまた大きな楼門が立っていたといいますし、そこは少し残念ですね・・・
《拝殿》
例にもれず尾張造に近い妻入りの屋根です。
《末社・八幡稲荷大神》
明治以前の正八幡宮だったころの名残がありますね。
いつもお世話になっておりまs(
《末社・福徳龍神社》
《祓戸と社務所》
御朱印がいただけることは把握していますが、なかなか神主さんがいるタイミングに合わないようですね。
あ、そういえば余談ですが、愛知県神社庁のHPがリニューアルしました。祭礼日や神主の常駐か否か、御朱印の有無など詳しくまとめてくれていますので是非ご活用を。
さて今回は少し変わった投稿です!
みなさんの知恵をお貸し願いたいのです。
伊冨利部神社さんの投稿については、以前の投稿よりご覧くださいませ🙏
こちらの神社さんは月に二回の月次祭の時しか御朱印はいただけません。
1日と16日(変更あり)の午前10時頃までです。
宮司様は17、8年前はこちらに住んでいらっしゃったそうですが、今は愛西市にご自宅があり、そちらから来られているようです🚙
由緒書きがあったらいただきたいと話すと、探してくださったのですが、ご自宅にしかなかったそうです。残念!
でもその代わり(こんな恐れ多いものを代わりでいいのか!?)に伊冨利部神社の大麻をいただいてしまいました💦
さっそく家の神棚に(笑)
御朱印と一緒で超レア物ですよ!
その後、宮司様と世間話をしていたら、「数学は好きか?」と尋ねられました。
私、超文系です(✨✨爽やかな笑顔✨✨)で答えられればいいのですが、顔に出てしまったのと、言葉に詰まってしまいましてね(笑)
まぁ一度やってみるといいよ、と紙をくださったんですよ。
これがまた…
ぜんっぜんわからん。
一問目からちんぷんかんぷんです、はい👍
ってことで、答えられる方、教えてください(笑)
全問正解で表彰状がいただけますよ(笑)
私の自室です(渋いでしょ?)
読めるかな?
帰りに最後に寄った式内社⛩️
旧社格は縣社です!
変わったお名前ですよね!
いぶりべじんじゃと読むそうです。
遅かったので、もうどなたもいらっしゃいませんでしたが、とても広く雰囲気のいい神社でした✨
自宅から割と近いので、また近いうちにお参りに来たいと思います🙏
社標
鳥居
参道が立派です!
二の鳥居
文化財について
手水舎
ここの龍さん…
よく見ると金色の羽根?鱗?雲?雷?がついてます。
由緒書き
拝殿前の門
拝殿
とても美しいです✨
扁額
門にあった菊のご紋
ご神木
ご神馬
福徳龍神社
…の後ろにある朱の鳥居の圧が強すぎ💦
古墳だったんですね!
末社三社
確かに古墳!
神明社
八幡稲荷社
今日二度目の朱のトンネル⛩️
お稲荷様🦊
歴史
延喜式(905~927年)神名帳に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている所謂式内社で、当地の豪族伊福部一族が祖神である若都保命を創祀したのが起源である。創建年月は詳らかではないが、延暦13年(794年)~弘仁元年(810年)のおよそ1200年前に創建されたものと思われる。若都保命は天孫瓊瓊杵命の御子なる天火明命九世の御孫、弟彦命の御弟神に座します。延喜式神祇巻九に葉栗群十座の内伊冨利部神社、本国帳に従三位伊冨利部天神と載録されている。
名称 | 伊冨利部神社 |
---|---|
読み方 | いふりべじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0586-87-0730 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://peraichi.com/landing_pages/view/iburibe |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 若都保命 《配祀神》 誉田和気尊 |
---|---|
ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 延暦13年(794年)~弘仁元年(810年) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 延喜式(905~927年)神名帳に葉栗の一座伊冨利部天神と記載されている所謂式内社で、当地の豪族伊福部一族が祖神である若都保命を創祀したのが起源である。創建年月は詳らかではないが、延暦13年(794年)~弘仁元年(810年)のおよそ1200年前に創建されたものと思われる。若都保命は天孫瓊瓊杵命の御子なる天火明命九世の御孫、弟彦命の御弟神に座します。延喜式神祇巻九に葉栗群十座の内伊冨利部神社、本国帳に従三位伊冨利部天神と載録されている。 |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り結婚式七五三御朱印お守り祭り |
Wikipediaからの引用
概要 | 伊富利部神社(いふりべじんじゃ、いほりべじんじゃ)は、愛知県一宮市(旧・葉栗郡木曽川町)にある神社。旧社格は県社。伊冨利部神社ともいう。式内社の尾張国葉栗郡「伊冨利部神社」と比定されている。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 伊冨利部氏(伊福部氏)に関わる神社である。一説によると、伊冨利部氏は大和国葛城山より尾張国のこの地域に移り住み、祖先を祀ったという。672年の壬申の乱では尾張国の伊冨利部氏は大海人皇子に協力していることから、伊富利部神社はそれ以前と推測される。 平安時代後期以降、八幡信仰の影響により誉田別命を合祀、正八幡宮と改称している。かつては周囲1里の大規模な神社であったというが、1455年(康正元年)社殿が焼失する。境内も縮小される。その後、1556年(弘治2年)に現在地に遷宮され、1582年(天正10年)黒田城城主沢井雄重(織田信雄の家臣)が再建し、黒田城の守護神とする。1874年...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「伊富利部神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E5%AF%8C%E5%88%A9%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97229822 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
10
0