おおすかんのん (きたのさんしんぷくじほうしょいん)|真言宗智山派|北野山
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楽しみ方大須観音 (北野山真福寺宝生院)のお参りの記録一覧(8ページ目)

【愛知県 人気寺社仏閣巡り】
大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の寺院。山号は北野山、寺号は真福寺、院号は寶生院(ほうしょういん)、宗教法人公称は「宝生院」。日本三大観音の一つと言われる。
当院は、建久年間(1190年~1199年)に尾張国中島郡長庄大須(現・岐阜県羽島市桑原町大須)に建立された中島観音が発祥とされる。1324年に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建され、1333年に同社の別当寺として真福寺と、その塔頭・宝生院が創建され、摂津国の四天王寺の観世音菩薩を移して本尊としたとされる。のちに後村上天皇により伽藍が建立され勅願寺となり、3代目住職の任瑜法親王の時には寺領1万石、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6か国の真言宗寺院を末寺とした。戦国時代には、織田信長から寺領500石が寄進された。
江戸時代に入り、1612年に徳川家康の命を受けた犬山城主・成瀬正成が宝生院を大須郷から現在地に移転した。1815年には五重塔が建立され、本堂、仁王門とともに伽藍を形成したが、明治時代の1892年に大火で焼失、その後再建するも、昭和戦前の米軍による名古屋大空襲で2度目の焼失。戦後すぐの再建が期待されたが資金難で遅れ、1970年に鉄筋コンクリート造りで再建された。
当院は、名古屋市営地下鉄鶴舞線・大須観音駅の南東50mちょっとの市街地にある。境内の西側に国道22号線(伏見通り)が南北に延び、東側にはアーケード屋根付き商店街の大須観音通りと大須仁王門通りが伸びる。境内は都会の寺院にしては相当広い方で、なんといっても中心には非常に大きな本殿が構えているのが特徴。本堂は大きな階段を登った上にあって、いかにも大きな寺院に参拝したという感覚を味わえる。
今回は、旅行情報サイト「じゃらん」で、愛知県で人気のある寺社仏閣として参拝することに。参拝時は平日の午前中で、8:00過ぎに到着したが、お寺の方に寺務所の開始が9:00と言われ、1時間ゆっくり見て廻った。さすがに平日の早朝ということで、参拝者はまばらだった。
※旅行情報サイト「じゃらん」での、愛知県で人気のある寺社仏閣ランキングは、①熱田神宮、②豊川稲荷、③大須観音の順。

境内南端東寄り入口にある<仁王門>。

<寺号標>は仁王門の右側、少し離れたところにある。

仁王門左側の<吽形仁王像>。

仁王門右側の<阿形仁王像>。

仁王門をくぐった所から<本堂>を望む。

仁王門をくぐって、すぐ右側にある<手水舎(浄水)>。

手水舎の左隣にある<鐘楼>。

鐘楼前には、昭和レトロの香りがプンプンする<ハトのエサ>ボックス。(o^―^o)

参道を進んで<本堂>に向かう。

階段の下から<本堂>を見上げる。境内図によると、2階は本堂、1階はホール兼展示場、地下は大ホールとのこと。

<本堂>入口に立つ。

<本堂>入口にある<大提灯>を見上げる。

<本堂>内部。時間が早く人が少ないのでゆっくりお参りできる。

<本堂>正面。厳かな雰囲気に息をのむ。

境内西端の伏見通りから見た当院。目印に看板が立っている。

伏見通り沿いにあるのは<自動車祈祷殿>。

自動車祈祷殿の脇を進むと<西門>がある。自分が実際に最初に入ったのはこちら。(^_^;)

西門をくぐって、すぐ右側にある<大正琴発祥之地>の石碑。

境内南端西寄りにある<弘法大師修行像>。

本堂左側の<普門殿>。案内図には<十二支まいり>とも<念持仏祈願>とも書いてある。プレハブはおそらく臨時の授与所。

<普門殿>入口。自分の干支のところにある仏像にお参り。(o^―^o)

紫雲殿の南側の出口を出ると<大須観音通り>商店街。それにしても、大阪顔負けのド派手な装飾がインパクト大...(^_^;)

境内の東側は関係者専用の駐車場だが、そこに建っている<徳川宗春のからくり人形小屋>。上映が11時以降のためパス。

最後に本殿と紫雲殿の間を抜けた本殿側1階にある<寺務所>へ。参拝は8:30過ぎに終わったが、寺務所のオープンが9:00ということで、時間まで待ってから御朱印を拝受。(^▽^)/

新しい御朱印帳と観音経という経本をお分かちされました。
多分、半年近く?は来詣していなかったと思います。
まだ般若心経を読み上げることもしなかった頃の話です。
コロナ禍も相まって時期的な講中や祭りができていないです。
来年こそはできるようになれば幸いですね。
御朱印帳と御朱印と観音教の経本はまた後ほど…

中々人が居ない時に撮れないです。

供養祭も縮小の上縮小で執り行われるかな?

南無大師遍照金剛

これ手水なんだねぇ〜
みんなあそこに行くなぁって遠巻きで見ていました、ら、まさかの!!


大悲殿と書かれています。
大須観音でも御朱印です、寺務所にて女性の方の筆書だったのですが、力強くて惚れ惚れしちゃいます。
私も学生時代に書を極めていたら、こういう出会いもあったのかな?

(日本三大観音)
(東海三十六不動10番札所)
(尾張三十三観音1番札所)
(名古屋二十一大師1番札所)
(なごや七福神 布袋尊)
前から行きたかった大須観音へ。
名古屋といえば大須観音ですね。
そもそもは1190年に建立された尾張国中島郡長庄大須にあった中島観音が発祥であるといいます。
1324年に後醍醐天皇によりその地に北野天満宮が創建され、1333年に同社の別当寺とする真福寺とその塔頭宝生院が大須観音のはじまりだといわれています。そして、摂津国四天王寺の観世音菩薩を移して本尊とし、その後、後村上天皇により伽藍が建立され、勅願寺となったのだそうです。
戦国時代には、織田信長により寺領500石が寄進されています。
1612年、徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正成によって宝生院は本尊や真福寺文庫と共に大須郷から現在地に移転ました。
明治25年の境内にあった芝居小屋裏手からの出火(大須の大火)と、昭和20年の名古屋大空襲で2度も焼失にあいました。
現在は鉄筋コンクリートの本堂が再建されています。
大須商店街の入口にあり、多くの方がお参りに来ていました。
境内にはたくさんの鳩がいて、参詣の方の癒しになっていました。

御朱印 日本三大観音 尾張三十三観音1番

御朱印 東海三十六不動10番

御朱印 名古屋二十一大師1番

御朱印 なごや七福神 布袋尊

石仏

寺号標

金剛力士像(阿形)

金剛力士像(吽形)

縁起

鐘楼

鐘楼について

宗春爛漫(からくり時計)

大須文庫入口

大須文庫について

客殿

寺務所

本堂

石仏
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